おつまみ

明】雪代縁・幼い熱
1ページ/3ページ


横浜の街が徐々に夕闇に染まっていく。
口を閉ざして歩く二人。十年前の旅路と変わらないが、夢主にとってはあの頃と異なる。もう声は出るのに、何故か言葉が出てこない。振り向かないで欲しいと願い、離れたくないと縁の背中を追いかけている。夢主は矛盾した想いをいくつも抱えていた。

「どうした、腹でも痛いのカ」

縁は俯き加減で浮かない様子の夢主を案じて立ち止まった。
不意に振り返る縁に、夢主は「あっ」と顔を引き攣らせた。

「さっきから様子がおかしい。どうしたンだ」

夢主が首を振ると、縁の眉間に皺が寄った。幼い頃には気にならなかった縁の表情の変化、当時はどんな表情も見守るだけだった。今は一つ一つの変化が気になる。眉間の皺は自分のせいだ。

「何でもないよ、帰るつもりだったからどうしようって、先生達が心配してるなって思ったら」

「そうか、優しいんだナ。無理させて悪かった」

「そんなこと……」

ずっと縁の後ろを歩いていた夢主が、縁の隣に並んだ。
俯いていた夢主は顔を上げたが、今度は縁の声が沈んでしまった。自分の気持ちの混乱が縁を振り回している。夢主は笑顔を作って明るく振る舞った。

「元はと言えば、私がどこかで鞄を間違えたんだと思います。自分の責任だし、縁は私の為に、だから感謝したって悪いだなんてこれっぽっちも!」

「取り戻したいンだろ」

夢主が運ぶ鞄を見て、縁は目の色を曇らせた。早い足取りで歩き始める。

「それにアイツ、好き勝手させる気は無い」

遅れまいと急ぐ夢主が早足の縁をちらと見ると、見たこともない形相をしていた。
アイツとは呉黒星。縁がギリリと奥歯を噛み締めた。歯間から漏れる息がフーッと獣のような音を立てる。夢主の腕に鳥肌が立った。縁に対して初めて感じた怖さ。何が縁の感情をここまで掻き乱しているのか、何を背負っているのか、知りたいけれど、踏み込んではいけない世界かもしれない。
気付けば、夢主は再び縁の後ろを歩いていた。


縁が決めた宿は陸蒸気の横浜駅近く。辿り着いた時には日が沈み、残照が僅かに空を朱く染めるばかり。停車場を目指す馬車がガタガタと音を立てて通りすぎた。

「ここにするぞ」

こんな目立つ場所で大丈夫か。不安そうな夢主に、縁は大丈夫だと頷いた。
港や街道に配置する人員が呉黒星にはない。ならば女一人簡単に移動できる陸蒸気に焦点を絞って見張るだろう。奴らは今夜動かない。こちらが朝一で動き策に嵌めるには、居留地から駅へ続く道が良く見える宿が良い。
話を聞かされても縁の狙いが飲み込めず、夢主は首を傾げるが、素直に考えに従った。

日が暮れて、立地が良い宿の部屋は埋まっている。無理押しして騒ぎは起こしたくない。どうしてもと交渉して手の中で金を握らせた縁。普段使わない薄暗い部屋で良ければと、半分荷物で埋まった部屋に案内された。二人は揃って荷物の上に上着を置いた。手入れが行き届いており、かび臭さは無い。

「こんな部屋しかないそうだが、いいカ」

夢主は頷いた。縁から先程の昂りは消え、すっかり落ち着いている。怖々と後をついてきた夢主だが、安堵して部屋を見回した。

畳敷きの部屋、窓があり、布団もある。一晩過ごすには問題ない。問題はないが狭い空間に二人きり、考え出すと鼓動がまた激しくなる。一番気にすべきは鞄を取り戻す術。希望の場所に宿を見つけ、これからどうするのか。

夢主は訊ねる前に部屋の空気を入れ替えようと、窓辺へ寄った。窓を開けても部屋の薄暗さは変わらない。それでも空気が流れて心地良い。夢主は窓の前で大きく息を吸い込んだ。新鮮な空気が気持ちも明るくしてくれる。
窓の次は布団、手際よく寝支度を進める夢主を縁は黙って目で追っていたが、伝えなければと、作戦の要を打ち明けた。

「お前、明日の陸蒸気で東京に帰れ。鞄は俺が取り戻して届けてやる」

「えっ」

布団を広げた夢主が、整えようとしていた枕を落とした。

「出来ませんそんなこと」

「俺を信じられないカ」

「そうじゃなくて、だって一人でなんて」

夢主は縁に詰め寄った。二人で取り戻すと思っていた。一人で立ち向かうなんて無謀すぎる。しかし縁の考えは違った。

「一人なら簡単なンだ。だが正直、お前が一緒では難しい」

「私がいると……」

「だからお前は東京へ戻れ」

お前は一緒に来るな。夢主は脱力して座り込んだ。
縁は夢主から離れ、入れ替わるように窓に近付いて腰を下ろした。ふぅと小さな息を吐いて肩の力を抜く。夢主には悪いがこれが最善の策、そんなことを考えながら外を覗き、周囲を確認した。朝一、ここから見張れば十分だと、確信を得ていた。

「縁って……強いの?」

「何っ」

緩んでいた縁の肩に力みが加わった。俺の強さを疑うのか。夢主に鋭い視線を向けるが、そうではないと察し、すまないと目を逸らす。

「強いんだろうなってのは分かるんです。十年前助けてくれた時のことも覚えてる。さっきも凄かったよ。でも、あんな怖そうな人達だよ、拳銃だって持ってるかもしれないよ、囲まれたりしたら」

かつて、落人群の仲間が拳銃で撃たれた光景が夢主の脳裏をよぎる。自らに向けられた銃口の恐ろしさも共に蘇った。あんな物が縁に向いたら、暴漢達が揃って銃を持っていたら。夢主はぶるぶるっと首を振った。

「夢主」

今度は縁が体を寄せた。一瞬で二人の距離が詰まる。
 
次へ
前の章へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ