おつまみ

現】あけまして、おめでとう
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仕事を終えて鞄を手に、部署の扉を押した。
広いフロア、扉は重たい強化ガラス。向こうに見える通路に人はいない。俺が最後の一人か。
さっさとフロアを出たい俺は、重たい扉を軽々と押し開けた。

角をひとつ折れたらエレベーター。それに乗れば脱出完了。
ちょうど止まっていればいいが、ウチのビルのエレベーターはさほど賢くない。他の連中がすっかり出払っている今、全て1階で止まっているだろう。

「ちっ、面倒だな」

角を折れながら呟くと、その先にいた女がビクリと肩を撥ねさせた。
まだ残っている者がいたとは驚きだ。

「す、すみません、あの、私は階段で下りますから」

「待て、お前が先に待っていたんだろ」

女は、俺のぼやきを自分に向けられたものだと勘違いした。俺は女を呼び止めた。先に待っていた人間が遠慮する謂れはない。それに、ここは高層階。

俺からすれば待たずに済んでありがたい限り。もうすぐエレベーターが到着する。

「驚かせて悪かった。お前は……隣の部署の」

「はい、特務補佐の苗字夢主です、何度か打ち合わせでお会いしましたね」

「あぁ、覚えている」

女の名を確かめたところで、エレベーターの扉が開いた。

二人で乗り込むと、妙なものだ。互いの距離を意識してしまう。夢主はそわそわと落ち着かない。
どうした、と聞くのも無粋だな。
初対面に近い男、しかも仏頂面で悪人顔と言われる男と密室で二人きりになったんだ、落ち着かんだろう。

「遅くまでいたんだな」

「ウチの会社は年中無休ですからね」

気を使わせている詫びのつもりで話しかけると、夢主は気まずそうに笑った。

そう、今日は大晦日。間もなく日付が変わる。
こんな男と二人きりで年を越すなど不憫だな。せめて日が変るまでに1階に着けばいいが。

階数表示器の数字が一桁に入り、カウントダウンが始まる。
9……8……7……
まるで年明けまでを数えているようだ。

俺達は無言で減っていく数字を見上げていた。

数字が1を示す直前、夢主の鞄の中でスマホが震えた。
何度も振動を繰り返している。恐らく、階数表示器が0を示すより早く、年が明けたのだろう。
夢主には祝いのメッセージをくれる友人が何人もいるらしい。静かな空間に響いた振動音と重なり、エレベーターの到着を告げる音が鳴った。

扉が開き、俺は無言で進み出る。
あっ、と小さな声が俺を呼び止めた。

夢主はスマホを取り出して友人らとの時間に入るはず。これ以上気遣わせぬうちに去ろうとした俺を、何故夢主は呼び止める。

社交辞令で新年の挨拶か。
面倒だが仕事で関わるのだから無下にも出来ぬ。

振り返ると、

「お誕生日、おめでとうございます」

思わぬ言葉を掛けられた。

「何」

「あの、お誕生日おめでとうございます。すみません、斎藤さんのお誕生日、聞いたことがあったもので」

人が多い会社だ、俺が黙っていても人に伝わることはある。
誰に聞いたと、夢主を責めても仕方がない。折角、祝ってくれたのだから。

「祝ってもらう歳でもないがな」

「あっ……」

「だがまぁ、その言葉を聞いたのは久しぶりだ。驚いたが、悪くはない」

曇りかけた夢主の顔に、笑顔が浮かぶ。
ウチの会社にこんな素直な人間がいたとはな。

「苗字夢主、か」

「は、はい」

「駅まで行くんだろう、送る。真夜中なうえに"新年"にかこつけて馬鹿をする野郎どもがいるからな」

「あ……ありがとうございます、本当を言うと、ちょっと怖かったんです」

まぁそうだろう。

「夜道も、貴方のコトも」

予想しなかった素直な一言だ。
面白い。
言ってくれるな、と夢主を見ると、悪びれもせず「ふふっ」と微笑みを返された。

「ククッ、重ね重ね悪かったよ、怖がられるのには慣れているが、コッチもわざとじゃないんでな」

「はい、ごめんなさい斎藤さん。本当はお優しい方なんですね」

「フッ、阿呆が」

勘違いして懐くなよ。この俺が優しい男なもんか。
俺は会社唯一のセキュリティ、IDゲートを出ると、IDカードを胸ポケットに挿して、代わりに煙草を取り出した。
構わんか、と目を見るや、夢主は困った顔で頷いた。煙草は苦手らしい。

外に出て二人の間を冷たい風が吹き抜けると、夢主が無意識に一歩、俺に体を寄せた。
街灯の下を行き、紫煙を風に流しながら、俺は何故か夢主が煙草に慣れるよう願っていた。
 
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