おつまみ

明】新人教育は潜入捜査
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二人は警視庁が用意した馬車に揺られて、町外れの商館に到着した。
完成して間もない豪華な洋館造りの建物。人の背丈の倍はある立派な玄関に次々と人が消えていく。

「いい、集まっているのは商人達。中でも権力者よ。商船を持つ大豪商、御用掛もいるわね。それから大陸の商人達。新たに商売を始めたい資産家も幾人か。伝手を頼りに参加する若夫婦も」

「ここでワイらは何をすればえぇんや」

「大陸との商売に興味を持つ若夫婦。先日武器商組織を一つ潰したでしょう。でも日本への武器流入の動きが止まらないみたいなの。新たな組織を見つける為の情報収集。それが任務よ。深追いは禁物」

「ほぉん、なら普通に晩餐会と舞踏会を楽しんで聞き耳立てたらえぇんやな」

それだけじゃ駄目。しかし今はその気にさせておこう。夢主は厳しい目つきで頷いた。


「早速踊っとるで、洋装の夫婦も多いな。ワイ"だんす"なんて踊られへんけど、くるくる回ればえぇんか」

洋装のドレスに大陸のドレス。着物姿の夫人が一人もいない、明治において異質な空間だ。
張は面白がって部屋の中央に行こうと夢主を誘った。

「ちょっと、目立つことは止めて!」

「何や勿体ない、あんさんも折角綺麗に変身したのに」

夢主の腰に手を当てた張、踊りに誘うが、そもそも踊りの練習をしていない。夢主は慌てて張を止めた。
急な任務で準備に時間が取れなかったから仕方がない。男達は夫人や令嬢を連れているが、全ての女が踊れるわけではない。ぎこちなくても構わないが、人目を集めるのは避けたかった。

「ほんなら食べ物探そうや」

「貴方呑気ねぇ」

「だって何もせぇへんのもオカシイやろ」

「そうだけど」

「ほな決まりや」

張は軽く言うと、夢主の腰に置いたままの手を滑らせて体に触れた。
怒った夢主が張の手を払い、額を強く指で弾いた。

「痛っっ、夫に対して酷ないかっ」

「貴方が調子に乗るからよっ」

真っ赤な顔になってしまった夢主だが、目立たぬよう小声で張を窘めた。
それでも何人かがこちらを見ている。
渋々反省する張を引きずって、夢主は広間から逃げ出した。

「もう、調子が狂うじゃない、出だしから失敗よ!」

「悪かったって、でもアンタもアカンで!人前で夫にあんなコトしたら!」

「だって、反射的に……仕方ないでしょ」

ほれほれ、と張が指を動かしている。

「ごめんなさい……」

人目を引くきっかけを作ってしまったのは自分。悔しいが夢主は認めて小さく謝罪した。

「物分かりのえぇ夢主はんや!ソコは斎藤のオッサンと正反対やな、夢主はんと組めて嬉しいわぁ、これからも末永くよろしゅう」

「冗談言わないで、私はゴメンよ!あんな厭らしい触り方するなんて!」

「夫婦なんやからアレくらい普通やろ」

「人前ではしないでしょ!」

「なんやあんさん、ウブなんか」

「なっ」

二人が歩く廊下は、ここでも舞踏会が開けるほど広い。少し気を抜くと声が響いてしまう。夢主は大きな声を出しそうになり、気を引き締めた。
壁にも天井にも豪華な装飾。荘厳な扉が幾つも並ぶ。窓には勿論高価な硝子が嵌められている。館の持ち主の財力が計り知れない。

「ちょっとは静かになさいよ」

「この状況で黙れっちゅうほうが無理やで、それにしても部屋が多すぎて分からんわ。食事の部屋っちゅうのはホンマにこっちなんか」

広間を離れ部屋を探索したかった夢主は、張を騙して広間から引き離していた。
何の楽しみも無く任務にあたる男に見えなかったからだ。

喋りが止まらない張に溜め息を吐いて、夢主はいつしか張の後ろを歩いていた。
先導するのも馬鹿々々しい。後ろから見張ったほうが気が楽だ。

「このまま真っ直ぐよ」

夢主は張にひとつ任務を隠していた。
催しに集まった人々の顧客名簿の確認だ。奥にある館の主の部屋に収められていると報告があった。

怪しい人物も今のところ見かけない。このまま主の部屋を物色して、ついでに屋敷を一回りして戻ればいい。
そう思って油断した一瞬の隙を突いて、夢主は突然廊下から部屋に引き込まれた。

一人喋り続ける張が後ろを振り返って夢主の消失に気付いた時には遅かった。

「夢主はん……どこ行ってん、嘘やろ……」

どこで消えたかも分からない。視界にある扉だけで十は越える。

「ど、どないせぇっちゅうねん」

張の額から汗が流れ落ちた。


一方、突然口を塞がれて部屋に引き込まれた夢主は、唸り声を上げて暴れ、ようやく自由を取り戻したところだった。

「んんっ、何をする、無礼者っ!」

貴人を装ってみたが、相手には通じなかった。
夢主と似た年頃の男がほくそ笑んでいる。斎藤に似た笑みだが、好意が持てない点で正反対。
体付きもスラリと細い斎藤に対して、無駄に身に付いた筋肉が邪魔そうだ。

「独り者でね、相手を探していたんですよ。一緒に踊っていただけませんか」

「何を言っているの……ダンスの相手なら広間で探しなさい。それに私は夫が」

張の姿を思い浮かべて口にする「夫」の言葉に口元が歪む。
自分らしからぬ動揺に、夢主は慌てていた。

「夫に触れられて怒る妻。人前で夫に暴力を振るい、挙句偉そうな物言い。夫婦ではなかろう、差し詰め」

男は夢主に詰め寄った。紳士的な所作を見せる割に、不躾に顔を近付ける。

「政府の犬だな」

「な、何を馬鹿なっ」

「本当か」

ちらと視線を落とした男は、見えた夢主の太腿に武骨な手を乗せた。

「このっ、離せ下衆野郎が!」

「ククッ、やはり政府の犬だな。並の婦人なら恥じらって泣き出すところだ」

「チッ」

簡単な手に引っかかってしまった。
夢主は自らの重なる失態に舌打ちをした。
密偵と言う身分だけは伏せなくては。豪商が集まるこの場から金目の物一切を奪いに来た賊。せめて誤魔化せたら。まずはこの男を伸して金品を奪う。まず、この男を倒さなければ。

「来い」

「お望み通り!」

男の挑発に乗り、夢主は強烈な蹴りを入れた。躱されたが、予想通りと体勢を立て直して二発目、今度は勢いをつけた回し蹴りを放った。
当たった、夢主が手応えを感じた瞬間、足は男に触れず、自らの体が不自然に大きく傾いた。
 
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