おつまみ

明】雪代縁・食い込む指
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どこか元気のない縁の顔から目線を落とした夢主は、改めて腕に目を向けた。
縁に新しい怪我が無いのは明らか。力尽くで鞄を取り返したのではと案じたが、体にその痕があったところで責められない。
乱暴を働いてきたのは向こう、阿片を運ぶような人達だ。捕えて警察に引き渡すのは正当な行為。縁はきっと警察には関わってはいないだろうけど……。
夢主は縁を庇う考えをあれこれ巡らせながら腕を見た。

そもそも縁は少しの痛みも見せず、通りから診療所まで歩いた。これ以上診る必要がないと思い知った時、肩から指先まで順に下りていった視線が、僅かな赤みを見つけた。
拳を叩き込んだのか、指が俄かに赤い。夢主が縁の手を取ると、縁は面白がった。

「こんなものも治療するのカ、怪我のうちに入らないだろ」

「だって、何かしたいから」

「ガキでも放っておくゾ」

分かっているけれど、と夢主は縁の手に軟膏を塗り始めた。
塗りこんでいるうちに大袈裟だという自覚が強まり、恥ずかしさが増す。夢主は言い訳するように呟いていた。

「大袈裟だって分かってるけど、させてよ」

夢主は普段の治療では決して起こらない感覚に襲われていた。必要のない薬を塗っている。大きな縁の手。自分の手と異なる骨ばった手に目を奪われて、夢主は手を止めた。何も感じていなかった指先が、急にジンジンと痺れ始める。
診察や治療でこれまでも男の人には触れてきた。今更何を恥じらっているのか。続けようと思うけれど、不要な行為と認識した途端、医者と患者の関係は崩れ、夢主は手を動かせなくなってしまった。

「もう終わりカ、最後までしてくれヨ」

「あ……」

最初は呆れた縁だが、丁寧に薬を塗りこんでくれる姿に、悪い気はしないナと表情を和らげていた。
縁の言葉は、医者失格なのではと落ち込む夢主を慰めた。
これではどちらが面倒を見ているのか分からない。二人は互いにそう思って目を合わせ、小さく笑った。

「もう、お終いです。ありがとうございます」

薬を塗り終えた夢主が礼を述べ、逆だろ、と縁が面白そうに首を傾げた。
お前が好きでした事だから礼は言わない。そんな顔を見せる縁だが、服の隠しからある物を取り出した。

「鞄以外にもう一つ渡す物がある。コレもお前に」

えっ、と驚くが夢主は反射的に手を出した。
縁が夢主の手の平に乗せたのは小さな瓶。女の手に収まる小さな物だった。

「白梅香、手土産ダ。十年振りの再会、手ぶらで訪問、姉さんならしないと思って」

横浜で思い立って寄り道をした。人に物を贈るなんていつ以来か。小間物屋に寄った縁は、当然のように姉の姿を思い浮かべていた。
お使いに出た帰り道、姉に似合う花を持ち帰った記憶がある。普段表情を崩さない姉が見せてくれた控えめな笑顔が忘れられなかった。

小間物屋で様々な品を見て歩くうち、姉に贈りたい物を選んでいる自分に気が付いた。姉と夢主は違う。
しかし、姉の簪が似合う夢主なら、同じ物が似合う気がした。姉が好きだった香り、姉を思い出す香り。縁も好きな香りだ。

「ありがとう……」

「この香りは俺を導いてくれた、育ててくれた香りだ。特別なんだ」

何だかお前に似合う気がした。お前を見ていると、お前のことを考えると何故か姉さんが話しかけてくれる。それで思ったんだ、お前にもこの香りは似合うんじゃないかと。縁は心の中で語り続けた。

「特別な」

「お前、ガキみたいだろ。白梅香は大人の香りだ。お前にもきっと似合う」

ガキみたいなのは飛びついてきたり、素直に笑ったり拗ねたりする無邪気な振る舞いのこと。成長したお前は立派な大人だ。白梅香も似合うだろう。言葉足らずになった縁の一言を真に受けて、夢主はウググと言葉を失った。
確かに縁に比べれば自分は子供だ。でも似合うと言ってくれたからには、少しは成長を認めてくれているのか。
夢主が小瓶と縁を交互にちらちら見ると、縁は喜ばれていないのかと顔を曇らせた。

「診療所に白梅香はマズかったカ。いらなければ俺が」

「いる!ありがとう、大丈夫だよ、診察の無い日とか、自分の部屋とか、使い道は」

「そうカ」

縁はそれなら、と伸ばしかけた手を引っ込めた。取り戻されまいと必死に言葉を並べる姿は子供っぽい。やっぱりガキだなと言いそうになるが、改めて夢主を眺めて、いや、と自分の言葉を否定した。
落ち着きを取り戻した夢主、凛とした顔を見せる時、夢主はしっかり大人の顔をする。顔の横に垂れた髪は美しく、触れてみたいとさえ思わせる。ボサボサ頭の幼い夢主の髪に触れた時とは理由が異なる。それはお前が成長した証じゃないのかと手を伸ばした。

「お前、髪が綺麗だよナ」

「えっ」

「簪もいいカと思ったんだが、姉さんのがあるだろ。だから白梅香にした」

縁は夢主の垂れた横髪に触れ、さらりと流して髪の美しさを確かめた。
突然の行動に驚く夢主は手の中にある小瓶を強く握りしめた。これは髪に触れたかっただけ、小間物屋で目に付いた品を手に取るのと同じ意味合い。自分に言い聞かせる夢主だが、手の中の白梅香を見て頬を染めた。
縁が自分の為に選んでくれた手土産。無意識ではなく、縁の意思で選んでくれた。

縁は急に大人しくなった夢主の顔を覗いて身を屈め、どうした、と首を傾げた。

「何でもないよ、ありがとう。嬉しいから……見てただけだよ、白梅香」

嬉しくて手の中を覗いただけ。夢主は満面の笑みで誤魔化した。

「それはそうと、俺に構っていていいのか、他に患者はいないのカ」

「心配してくれてありがとう、優しいね、縁」

馬鹿が。一言余計だと縁に睨まれたが、夢主はふふっと笑って続けた。

「今日はもう終わりなんだ」

「そうカ」

鞄を届けて、怪我が無いか確かめて夢主の気も済んだ。
縁がさてどうするかと上着を手に取った時、夢主の心臓が強く跳ね上がった。縁は横浜でした約束を覚えているだろうか。夢主は震えそうな唇を開いた。

「……泊まって行ってね、寒いから地面で寝るのはご免って言ってたでしょ、診療所のベッド空いてるし、それに……誰かがいると、安心して眠れるって……」

このまま行ってしまわないで。夢主は気丈を装って笑顔を保っている。

「あぁ、そんなコト言ったか」

「言ってたよ、ベッド空いてるし、ね、一日だけでも。鞄のお礼、食事とお風呂付き、ダメかな」

「寝かしつけてくれるのかヨ」

「うん、子守唄、歌うよ。とんとんも」

横浜での夜を思い出して、夢主の鼓動がみるみる激しくなっていく。
あの宿と違い、寝床であるベッドは沢山あるから大丈夫。跳ね上がる心臓を静めようと、夢主は必死に自分を宥めていた。

「トントンとやらは、いらない」

「じゃあ子守唄だけ」

「そうだナ」

じゃあまずは風呂に案内してくれよ。縁が肩に担いだ上着を下ろして言うと、夢主は安心して頷いた。
 
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