おつまみ

明】雪代縁・微笑みへの旅立ち
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取り残された縁は呆気に取られていた。

「何だヨ夢主のやつ。……強いもンだな」

俺なんかより余程強い。羨ましい。いいナ、あいつ。
正直で真っ直ぐで、やっぱり夢主はいい。何がって、何だろうな。
縁は自問自答して、ベッドに寝転がった。

一緒にいると苦しいかと訊かれ、即座に答えが出た。
苦しくない。一緒にいてまるで姉さんと一緒にいるような安らぎがある。いられるものなら、そばにいたい。
縁は素直に認めた。

「姉さんだってそう思うだろ」

問いかけてみても返事はない。

「やっぱりダメなのか、姉さん。俺が夢主を傷つけるからかい、俺だってアイツを傷つけたくはないヨ。姉さん、夢主が傷付くのを見たくないんだね、笑っていて……欲しいン……だね」

──優しいわね、縁

うつらうつらと眠気に襲われた縁は、眠りに落ちる直前、姉の声を聞いた。

「あぁ……姉さん、ありがとう……」

そう言うと縁は眠りに落ちていった。
意識を手放しても縁は夢の中で姉へ語らい続けた。

姉さんは俺の味方でいてくれる。迷った時に支えてくれる。俺がしたコトを褒めてくれる。
でも、時々声が聞こえない。昨日からは、すっかり聞こえない。

声が聞こえないのはどうして、どんな時に聞こえない……。
夢の中で聞く声は確かに姉さんだ。声も言葉も姉さんそのもの。
ならば起きている時はどうだ。姉さんが答えてくれるのは、俺が同意を求めたい時、そうじゃない。俺がしたコトを認めて褒めてくれるが、これからのコトには応えてくれない。

あの頃はどうだ、十年前、夢主を助けた夜、姉さんは久しぶりに微笑って、声を聞かせてくれた。褒めてくれたんだ。
夢主を連れ出し時。あの時は、姉さんが喜ぶ気がした。
簪を差した時は、それも姉さんが喜ぶと思ったんだ。
横浜で出会った時は、助けてやらなきゃと思ったんだ。姉さんの簪を見ていたら、夢主の顔を見ていたら、助けることだけを考えていた。
姉さんの声を聞いた気がしていただけ、聞こえたわけじゃなかった。

──姉さんの声は……俺の声……

縁は自分の声で飛び起きた。
心臓が激しく動き体中が強く脈打っている。耳元で響いたのは明らかに自らの声だった。はっきりと聞こえた。

「姉さんの声は……俺の声、」

姉さんがそう言っている、そんな気がしたから動いていた。

「違うのか、全部俺の意思なのか」

体中に響くほど大きく心臓が跳ねて、手が震えている。縁は自分の手を見つめて、それから部屋を見回した。
鼻が慣れたのが薄らいだのか、白梅香の香りはしない。

「夢主……」

小国と回診に出ている。思い出した縁は机の上の瓶に目を留めた。

「夢主が喜ぶと思ったんだ、姉さんじゃなくて、夢主が」

姉さんに贈る物を選んでいた。でも、手に取った理由は夢主が喜ぶ顔が浮かんだからだ。

「喜んで欲しかった……」

喜んでくれた。必死に「いる!」と訴える夢主を思い出した縁は、小さく微笑んだ。

「俺は……この町が嫌いだ」

だが姉さんと暮らしたこの町は好きだ。夢主が暮らす町になり、愛着が増した。
好きと嫌いが一緒にあるコトは、こんなに苦しいンだ。姉さんは苦しかったんだ、ずっと、ずっと。
俺は幼すぎて気付けなかった。姉さんの心変わりも、姉さんの苦しみも、姉さんの望みさえも。

「ごめんよ……姉さん」

これからの俺に出来ることは、自分には過ぎた力を活かして誰かを助ける生き方かもしれない。
夢主の力になれるなら本望だ。自分のような力は、本当に優しい人間が笑顔で過ごせるよう使われるべき。
怒りや憎しみの為に振るってはならない。罪を償う為にも。
それに、夢主の傍にいれば、黒い感情に飲み込まれそうな時も我を保てる。だがいいのか、夢主を自分の為に利用するのか。

「分からない」

縁は頭を抱えた。夢主は一緒にいたいと言ってくれた。その気持ちを俺は利用するのか。
姉さんの声が聞こえないのは俺のさもしい気持ちのせいなのか。いや、そもそも姉さんの声じゃなかった、俺の声だったんだ。ならばあの笑顔、夕べの笑顔は。あれは間違いなく姉さんが微笑ってくれた。

「夕べ幸せそうに微笑っていたのはどうして、何をそんなに……幸せそうに、まるで何かを喜んで……」

俺の為に微笑ってくれたの、夢主の為なの。夢主の傍にはいられない。その考えも間違いなの。許されるなら、この町で。

「どちらにしろ、このままココに居つく訳にはいかない」

思い巡らせた縁は首を振った。


夢主が部屋に戻ると、縁が一人立ち竦んでいた。部屋の空気が周囲と異なる。窓から差し込む陽とは対照的に、重々しく淀んだ空気が縁を包んでいた。

「縁、あの……上着、ありがとう」

様子がおかしい。回診の間に何か起きたのか。夢主が上着を渡すと、縁は受け取ってそのまま羽織った。夢主が「えっ」と顔を強張らせる。

「ココを出る」

縁が夢主の横を通り過ぎ、後ろ姿を見せると夢主は大きく膨らんだ袖を掴んだ。二人には懐かしい感覚。あの頃と違うのは、小さく丸く感じた幼い手が、すらりと指が伸びた大人の手に変わったこと。下に引っ張られた袖も、今では後ろに引かれる。大人になったな、縁は静かに振り向いた。

「少し……時間をくれ」

「何かあったの縁、急にどうして」

袖を引く力は縁にとって今も昔も変わりなく弱い。振り向いた縁が腕を上げ、掴んでいた夢主の手が力なく落ちた。
縁は大きな手で夢主の頬にしっかりと触れた。途端に夢主は頬を真っ赤に染める。縁は今にも夢主を引き寄せそうだ。頬から後ろ首に手を滑らせるが、躊躇いを見せて手を離した。

「お前を見ていると、触りたくなるんだ。こんなの、初めてダ」

「ぁ……」

真っ赤な顔で固まっている夢主を見て、縁はふっと表情を和らげた。

「一度京都へ行って、姉さんに会って来る。姉さんの……墓参りだ」

「お姉さんの……」

「あぁ。姉さんに挨拶をしたら戻って来るから、心配するな」

「本当に」

緊張と嬉しさで夢主の声が上ずっている。またここへ縁が戻って来てくれる。本当なのと、本音を窺っている。

「お前は危なっかしくて放っておけナイ。それに、傍にいると……落ち着く……」

「私……」

「でもどうしても姉さんに会いたい。姉さんの前で直接、伝えて、聞きたいコトがある」

ありがとうと、ごめんなさいを伝えたい。それから答えが聞けるか分からないが、笑顔の意味を聞きたい。

「姉さんは俺にとって母親代わりでもあった。本当に大好きだったんだ」

「縁……」

「戻ったら、全部話すヨ。お前には聞いて欲しい」

姉についても、犯した罪についても、まだ迷っているコトも、全て聞いて欲しい。贖罪を続ける生にお前を巻き込むかもしれない。お前はどう受け止める。俺を拒んでも構わない。でも全てを打ち明けてみたい。縁は初めて姉以外の誰かに心を開こうとしていた。

「わかった。……ありがとう縁、待ってるね」

縁の決意を悟った夢主は頷いた。縁は葛藤を抱えている。その葛藤から逃げずに向き合い、全てを打ち明けようとしてくれている。自分に向けられる信頼が嬉しくて、夢主は微笑んでいた。

「お前のその顔、姉さんが微笑っているみたいだ」

「えっ」

「お前はお前だ、似てナイ。でも夕べ、お前に姉さんが重なって見えたンだ。姉さんが何かを喜んでいるみたいだった。あんな姉さん、初めて見た」

「お姉さんが喜んで……」

夢主は不思議な話を真摯に受け止め、縁の姉の気持ちを考えて頬を染めた。
何かに怒り、罪に苛まれて生きてきた縁が、初めて誰かに想いを向けた事が嬉しくて、姉は微笑んだのでは。
自分の口からはとても言えない、自惚れた考え。でも大切な弟が抱いた幸せな感情を喜ぶ優しい姉の笑顔、そう感じた。

「いつか、わかるかもね」

そう言って夢主は恥じらいながら首を傾げた。縁が慣れない微笑みを返し、それを見て夢主が簪を引き抜いた。十年前、縁がくれた簪を今度は夢主が差し出す。簪が二人の約束を繋いでくれる気がして、願いを込めた。
 
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