おつまみ

明】雪代縁・二人の涙
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外に出た縁は、夜空を見上げていた。月が雲の隙間から顔を出しては、すぐに隠れてしまう。
晴れない夜空に、別に月を見に出てきた訳じゃないと悪態をついた。

「儂の借り物では落ちつけんかのぅ」

背後から声が掛かり、縁は振り向いた。
外に出る縁に気付いた小国が様子を見に来たのだ。にこやかな顔で寄って来て、若者の淋しそうな背中に声を掛けた。

縁は自分と似た長着を纏う小国を見下ろした。長着を借りているのは自分だが、関係ないと縁は謝意を示さない。
小国は夢主を預かり、あれほど幸せに笑えるまで育ててくれた。感謝すべきかもしれないが、小国に感謝すべきは夢主自身であって俺ではないと、強引に自分を説得した縁は、小国を睨みつけた。

「何か用カ」

「用かと言われたらそうじゃな、若い二人が気にならぬと言えば嘘になるのう」

訊くんじゃなかった。縁はフンと鼻をならした。

「あんな嬉しそうな夢主君を見るのは初めてじゃ」

「そうなのカ」

いつもあの笑顔で過ごしている訳ではないのか。
縁は驚いた顔をして、この二日間で沢山目にした夢主の笑顔を思い浮かべた。

「もちろん毎日笑っておる。安心するんじゃな」

じゃが、と言いかけて、小国は含み笑いを見せると話を変えた。
何だよと詮索する縁の視線も気にせず、にこやかな顔を保っている。

「君はこの町が嫌いで、大好きなんじゃろう」

この一言で、縁の視線に棘が加わった。それでも小国は怯まず笑っている。

「儂は町医者。この町に長く住み、道場医も務める。誰かに訊かずともおおよその出来事は分かるもんじゃ」

お前が言いたいことは分かるぞと、縁は睨みを強めた。
そうだ、抜刀斎が住むこの町が大嫌いで、姉さんと暮らしたこの町が大好きだ。
姉さんと暮らした町。今は夢主が暮らす町だ。

「しかしのぅ、この町を嫌いな理由より、好きな理由が増えたじゃろう」

ちっ、と縁は舌打ちをした。全てお見通しとばかりに、いちいち癇に障ることを言う。

「この町には罪を背負って尚、前を向いて生きる者が沢山おるんじゃよ」

誰のことを言いたいのか否でも分かる。罪を背負って生きる者は沢山いるが、縁にとっての罪びとは緋村抜刀斎。あの男が住むこの町にいたくはない。だがあの男を理由に自分が譲るのも腹立たしい。姉さんが憎んで、姉さんが愛した男。くそっ、縁は声にならない怒りの息を吐き出した。

「怒りは忘れられんから辛いんじゃな」

自分から煽っておいて分かった風に言うな、縁は歯噛みして睨むが、小国は雲間から現れた月を見つけ、にこと目尻を下げて話を続けた。

「君が姿を消せば、君はあの子から大事なものを一つ奪う事になるんじゃよ」

「どういう意味ダ」

「しっしっし、言えるのはここまでじゃのう、言い過ぎたくらいじゃよ」

縁は苛立ち、今にも怒りを露わに拳を掲げそうだ。
それでも小国は飄々と続けた。

「年寄りは大事にするもんじゃよ、しっしっし、では儂は失礼する、ゆっくり物思いに耽るが良いじゃろう」

ゆっくり背を向ける小国に縁は舌打ちを浴びせた。
舌打ちは小国に対してだけではなく、縁自身にも向けられていた。

「あぁそうじゃ、道場医を務めると若い男を診る機会も多いんじゃよ、以前いた恵君ほど夢主君は慣れておらんで心配じゃ。夢主君目当ての若者を軽くあしらえるようになるといいんじゃが」

「待て」

しっしっしと笑って再び背を向ける小国は、縁に呼び止められて嬉しそうに振り返った。

「何じゃ」

「服のついでだ、部屋も貸せ」

怒りで爆発しそうだった縁が、静かに言った。
ほぅ、と感心した小国は、縁に年寄りらしからぬ厭らしい笑みを見せた。

「君はいい青年じゃのう、しっしっし」

「黙れ!」

俺の苛立ちを知っておきながら揶揄うなと、縁はついに拳を見せた。小国は拳から、筋肉が盛り上がる腕に目を移し、健康な肉体じゃのうと頷くだけで、喜んで縁の頼みを聞き入れた。

「ジイさんの相手は疲れる」

一人残った縁から長い溜め息が漏れた。
ぼやいたが、気持ちは外に出て来た時より軽くなっている。腹は立ったが小国が言いたいことは感じ取れた。
だが縁はこの町に留まる気は無かった。己の罪は人誅で起こした騒動だけではないと自覚している。
縁は診療所の扉を見つめた。

夢主はもう眠っているだろうか。夢主の隣では眠れない気がして飛び出した。だから小国に部屋を頼んだ。
白梅香の香りの中、今までにない衝動に駆られた。何を意味するかぐらい分かる。意思とは関係なく湧き起る衝動だと言うことも知っている。だから今宵は別の部屋で。夢主の笑顔を自ら奪うことは許されない。
縁は冷たい空気を深く吸い込んだ。体中に満ちていく夜気が、縁の熱を徐々に冷ましていった。
 
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