おつまみ

明】雪代縁・微笑みへの旅立ち
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泣き尽くした縁が冷静さを取り戻したのは、夢主の体が夜風ですっかり冷えた頃だった。
どんな顔を見せて良いか分からず、体を離すにも離せない。縁が迷っていると、夢主は迷いを察して縁を強く抱きしめた。しかし、夢主自身もどうして良いか分からずにいた。

「みっともないダろ、優しくなんカないし、俺は」

みっともないな、俺は。縁は感じたままを口にした。これまでの行い何もかもが情けなく、今も夢主を戸惑わせて、苦しめている。俺なんかと自分を卑下する縁に、夢主の戸惑いが強まった。

そんな、と夢主の力が抜け、解放された縁が立ち上がる。
慌てて夢主も腰を上げ、淋しいことを言う縁を再び抱きしめた。

「やめろヨ」

やめないよ、夢主は縁の言葉に逆らって抱きしめている。

「分かっただろ、夢主、俺は優しい奴なんかじゃない、ただの酷い男なンだ」

縁は込み上げる怒りを感じていた。
俺は抜刀斎が嫌いだ。だが俺も奴同様、救いのない男だ。
姉さんはとっくの昔にあの男を許していた。俺がこれ以上あの男に敵意を向けても、姉さんは喜んでくれない。分かっている、分かっているが、長年の想いは簡単に変えられない。

そんな男と同じ罪が俺にもある。元はと言えば俺を追い詰めた奴のせい、だが俺が手を下した一家に落ち度はなく、俺が犯した罪に変わりない。
夢主の家族の命を奪ったのは俺じゃない。だが、そうだったかもしれないだろ、俺が、夢主を殺していたかもしれないじゃないか。

誰に何を悔いたら良い、罪を償う為にどうすれば、赦される方法などあるのか。奴を許せない俺が一番分かっている。何をしても無駄だ。なのに、あの男は罪を背負って生きようとしている。出来るのか、俺にもそんな生き方が。同じ生き方、考えるだけで反吐が出る。

黒い感情が巻き起こり、縁の腕に血管が浮かび上がった。
怒るな、堂々巡りをやめろ。分かっていても、未だに怒りに飲み込まれそうになる。何度想いに区切りをつけても、度々蘇る黒い感情。

縁の異変に気付いた夢主はもう一度大きな体に手を伸ばし、抱きつく腕に力を込めた。
夢主に抱きつかれると何故か縁の昂りは治まっていく。昔からそうだった。そばにいられたら、ずっと穏やかな気持ちでいられるのだろうか。縁は刹那の夢を見たと、首を振った。

「夢主……。お前の為に、俺はいない方がいい」

縁が覚悟して呟くと、夢主は頬を擦り付けた。甘えているようだが、首を振り縁の言葉を否定している。

「離せ、こんな俺に構うナ」

「うぅん、離さない。縁は優しいよ。優しくなきゃ、罪を悔いたりしない。後悔して泣いたりしないもの」

止まらなかった涙は姉の想いとの乖離、悔しさか、淋しさからか。
それとも自らの罪への後悔の涙、でなければ夢主に対する望みかもしれない。
縁は夢主を抱き返しそうになり、手を止めた。

「お前を助けたのもただの罪滅ぼしだ。自分の為にしたんダ」

「ううん、自分の為かもしれないけど、それだけじゃないよ、幼い私を心配してくれたんでしょ。わざわざ旅をして生きる場所を与えてくれるなんて」

「それはっ、だがっ」

「罪は消えないけど……だからって縁が優しくないわけじゃない」

何も言い返せずにいる縁に、夢主は顔をうずめた。腕が痛むほど、出せる限りの力を込めて縁を抱きしめる。
それでも縁の体は平然と夢主の力を受け入れていた。

「一人でいると辛くて、淋しいよね、……淋しさなら、わかるよ」

縁の罪には今も慕う姉の死が絡んでいるのかもしれない。
心を、傷を抉るようで訊けないが、夢主はこれまでの縁の言葉を頭の中で繋いでいった。

「どうすれば償いになるのか、私にもわからない。でも、向き合って生きていくしかないから、だったら私も……そばで……」

「駄目ダ、言っただろ、俺は殺した。お前は……殺された。一緒にはいられナイ、お前を苦しめるから」

夢主は激しく首を振っている。
もう、離してくれ。耐えられなくなった縁は己の体から夢主を無理矢理引き剥した。力尽くで、しかし夢主を傷めぬように、そっと、力を込めて。

「もう下りよう」

縁が夢主の同意を得ず抱え上げる。しがみ付こうとしない夢主の代わりに、縁は力強く夢主を抱え込んだ。
顔が近付いて恥じらいを覚えた夢主は抗えず、顔を隠すように縁にしがみ付いた。

すぐに跳ぶ、そう思ったが縁は夢主を抱えて固まっている。
夢主が恐る恐る顔を上げると、縁は空を見据えたまま口を開いた。

「しがみ付け」

「縁……」

もう十分掴まっている。戸惑う夢主に縁は追い打ちをかけた。

「もっとダ、もっとしがみ付け。もっとしがみ付いてくれ」

困惑した夢主は、更に強く縁に抱きついた。冷えた夢主の鼻先が触れて縁の首筋から体温を感じる。唇さえも触れそうな距離、縁は夢主の息の温かさを感じているだろう。

「そのまま……離すナ」

「……うん」

縁は屋根に上がる時とは全く異なる跳躍を見せた。静かだが、遥かに高い跳躍。
このままどこかへ夢主を連れて行ってしまうのではないかと思うほど、高く長い跳躍だった。

「縁……」

夢主を下ろした縁は目を合わせ、ゆっくりと手を伸ばした。夢主の頬に触れたと思ったら、顔にかかった髪を除けて、縁は目を逸らした。

「先に入ってくれ。俺は後から戻る」

「でも、これ以上外にいたら風邪引いちゃう……」

「いいから、行ってくれないカ」

辛そうに、縁が一人になりたいと訴えている。夢主は後ろ髪を引かれるが、診療所の中へ戻っていった。


まただ。縁は夢主が消えた扉を眺めていた。
いつもならこんな時、姉さんの声が聞こえる。また聞こえない。今夜は聞こえない。
どうしてなんだ。姉さんは、俺に呆れてしまったのか。
でもあの笑顔は、一瞬見せてくれた幸せそうな笑顔、あれは何だったんだい姉さん。

縁は、夢主に触れた手を見つめた。夜の空気ですっかり冷えていた、夢主の頬。

「髪に触れたかったわけじゃナイ……本当は……」

触れた感触を打ち消すように拳を握ると、腕には太い筋がいくつも浮かび上がった。
足元では地面に置かれた手燭が忘れられ、小さな灯は疾うに消えていた。
 
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