-短篇

大】大正斎藤浪漫譚
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斎藤の身を包むのは、明治警察の制服。
この姿は今の時代では浮いた装いかもしれない。
慎重を期して人が少ない道を選び、斎藤は目的の地で足を止めた。懐かしい門を見上げている。

「中には、入れそうもないな」

斎藤は、思い出深い我が家を眺めていた。
聞こえてくるのは、覚えのない声。
子供達は別に住まいを持っていた。かつての我が家も、既に見知らぬ誰かが住んでいるだろう。そんな気はしたが、現実を突きつけられると少なからず思うところがあった。

脳裏に浮かぶのは夢主の姿。門をくぐれば、あの笑顔が出迎えてくれるのでは。そんな甘い願いを抱いてしまう。
斎藤は首を振って、迷いを打ち消した。
誰かが玄関へやって来る足音がする。姿は見まいと、斎藤は門前を立ち去った。



脇の小道に入り、癖のように小さな木戸を押す。
裏口から井上道場に入ると、庭に出たところで背後から木刀を突き付けられた。
もちろん、斎藤は近付く気配を分かっていた。

「誰だ貴様、挨拶もなく不躾な。我が道場に何用か」

気配の主は、井上道場の主だった。
木刀を突き付ける相手に対し、斎藤は「警戒するな」とゆっくり体を動かす。その顔はどこか嬉しそうだ。
振り向いてニッと口角を上げる男に、道場主が目を丸くした。

「何故貴方が……藤田……五郎殿」

道場主は井上龍雄、斎藤と夢主の間に生まれた三番目の子だ。
沖田こと井上総司の元で育てられ、技を引き継ぎ、主亡き後も道場を守っていた。

「大正十年ならば、お前は三十半ばと言ったところか」

己が志々雄一派討伐に励んでいた年頃を迎えた男、血が繋がった男、盟友へ託した我が子。
不思議な感覚で、ふたりは見つめ合っていた。

龍雄は生まれてすぐ養子に出され、成長するまで真実を知らされなかった。
養子の約束も、事実を告げる時期も、龍雄が生まれる前に双方の話し合いで決められた。
出生を明かされてからも、龍雄の心にとりわけて変化は無かった。

藤田五郎、龍雄にとっては実の父。父とは呼べぬ関係で育ったが、しょっちゅう顔を見ており、その功績も知っている。そばで成長も見守ってくれた。
龍雄にとって、養父同様に尊敬できる人物だった。

「どうして貴方が、それにそのお姿」

「俺にもさっぱりだ」

十年も前に見送った人物が、若い姿で立っている。
混乱する龍雄だが、当人はその混乱を受け入れている。
己も事実を認めるしかないと、斎藤の姿をまじまじと見つめた。

上野の山で目覚めてからまだ間もないが、斎藤は井上道場へ辿り着くまでの仔細を話した。
全てを理解し、行き場が無ければここを使ってくださいと申し出る龍雄だが、気持ちだけで十分だと斎藤は断った。

「それより、話が聞きたい」

何か目的があるらしい。
龍雄は斎藤の問いに耳を傾け、真摯に応じた。
まずは三つの問い。身近な者の近況、斎藤と共に逝った夢主の死、二人の息子の不在。
軍に入ると共に家を出た勉も今は所帯を持っており、次男の剛は海外で商売をしている。
故に斎藤と夢主が暮らした家は、龍雄の管理の元、人に貸していた。

身近な者達の状況を把握した斎藤は、昨日今日、この東京や道場で何か異変が起きていないか訊ねた。

「いえ、特には」

養父の教えで道場の門は解放されている。留守中、誰かがやって来ることもある。
だが物を盗られたり、荒らされたりすることは無い。道場主の力は知れ渡っており、助けを求めに来る者はいても、手を出す馬鹿はいなかった。この二日間、その助けを求める者も訪れていない。

「何かあれば最寄りの警察署に伝言を残せ」

「警察署にですか、もう一度警察で勤めるのですか」

「いや、人探しだ。ただまぁ、仕事は必要だな。上手く話を進めるさ。伝言は警察署、藤田五郎宛に残せ」

斎藤が言い聞かせると龍雄は黙って頷いた。
一番の目的は人探し。
警視庁に行きたいところだが、話を通すなら警察署が楽だ。
時間の経過が十年なら己の顔を知る者がいる。警視庁は上の人間が変わっていれば話がややこしい。
まず警察署で署長に話をつけ、それから警視庁だ。

考えをまとめた斎藤が敷地の外に出ると、明神弥彦が待っていた。
話は全部聞いたぜ、と表情が物語っている。

「いくら何でも話がややこしくなるだろ。今の署長は新市だ。話は通じると思うが、俺が話を通してやるよ」

「そいつはどうも」

警察で早く話をつけたい斎藤は、見事に気配を消した弥彦の能力に免じて、同行を許した。
 
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