おつまみ

明】雪代縁・十年陽だまりの花
3ページ/4ページ


縁は手っ取り早く問題を解決しようと、夢主を連れて外国人居留地を目指した。

今も昔もアジトを置きやすい場所は一緒だ。似たような環境に紛れて人と物を置く。
上海や香港に拠点を置く商館が多く並ぶそこなら目立たない。日本人の出入りは制限されるが、何とかなるだろう。
呉黒星がどれ程の手下を連れているか分からないが、多くないはず。かつて頭目と二番手が警察に捕まった組織の出では、新たに組織を作ろうが規模は小さいと縁は踏んだ。

戦闘に長けた縁と違い、呉黒星は自身に何の武力もない。縁は昔取った杵柄で、顔が利く上海人が今もこの町にいる。恐れられていたからだ。呉黒星にはそれもない。

「居場所は突き止められそうだナ」

大きな建物に挟まれた物陰に身を潜めて居留地に続く道を見張っていると、気を失った呉黒星を連れて、男達が入って行くのが見えた。出迎える者もおらず、呉黒星がこの地で居場所を築いていないと窺える。夢主が持つ阿片をきっかけに日本再上陸を狙っているのかもしれない。

居場所の目星がついたからには、深追いせず一旦引いた方が良い。理由はひとつ。
物陰から周囲を警戒する縁が、ふと目の前、夢主の頭に目を留めた。
夢主に気付いたきっかけ、姉の物だった簪。あの頃も似合うと思ったが、今の夢主にはより一層似合っている。
そう感じた縁は俄かに口角を緩めた。

「簪、今でもつけているんだナ」

「はい」

振り向いて縁を見上げ、夢主は微笑んだ。貴方にしてもらった髪が嬉しくて、あれからずっと同じ髪型をしています。
簪を差すたびに、貴方を思い出していました。
夢主は言いたい言葉を飲み込んで、簪を外した。

「どうして外すんダ」

「先程返すべきでしたね。これは大切な物なのでしょう、幼い私を慰める為に髪に差してくれたんですよね、あの頃は分かりませんでしたが今なら分かります。当時は別れ際に頂いて嬉しかったのと、貴方とのお別れが淋しくて、精一杯で」

貴方と別れて淋しかった。言ってしまったと、夢主は顔を赤らめた。

「こっ、子供の頃のことですから、淋しかったというのは!気持ちが追い付かなくて、ずっと一緒にいたのに突然お別れになって、だから」

「すまなかったナ、ああするしか出来なかったんだ」

ただ恥ずかしさを誤魔化しただけの夢主の言葉を縁は素直に受け止め、申し訳なさそうに言葉尻を濁した。
責めるつもりで言ったのではありませんと、夢主は首を振る。簪を外して、垂れた髪がゆっくりと揺れた。

「貸せ、結い直してやる」

そんな、と迷う間に縁は夢主の手から簪を抜き取った。
元より静かな縁だが、声が沈んで聞こえて、夢主は申し訳なさに苛まれた。
だが縁の意識は既に切り替わっていた。夢主の髪の具合を確かめるように触れている。優しく撫でて指で梳き、指先から零れる髪の流れを見つめていた。

「綺麗になったナ」

「えっ」

「お前の髪だ」

「あ……」

夢主は頬を染めた。幼いあの日から、毎日のように思い返していた。あの時、髪を結ってくれた縁を。大きな逞しい手で懸命に髪を結い、簪を差しくれたことを。触れられることの心地良さを。
十年ぶりの感覚は思い出以上に擽ったく、縁に掛けられた言葉は触れられる感触以上に擽ったかった。

「あの時はお互い様だが、落人群で大した手入れもしていなかっただろ」

「あ、うん、あの頃は……あれからずっと、この簪を差しているんです。ずっと、大切にしていました」

あの頃と同じように、縁の手が何度も髪を結い直している。
太い指で髪を梳き、集め、零れてしまう髪を追いかけて、何度も夢主の髪に触れている。
何度も、何度でも繰り返してと、夢主は心地よさに目を細めていた。

「い……いつか会いに来て欲しいって、お願いしたのを覚えていますか、幼い私の我儘です」

「あぁ」

当然だろ、とばかりに即答する縁。優しく不器用な手付きで髪を結いながら、会話は続いた。

「東京へ向かうつもりだったんダ、陸蒸気で。お前に会いにナ」

「え……」

「言っただろう、約束ダ。覚えていたからナ」

姉さんもそうしろと言っていた。
縁が「よし、出来たぞ」と満足そうに呟いて、夢主は振り返った。

「すっかり話せるようになったナ」

「はい、診療所の皆さんは優しくて、周りの皆さんも親切で、気付いた頃には元のように。でも……きっかけは縁さんです」

「縁でイイと言っただろ」

「あっ、え、縁の……おかげです。貴方に気持ちを伝えたいと思えたから、貴方と出会えたから……」

家族を失った淋しい心を埋めるように現れた兄に似た青年。幼かった夢主は縁のそばにいたいと願い、元気を出してもらおうと必死に世話をした。優しさでも慈しみでもなく、そうしたかったからだ。

そんな自分を受け入れてくれた縁、最後には日の当たる場所に連れ出して、世界を与えてくれた。
見るもの全てが新しかった二人の旅路、何もかもが輝いて見えた。
旅の終わり、どうしても感謝の気持ちと、自分の名前を伝えたかった。そして、もう一度会いたいと、願いを伝えたかった。
強い気持ちがあったから、長らく失っていた声を取り戻せたのだ。
 
次へ
前へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ