おつまみ

幕】桜風
1ページ/2ページ


京を囲む山々に点々と山桜が見える。町の桜は一足早く、終わりの季節を迎えていた。
町の温かな空気を切り裂くように、時折、花風が吹きつける。夢主が眺める庭は囲まれた空間故か、風が吹いても砂が舞うことはなかった。ただたまに、桜の花びらが運ばれてきた。

風の音や鳥の声以外、何も聞こえない、自分だけが存在している。そんな静寂の一時が終わりを告げたのは、巡察に出ていた皆が戻った時だった。賑やかな男達の声で、風の音や鳥の声も届かなくなる。一気に世界が変った。うら寂しくも感じた静かな空間に、日常が戻ったのだ。

隊士達が相部屋へ各々戻って行く。斎藤もすぐ部屋に戻ってくるだろう。庭を眺めていた夢主が視線を動かすと、姿が見えるよりも先に足音が聞こえた。真っ先にやって来たのは、沖田だった。それも急ぎ足で、駆けて来た。

「どうしたんですか、沖田さん」

「いえ、今戻って羽織を脱ぎましたらね、これが落ちてきたんです」

「桜……」

足早に現れた沖田は、桜の花びらを摘まんでいた。夢主に見せると楽しそうに微笑んで、花びらは庭に捨ててしまった。夢主は反射的に、つづら折りのように落ちていく花びらを目で追った。

「えぇ。歩いている間とても目についたんです、桜。風が強いから僕らに向かって飛んでくるんですよ。これは夢主ちゃんに呼ばれているんだなぁっ思いましてね、あははっ」

「だから、急いでいらしたんですか……」

沖田は恥ずかしげもなく、風に煽られた桜は夢主が自分を呼ぶ声だと語り、体についた花びらを持ってきた。
例えられた夢主のほうがどこかむず痒い。苦笑いを浮かべて気まずさに困っていると、部屋の主が戻り、夢主の困惑を打ち消した。

「フン、くだらん」

「斎藤さん! あ、あの、おかえりなさい」

斎藤は夢主の挨拶に一瞥を送るとすぐに、不快な視線を沖田に移した。
部屋の主である己より先に踏み入り、己が預かりの身である夢主に帰りを告げる。沖田の些細な先回りに、斎藤は不満を見せた。他愛のない出来事で、苛立ちを覚えるまでもない。だが、いい気はしない。不機嫌な横目で沖田を捉える斎藤は、全てを撥ね退ける険しさを纏っていた。所が、夢主は斎藤に向かって手を伸ばした。

「あ、斎藤さん……」

不機嫌さに警戒が加わり、斎藤が夢主を見る目は厳しかった。それでも夢主は恐る恐る、真っ直ぐ手を伸ばしていった。

「斎藤さんにもついてました、桜です」

斎藤の体に触れぬよう、夢主は繊細な手付きで桜を取った。遠慮と緊張に満ちた仕草に、斎藤の眉間の皺が一層深まった。

「私、斎藤さんのことも呼んでたみたいです。なんて、ふふっ」

夢主は微笑んでみたものの、居たたまれずに赤らんだ顔で目を伏せた。はにかんだ冗談は、男達のほうが照れくさい。摘まみ取った花びらを見つめて頬を染める姿に、斎藤が今度は溜め息まじりで鼻をならした。眉間の皺は、すっかり消えていた。

「フン、ちょっと来い、夢主」

突然の言葉に、夢主の大きな目が何度も瞬きをする。命令にも似た強い言葉。夢主が見せた反応に、斎藤は何を大袈裟なと睨み、無言で顎を振って再度来いと促した。

「君もだ、沖田君。土方さんが決めた面倒な縛りがあるからな」

「あ……あぁ成る程、そうですね、参りましょう」

「えっと、その、どちらへ」

「決まっているだろう」

斎藤が夢主の手元に視線を落として、ようやく夢主の顔が晴れた。
ふたりは夢主を花が吹雪いて美しい壬生寺へと連れ出した。



境内の桜の木が風に吹かれて、舞い散る無数の花びら。これだけ散っては木に何も残らないのではと思えるほどだ。しかし見上げてみれば、枝には可憐な花が溢れていた。陽と影の間で風に揺れている。

「綺麗……」

溜め息のように呟いて、夢主は桜を見上げた。揺れる花房、吹き抜ける風が見せる花吹雪。刹那の情景に大きな目を更に丸くして、瞳に散りゆく花びらを映している。
呼吸も忘れて花の景色に浸りかけた夢主が、ふたりの視線に気づいて我を取り戻した。今日の日差しに似た温かな視線に、夢主の頬が色づく。順に目が合い、ふたりの眼差しは一層穏やかさを増した。優しすぎる視線に、夢主は声を籠らせた。

「ぁ、あの、ありがとうございます、こんな素敵な景色を……」

「気にしないでください、こんなに目と鼻の先なのに行き来できないのがおかしいんですよ、ねぇ斎藤さん」

「面倒だが土方さんの決め事は一理ある。仕方あるまい、ちょっと出るくらい、いくらでも付き合ってやるさ」

「ぁ……ありがとう……ございます」

桜に酔いでもしたのか、夢主の頬はそんな色に染まっていた。ふたりの気遣いが身に染みる。感謝の気持ちが膨らみすぎて、夢主は申し訳なさで身を縮めた。

「せっかく来たんですから、顔を上げてください」

そう言って沖田が夢主を覗こうとした時、強い風が吹いて、地面に積もった桜が花吹雪を起こした。舞い上がる桜を見て自ずと顔が上がる。まるで桜が「顔を上げて」と誘うように舞い上がり、見守っていた斎藤は口角を上げた。

「沖田君は桜がお前の声を届けたと言ったが、実の所、桜がお前を呼んだのかもしれんな」

「桜が……」

「ははっ、夢主ちゃん好きですものね、この景色。散ってしまう最後の間際、桜が夢主ちゃんに見て欲しいと願っても不思議じゃありません。この辺りで一番この桜を美しいと言ってくれるのが夢主ちゃんだと知っているんですよ」

「そんなコト……」

「木の気持ちなど阿呆臭い考えだが、お前相手だとどんな幻怪も起こりうる気がするな」

ククッと揶揄い笑ったが、斎藤はそれもいいんじゃないかと首を傾げて見せた。
すると、「そうだ」とばかりに穏やかな動きで花びらが数枚降ってきた。幾つかは頬を掠めて落ちていき、夢主は目を細めた。

「あっ、動かないで夢主ちゃん!」

「えっ」

「じっとしてください!」

「っ……」

突然の叫びに夢主は体を硬直させた。斎藤の視線が突き刺さるのを感じるが、沖田に言われるがまま動きを止めて息さえ潜めていると、沖田の手が夢主の頭に触れた。

「……ほら、取れましたよ、花びらです」

「も……もぉっ、虫かと思ってビックリしたじゃありませんか! 沖田さん!」

「あははっ、怒らないでください」

沖田は花びらを放り、はしゃいで謝った。悪い冗談ですと怒る夢主も大きく動いて地面の花びらを躍らせる。花びらの中ではしゃぐふたりの様子に、斎藤は眉根を寄せた。

「フン、夢主には確かにでかい虫がついているようだな」

「失敬な、貴方のほうがよほど大きな虫でしょう!」

「一緒にするんじゃぁない。虫は君だけだよ、沖田君」

はらりはらりと優しく花びらが散る中で、斎藤と沖田はいつもの言い合いを始めた。
ぽかんと口を開けて見守る夢主だが、これもまた好きな光景だった。あけすけに言い合うふたりはいつも楽しそうで、清々しさすら感じる。行き過ぎることもあるが、このふたりにしか出来ない言葉の掛け合いだ。

「ふふふっ」

夢主の笑い声でふたりの言い合いが止まる。

「おふたりとも、髪の毛についてますよ、ふふっ」

ひとつ、ふたつ、落ちていく花びらを見れば、自分達の頭にもつくだろうと容易く想像できた。斎藤は頭を振って花びらを落としたが、沖田は首を傾げて夢主に甘えようとしている。魂胆を見抜いた斎藤が、沖田の頭を軽く叩いて花びらを払い落した。

「何をするんですか、乱暴な!」

「払っただけだろう、親切にな」

不貞腐れる沖田を余所に、斎藤は夢主を目の端に入れると、静かに近づいた。

「ぁ……」

斎藤の手が伸びる。気づいた夢主は、肩を強張らせて紅潮した。何も起きはしない、分かっているのに、夢主は過度な緊張を見せた。

「お前にもついていたぞ」

夢主の頭に触れた斎藤が取ったのは、花の形を保った桜だった。

「桜一輪、お前にだけこの姿で落ちるとは、この木もやるな」

そう言って、斎藤は桜の花を夢主に手渡した。夢主の緊張が解れて頬が弛み、斎藤もにやりと微かに笑んだ。

「持ち帰るか」

「は……はいっ」

今夜は一献やるかと斎藤が薄ら笑むと、不貞腐れていた沖田が「いいですね」と話に加わった。機嫌を取り戻して、そうしましょうそうしましょうと騒いでいる。乗り気なふたりとは対照的に、酒を躊躇う夢主は頷けずにいる。

「案ずるな阿呆、お前は水でも飲んでいろ」

「すみません、お付き合いできなくて……」

「謝るコトではありませんよ、夢主ちゃん。でもなんだかんだで夢主ちゃんもお好きですからね、僕達を見ているうちにきっと呑んじゃうんでしょうね」

「そいつは言えている」

「私は、そんなっ」

「いいじゃありませんか、お水でもお酒でも」

酒が入ると周りに迷惑をかけてしまう。夢主が口を噤んで小さく唸っていると、ひらりと一枚、肩に花びらが乗った。それを斎藤は撫でるようにそっと払ってやった。

「俺達の前で過ごす一時ぐらい、気を弛めても良かろう。お前はすぐに強張るからな、気を張りつめ過ぎだ」

「はぃ……」

夢主が元気ない声で俯くと、さらさらと木が鳴った。柔らかな風が吹いて、花を乗せた夢主の手の平に、もう一輪の桜が落ちて来た。

「こいつはまた、面白いもんだ」

「えぇ、夢主ちゃんを励ましているようです。その通りだと言っているんでしょう、もう少し気を弛めても良いと」

「そうでしょうか……」

「水と酒、それぞれの器に入れて欲しかったんじゃないか、この桜は」

「両方に……」

手の平で、桜が頷くように傾いた。

「私、一杯だけ戴いてもいいですか」

「あぁ」

「もちろんですよ」

ふたりの言葉に夢主が微笑んだ時、再び強い風が吹いて、夢主の体を押した。
手の上の花を落とさぬよう、手のひらで軽く包んで守る夢主を転倒から守ったのは、斎藤だった。
まるで強い風と桜が、夢主を斎藤に寄り添わせたように見えた。

「ぁ、あのっ、ごめんなさ……」

慌てて離れようとした夢主が更に体勢を崩した。斎藤は舌打ちをして、夢主を支え直す。

「そいつが余計だと言うんだ、阿呆が」

こんな時ぐらいは甘えて身を預けろ。斎藤は夢主の耳元で囁いた。沖田の茶々が入らぬよう小さな声で短く言い、すぐさま顔を離した。
僅かな時間だが、夢主にとっては耳の中から体中に熱い突風が吹き抜けたような感覚だった。あ……と声にもならぬ息が漏れる。その息すら、熱く感じられた。

「分かったな」

夢主の変化を知ってか知らずか、斎藤は体を離す瞬間、念押しするように夢主を掴む手に力を籠めた。

「は、はぃ」

吐息のような声で返事をしてしまい、夢主の火照りが増した。恥ずかしさが極致に達し、頬が瞬時に色づきを強める。斎藤は夢主を隠すように、まだ明るいが戻って始めるかと屋敷を見て、袖を広げながらぐい吞みの仕草を見せた。

「いいですね、善は急げです!」

沖田は一足先に寺の門まで駆けて行き、夢主を手招いた。
遠くに見える無邪気な姿に夢主の羞恥は解れ、素直な笑い声を響かせた。
「早く」と叫ぶ沖田に「今行きます」と応じて振り返り、桜に別れを告げた。
花が散ってもまた来ますと告げ、来年の花も楽しみにしていますと告げて微笑むと、さらさら静かな花吹雪が起きた。

「まるで言葉が伝わっているようだな」

「ふふっ、本当に。不思議ですね」

舞い散る花びらを体に受けながら、ふたりは互いに微笑んだ。

「行くか」

「はい」

門へ向かう夢主と斎藤を見送るように、桜吹雪は静かに続いた。







──完──






❖後記❖ >>
 
次へ
前の章へ

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ