おつまみ

明】雪代縁・十年陽だまりの花
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「この街も十年ぶりカ」

縁は横浜の街にいた。
横浜を訪れるのは十年振り、姉の無念を晴らそうと起こした人誅の際に東京襲撃の拠点を置いて以来。
その人誅は失敗、いや、間違いだった。気付いたのは姉のおかげだ。姉の幻が縁の心を繋いでくれた。
そんな気は無かったのに、仇である抜刀斎の女を助けて、人誅は幕を閉じた。

その後、縁は姉の日記を読んで真実を知り、呆然自失として京の落人群で過ごした。

縁の中で消えてしまった姉の微笑み。ある出来事がきっかけで、姉は再び微笑ってくれた。
おかげで自分が生きる意味を考え、再び立ち上がり、落人群を発つことが出来た。
それから人との接触を避けて生きてきた十年。時が止まったように、言葉の訛りもあの頃のままだ。

「あれから十年、久しぶりの東京だナ」

縁は東京を目指していた。
陸蒸気に乗るのも久しぶりだ。今はもう倭刀を持ち歩いていない。それでも出来れば人目を避けたい。陸蒸気の駅の賑わいは、かえって人目を避けられる。

駅を目指す縁だが、面倒が起きて足を止められた。

「っ、ひゃああっ」

「チッ」

大通りから外れた小道、旅行鞄を抱えた女が一人、前も見ずに走ってきた。女は背後に気を取られた状態で角を曲がり、縁の分厚い胸板に行く手を阻まれた。
避けることも出来た縁だが、何故俺が道を譲らねばならない、そんな小さな不満から敢えて女を体で受け止めた。

女はぶつかった驚きと衝撃で抱えていた鞄を落とす。鞄よりも背後を気にして慌てふためき、振り返った。

誰かが追って来る。
足音を聞いた縁は、コイツは追われているのかと、女を見た。足音に気を取られる女の頭には、見覚えある簪が差さっていた。

「お前は……」

「貴方もあの人達の仲間なのっ?!」

縁の存在を思い出したように、女は顔を戻して声を荒げた。

「何を言っている」

縁が簪のことを確かめるよりも早く、足音が追い付いた。足音の主は暴漢の男達。汚い言葉を吐きながら距離を詰めて来る。
その後ろから一人、のうのうと歩いてやって来る男がいた。
偉そうだ、こいつらのボスか。どう見ても闘わない男。一番の足手纏いのクセに、と縁は暴漢のボスに見当を付けてギロリと殺気を送った。
全身を黒い大陸の服で覆う小柄な男。目の前までやって来たボスらしき男は大きく顔を崩して縁を睨みつけた。

「ア、アナタは雪代縁!!何故ここにいるんデス!」

縁の中で、薄っすらと記憶が蘇る。印象の薄い男、目前の姿が記憶の中で重なる。面識があり、良い感情を抱いていなかったと判明した。

「誰だ貴様」

「アナタのせいで私は随分な目に合いましたヨ!組織を手に入れるはずが!!」

「貴様か」

あぁいたな、ウジ虫が。確か名前は。

「この呉黒星!アナタだけは許さっ」

黒星か。男が名乗った直後、貴様だったのかと得心した縁は、お前なら容赦はいらないとばかりに顔面に拳を打ち込んだ。

「失せろ、黒星」

縁が言い捨てるが、呉黒星は既に気を失って返事が出来なかった。すぐさま手下達が呉黒星を引きずって逃げていく。

「あのっ、仲間じゃ、なかったんですね……ありがとう……ございま……」

女は逃げていく暴漢達を見て呟き、恐る恐る鞄を拾い上げた。縁を見上げて礼を述べる途中、その顔を見て言葉を失った。
その様子から、縁も簪の主に確信を得た。

「貴方……えに……し」

「雪代縁だ。久しぶりだナ、夢主」

「縁……本当に縁!会いたかった!」

夢主は拾ったばかりの鞄を放り投げて縁に飛びついた。
夢主はかつて縁が落人群から連れ出した娘。姉の形見の簪を差してやった娘だ。

「会いたかった縁、縁っ!」

「オイ、やめないカ」

夢主の縁に対する心は落人群を出たあの頃で止まっていた。
背も伸びて体つきも変わりすっかり成長した夢主だが、縁を前にして、あの日の心に戻っていた。

「大事な鞄じゃないのカ、投げ捨てていいのカ」

「あぁっ、良くありません、折角買った新薬が!」

「新薬」

夢主は改めて鞄を拾い上げた。革で出来た四角い旅行鞄。夢主は服装も洋物の鞄に合わせているのか、西洋を思わせる外套を羽織っている。その下には着物の衿、足もとには袴が見えていた。
簪がある髪はお団子のように一纏めにされている。顔の横に耳を覆って垂れる髪が、縁には巴の髪型を思わせた。

「はい、私、貴方のおかげで医者になれたんです。小国診療所で沢山指導していただいて、学校にも行かせていただいて。先生はご高齢で長距離の移動が大変ですので、私がこうして横浜まで新薬を買いに来たんです」

医者になった夢主。横浜まで異国の新薬を買いに来ていた。その帰り道、鞄を取り違えて追われていた。追われる理由に気付いていない夢主は、大事な新薬を守ろうと必死に逃げていたのだ。

「そうカ。だがソイツは本当に新薬なのカ。薬違いじゃないだろうナ」

えっ、と夢主はしゃがみ込み、膝の上で鞄を開けた。中には見知らぬ小袋が敷き詰められていた。小袋は中身が入り、どれも限界まで膨らんでいる。

「何これ……違います、私の鞄じゃありません」

「どこかで入れ違ったな、黒星のやつコレを取り戻そうとしていたのカ」

だったら厄介だ。元来しつこいあの男、自分に遭遇したからと言って、簡単に諦める男ではない。新薬は買い直せば良いが、このままでは呉黒星は再び夢主を襲うだろう。縁は小袋の表面を撫でる夢主を苦い顔で見つめた。

「これは一体……ご存じなのですか、それにさっきの人を知っているんですね」

「知り合いなんかじゃないガ、知ってはいる。生きている価値もない男だ」

かつて殺そうとしたが、あの時、抜刀斎の女がヤツを生かした。あの女、まるで姉さんのような後ろ姿だったんだ。
突然俯いて黙り込む縁を不思議に思い、夢主は顔を覗きこんだ。

「縁……?」

「何でもナイ。お前、どうするんだ」

夢主は鞄を閉じて、きょとんと首を傾げた。
この事態を把握できていないのか。医者になれる聡明な頭があれば、今の状況に気付けるだろう。
縁は眉間に皺を寄せた。
 
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