おつまみ

明】雪代縁、ちからの先
2ページ/5ページ


日が暮れると、賑やかな落人群も徐々に静まっていく。
闇が深まりすっかり静まり返った頃、縁は突然、暗闇に舌打ちを響かせた。
何だってあんなガキがこんな場所に。改めて考えた縁は苛立っていた。

健気に誰かを追う姿は、まるで姉を追いかけた幼い日の己のようで、目に入れたくない。
娘が纏わりつく相手が何故俺なのか。
縁は地面をどこともなく睨みつけていた。
月明かりで僅かに砂が光る。ちかちかと弱々しくも美しい光。
縁が「ふぅ」と短く深い息を吐くと、寝ていると思ったオイボレが口を開いた。

「この娘っ子、家族を一度に失ったそうじゃ。盗賊じゃの」

オイボレに凭れかかるように娘が眠っている。
縁の目がちらりと動いた。理由もなく恨めしそうな目をオイボレに向けた。

「死んだ兄がお前さんくらいの歳だったんじゃよ。最後まで家族を守り、この娘だけを何とか逃したんじゃな」

落人群にやって来た娘は、既に言葉を失っていた。
オイボレは様々な問い掛けをして反応を汲み、憶測を挟み、娘の事情を察したのだ。
初めて縁を見た時の娘の動転もオイボレは見逃さなかった。普段は大人しい娘がオイボレの服を強く掴み、何度も引っ張った。視線は縁に釘付けだった。歳の頃だけではなく、纏う雰囲気や背格好も似ていたのかもしれない。

「俺には、関係ない」

縁の声には戸惑いの色が含まれていた。
死んだ兄に姿を重ねられても迷惑だ。そう言いかけて、縁は言葉を飲み込んだ。自身にも、覚えがあった。

「ホッホッ、そうじゃな、関係ないのぅ」

ちっと縁は舌打ちをした。
姉を想う自分と、兄を想う娘が重なる。娘を無視したいが、無下には出来なかった。


落人群の食事時。何日も、何度も、娘が差し出す器を押し退けた縁だが、この日は大人しく手を伸ばした。
娘の手には小さな擦り傷が見える。昨日、縁に振り払われた拍子に転んでついた傷。縁は意識を傷から逸らし、器に触れた。
直接器を受け取るのは初めてだ。娘の顔が、わぁ、と和らいだ。

むず痒い感覚がして、縁はすぐに顔を背けた。
訳の分からぬ汁を口に含むと、予想通り殆ど味がしない。沈んでいる具材も食べられるものだと言うこと以外、分からない。
だが、上海で啜った泥水よりはマシか。

ちびちびとだが全てを飲み干すまで、娘は縁を見つめていた。

縁が黙って器を返すと、娘は受け取ったまま動かない。
困った縁は、

「……温かい汁だった。今日は……冷えるナ」

おかしな感想を述べた。
自分でも不味ったかと眉根を寄せるが、娘はやがて金縛りが解けたように大きく頷いた。
満面の笑みを湛えて、縁を驚かせた。

傍でオイボレがにんまりと笑っている。
娘が器を返す為に走り出すと、オイボレは縁にそのにんまり顔を向けた。

「不味くないと思ったのじゃろう、それは美味いと言うのじゃぞ、美味かったと言えば良い。美味さは味だけではないからのう」

「五月蠅いゾ」

「ホッホッホ、こりゃあすまん、確かに温かい汁じゃ、ホッホッホ」

ちっと不貞腐れる縁だが、娘の嬉しそうな姿を見て、しかめっ面が解れた。
娘は、とてとてと駆けて行き、鍋を囲む男に器を返している。むさ苦しい落人群に現れた小さな花は、皆に大切に守られていた。

「あの娘はお前さんと一緒、ここには少し前に来たばかりでの」

それがどうした、と縁はしかめっ面を蘇らせた。

「お前さん、見たところ腕っぷしが強そうじゃのぅ。すまんがお前さん、あの娘を守ってやってはくれんか」

「必要ないダろ」

立ち上がる気力もない若者を世話する娘。皆に食事の世話をするたび褒められ、恥ずかしそうに振る舞っている。
何かあれば落人群の連中が対処するだろう。縁は視線を手元に戻した。

「この通り儂はオイボレじゃ、あの娘の世話をしてやれても悪いことが起きた時、儂にはどうにも出来ん」

「何で俺ガ」

「小さな女の子じゃ、可愛いのぅ。ここの連中は気のいい奴らばかりじゃが、外からも人は来るでのぅ。人攫いにとってあの娘は恰好の餌食じゃ」

「今の時代、大した金にはならないサ」

「はした金だろうが人攫いには金じゃ」

「……フン」

落人群の連中は仲間意識が強い。外からの侵入も集団で食い止める。わざわざ自分が動く必要は無いと、縁は蹲って顔を隠した。

「俺には関係ない」

籠った声で言い、縁は目を閉じた。
 
次へ
前へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ