おつまみ

幕】壬生狼と丸腰抜刀斎
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だからこんな場所に来るのは嫌だったんだ。

抜刀斎こと緋村は心の中で恨み言を吐いた。

「ぐっ・・・」

妓楼の狭い廊下、背後から力尽くで俺を自由にしようとする男には見覚えがある。新選組の隊士に違いない。
目立つ頬の一つ傷を隠しているうえ、まだ壬生狼の連中に俺の顔は知られていないはず。だが丸腰の状態で力勝負とは不味い状況だ。

緋村はこんな状況になるまでを嫌々ながら思い返した。


そもそも妓楼に揚がったのは桂さんの護衛の為・・・そのはずだった。
飯塚さんにまんまと嵌められた。

「桂さんも一緒なんだ、お前が行かなくてどうする。護衛はしっかり頼んだぞ」

そんな口車に乗せられてしまった。
桂さんには好い人がいる。
今更遊郭で遊ぶなど、信じた俺が馬鹿だった。
そもそも刀を預けるこんな場所だ、飯塚さんに片貝さん、俺がいなくても護衛は十分ではないか。
外で待てば良い。気付いた時には遅かった。

「飯塚さんだけですか。桂さんは」

「来ねぇよ」

これでもかと渋い顔で睨みつけるが、飯塚さんはこれっぽっちも反省の色を見せない。
見事に謀られた。

「お前もそろそろ女を知ってもいい頃合いだろ、折角なんだ、抱いて帰れよ」

「俺には必要ありません」

「新選組の間で衆道が流行ってるらしいが、全く壬生狼らしい流行りだよな。緋村もまさかそっちの口か?」

刀を預けるのも散々渋った俺だが、桂さんが中で待っていると言われては入らざるを得なかった。
遊里のしきたりなんて知らないと必死に反発したが、迎えに来た飯塚さんに押し切られ刀を預けてしまったのだ。

そして部屋に入ると桂さんはいなかった。

「馬鹿々々しい。俺は帰ります」

部屋を出て一人狭い廊下を進むが、いい気分にはなれない。
あちこちから聞き慣れない婀娜声が響いてくる。

「全く、俺が来るような場所では・・・」

一段と激しい情事に励む部屋を通り過ぎた時、狭い廊下の曲がり角、突然目の前に現れた酒臭い大男に絡まれた。

「んっだぁ、おめぇ随分と可愛い坊やだなぁ、陰間かぁ、余所で商売たぁいけねぇなぁ」

「俺は陰間なんかじゃない。ただの客だ。もう帰るんだ、どいてくれ」

「客が女も抱かねぇで帰んのかぁ、兄ちゃんよぉ」

髪も衣も一切の乱れが無く、酒の匂いも女の匂いもしない若僧。
いざとなって臆して逃げ出したのか、男に揶揄われた緋村は危うく頭に血が上りそうになった。
ここで騒動を起こして目立つ訳にはいかない。
無視してやり過ごそうとしたが、今度は男の仲間が背後から現れるという最悪の事態が訪れた。

「ちっ」

逃げ場のない狭い通路。
二人との体躯の差は歴然、刀も鞘もない今、非常にまずい事態。

「おぉ随分と可愛い兄ちゃんだな」

「離せ、酔っているな」

背後から腕を掴まれる。尋常ではない握力、この男も新選組の隊士か。

そんなこんなで今の状況に至るのだが、このまま好き勝手させては抜刀斎の志士名に、桂さんの名にも傷がつく。
緋村は咄嗟に逃走の流れを頭の中で組み立てた。
体を捻って腕を振りほどき、体当たりで前方の男の鳩尾に肘を入れ、体を屈した隙に頭上を飛び越える。
思案を終え決行しようとした瞬間、予想外の力が加わった。
体を捻る間もなく、大男に足をすくわれ体を抱えられたのだ。

「貴様っ、離せ!」

「離せと言われて離す男はいねぇだろう」

酒臭い息を間近に受けて女顔負けの綺麗な顔が歪む。
同時に、自分をそういった対象にしようとしている男達の本気を悟り焦りが生じる。
大の男二人がかり、力づくで挑まれ敵うのか。

・・・新選組の間で衆道が流行ってるらしいぜ、全く壬生狼らしい流行りだな・・・

不意に飯塚の戯言を思い出し、焦りがますます緋村の緊張を高める。
このままでは不味い、なんとか逃げ出さねば。

妓楼の荷物が置かれた暗く狭い部屋に投げ込まれた俺は、このまま屈辱を受ける訳にはいかないと男に精一杯の剣気を叩き付けた。
並みの男なら怯んで隙が生まれるはず。

・・・・・・行けるか、駄目か

一か八か男に突進しようとした刹那、男がグラリと勝手に倒れてきた。
狭い空間の中、慌てて回避すると事態はより最悪になったかに思われた。
倒れた男の向こうに良く知る男達が立っていたからだ。維新志士の宿敵、壬生の男達だ。

新選組二番隊組長、永倉新八。
隣には三番隊組長、斎藤一が立っていた。

この二人、俺は良く知っている。
永倉と斎藤が俺を知っているかは分からない。

「おぉ随分と可愛らしい御仁だなぁ、すまん!身内の恥を晒しちまって。こいつらは俺達の部下だ。悪いが今日の件は忘れてくれるとありがたいんだが」

「・・・相分かった」

その方が俺もありがたい。
しかしこの男は承知なのか。
黙って部下の隊士に拳の制裁を加えた斎藤、ちらりと俺を見て表情一つ変えない。

「俺はこれで失礼する」

「あぁ、本当に悪かったな、こいつらにはきつく言い聞かせるぜ」

平謝りの永倉に会釈をして部屋を出るが、すれ違いざまに斎藤が口を開いた。

「安心しろ、刀を持たぬ貴様に興味はない」

驚いて振り向くと、眉毛一つ動かさず部下を立たせた男がニィと顔を小さく歪めた。
斎藤一、なかなか食えない男らしい。

それから暫くの後、池田屋騒動の朝。
目が合った斎藤から向けられた視線。俺を敵対する者と見抜いた眼差し。妓楼で向けられた視線と変わらない。
見逃された謎は単に刀で対峙したかっただけと知るのに時間はかからなかった。


そんな幕末の苦い思い出。
あの時、忘れてくれと言われたのは俺なのだが。
函館という京から遠く離れた地で何年振りか、永倉の昔話で思い出してしまった。
俺も永倉も酔っている。感情を露わに語り合っていた。

「なぁ緋村、あん時のお前、なかなかに"めんこい"少年剣士だったぜ、吃驚しただろう、宿敵の新選組の男に絡まれるなんてよぉ、っはははは!」

「忘れてくれと言ったのはあんただろう!今更蒸し返すな、このタヌキ親父!」

「確かに狸かもしれねぇがタヌキ親父は酷ぇぞ、なぁ斎藤」

「永倉さんも揶揄うのは程々に、緋村は頭に血が上りやすい男だ」

「なんだと!」

「だがよぉ、あん時は男を奪われなくて良かったなぁ、抜刀斎が・・・ふっ、ふははははっ、あぁ良かったなぁ!!」

「永倉さん!もう許さん!」

こうやって笑い合えるのは幸か不幸か、師匠以外で唯一俺の知られたくない過去を知るこの男達。
今一時、過去の立場も今後の危機も忘れて笑うのもいいだろう。
間もなく笑ってもいられない闘いが待っているのだから。
懐かしく互いに忘れて欲しい思い出話は次々と蘇り、碧血碑前の厳粛なこの場に暫くの間、笑い声を響かせた。


―完―


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