おつまみ

明】雪代縁・幼い熱
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顔が近付き自ずと夢主の体が逃げるが、縁が許さなかった。夢主は腕を掴まれた。痛みはないが、太い指が食い込む。鞄の中身を叫んで口を塞がれた時と同じ、布越しでも分かる、熱い指が肌へと熱を移す感覚。夢主は自分を掴む力強さに頬を染めた。

縁が顔を近付けると、夢主は精一杯顔を遠ざけた。見つめられると目が離せずに見つめ返してしまう。夜闇に同化する濃藍色の瞳が真っ直ぐ自分を見ている。夢主の瞳は困惑で揺れていた。

「この部屋は暗いからな、見ろ。見えるか」

それ以上離れると見えない。そんな態度で言って、縁は狂経脈を浮き上がらせた。長年続いた脳の覚醒状態が引き起こした神経の異常発達。顔を近付けて異様な皮膚の盛り上がりを見せつけたのだ。
夢主は息を呑んだ。間近で見つめられる恥ずかしさも受け入れられぬうちに視界に入る刺激。呆けたように見つめた後、消えそうな声で呟いた。

「何……縁、これ……」

医者の夢主も見たことが無い。経験が浅いからか。いや、きっと違う。夢主は瞳を震わせた。

「俺は少し特殊な体質でナ。昼間の男は俺のコレを恐れている。コレが出ていれば弾丸だって俺には当たらない」

「そんなことって」

弾丸が当たらない。有り得ないと言いかけて、夢主は言葉を飲み込んだ。

「こいつは神経、人より発達しているんダ。だから考える前に避けられる」

「本当に……」

初めて見る神経の異常、太く浮き上がった筋。
夢主はつい手を伸ばしてしまった。

「触るナ!」

縁は叩いて手を払い除けた。体が反射で勝手に起こした行動。急に支えを失った夢主が倒れそうになる。
縁の中で十年前の感覚が蘇った。幼い夢主が差し出した器を縁が払い落とし、夢主は地べたに身を倒した。今でも鮮明に覚えている。

「悪い、神経が異常に発達しているんだ」

縁は咄嗟に夢主を支え、すぐに離した。

「過敏な状態にも慣れたガ、この状態の時に触られるのは、好きじゃナイ」

そもそも人と接することが煩わしい。触れられるなど以ての外。だが今は単に狂経脈の状態にある皮膚への刺激を嫌がっただけ。夢主の存在を否定した訳ではない。縁は十年前と同じ、そんなつもりじゃなかったと俄かに動揺していた。

「ご……ごめんなさい」

狂経脈は既に引いている。夢主は神経の変化に驚いて、縁の顔を凝視していた。掴まれていた腕と支えられた体には、触れられた感覚が残っている。

「痛くないカ」

「平気です」

観察するように見つめてしまった夢主は、縁の目が申し訳なさそうに揺らめくのを見て、我に返った。
見せてみろと縁の手が伸びて来て、手を引っ込めた。触れられて縁の熱をこれ以上感じては、また鼓動が激しくなってしまう。夢主が誤魔化すように微笑むと、縁は困った様子で顔を歪ませた。

「力ってやつが違うだろ、あの時はお前、すっ転んだ」

「あ、あれはだって、お椀を落としちゃダメだと思ったから。でも痛くありませんでしたよ」

「嘘を吐くナ、擦り傷を作っていたくせに」

ふふっと笑う夢主に同調して縁も笑みを溢す。だが、夢主が手を擦っているのを見て、笑うのをやめた。

「痛いんだろ」

夢主は触れられまいと遠ざけていたが、軽々と手首を掴まれた。長い手足、夢主が体格差を思い知るうちに、縁は手を引き寄せて両手で触り始めた。

「指は曲がるか、痛くないカ」

大丈夫かと縁が自分の手に触れている。撫でるように触れて、恐る恐る手を返したり指を曲げたり。掴まれた瞬間、緊張から体を強張らせた夢主だが、あまりに一生懸命な姿を見て一転、笑いだした。

「ふふっ」

「何ガおかしい」

「ごめんなさい、でも私も医者だから大丈夫だよ、駆出しだけど、それでも大丈夫って分かるから」

「っ、そうだったナ。出過ぎたマネだな」

気まずそうに言って縁は手を離した。餅は餅屋、体の状態を見るのは自分より医者の夢主が長けている。心配した自分が馬鹿だったと不貞腐れて見せた。

「ふふふっ」

「オイ、だから何ガおかしい」

「ごめんなさい、おかしいんじゃなくて、嬉しいんです。楽しいって言うか、縁のそんな楽しそうな姿が」

「楽しくなんかナイだろ、全くお前は」

不貞腐れているのが分からないのか。縁はむっとして笑い続ける夢主を睨んだ。
落人群にいた頃はほとんど笑わなかった夢主。自分と関わる中、笑顔を見せてくれるようになった。旅に出てから笑顔は増え、今ではこんなに幸せそうに笑っている。縁は気が抜けたように「フッ」と笑った。同時に、この笑顔が失われるようなことが起きてはいけないと感じていた。

縁が人々から笑顔を奪うようになってから十数年、ついには大切な姉の笑顔すら見えなくなってしまった。
その後、夢主と過ごすうちに取り戻した姉の笑顔。今、目の前にあるこの笑顔。笑顔を守る意味が分かり始めていた。

鞄を取り戻すのは俺一人で十分、呉黒星と関わらせてはいけない。
くすくすと笑う夢主を見て、縁は心を決めた。

「だが分かっただろ、狂経脈。俺一人なら大丈夫だと」

「だけど」

「言いたくないガ、一緒にいては足手纏いだ。東京で鞄を待っていろ」

「足手……纏い……。でも、私も……」

笑うのをやめた夢主、割り切れない顔をして俯いたが、すぐに顔を上げて縁に強い眼差しを向けた。
縁の役に立ちたい。自分の鞄くらい自分で取り戻したい。縁に一方的に迷惑はかけられない。夢主は思いの丈を丁寧に打ち明けた。
 
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