-短篇

大】大正斎藤浪漫譚
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斎藤は倉庫で手に入れた服に着替え、再び町に繰り出した。
倉庫に足を踏み入れた時は、埃っぽくかび臭い空気に顔をしかめたが、運び出した服は丁寧に入れられた木箱のおかげか、嫌な臭いはしない。

署長である新市の計らいで捜査協力費を得ており、苦労せず夢主を探せる。市民の捜索は警察の職務、協力者への資金提供は当然だとは、柔軟な対応だ。
斎藤は真っ直ぐ吉原を目指した。
花街に足を踏み入れる事すら何十年ぶりか。明治四十四年の吉原大火で、記憶にある吉原は消えている。
それでも昔と景色は似ている。斎藤は記憶と比べながら廓内を進んだ。

入り口の大見世から順に、格子越しに妓達に声を掛ける。妓達は珍しい類の男の登場を嬉しがって話に応じるが、人を探していると聞くや態度は一変する。
それでも斎藤の巧みな話術に嵌り、妓達は頬を赤らめて問いに応じていた。

廓の奥に進み見世が無くなると、直接中を覗いて話を聞く。
廓内を一周したが、夢主の姿はなかった。

安堵した斎藤は廓を出る前に振り返り、吉原の通りを眺めた。
廓内の様子は相変わらずだが、以前より覇気が失われている気がした。良いか悪いかは問えぬが、淋しさに似た感覚が湧きおこる。

廓を出ようとした寸前、立ち止まった斎藤に目を止めたのか、入り口傍の妓楼の妓夫が通りに出てきて、斎藤を呼び止めた。

「今日はいい子がおりませなんだか、どうです、うちでもう一度、よくご覧になっては」

奥にもおりますよと誘われて、斎藤は妓楼の内部に目を向けた。
妓楼の奥では火鉢に火をつけようと男が急ぎ、炭が跳ねたらしく「あっちぃ」と騒いでいる。その隣にある中央の階段を下る妓がいるが、探し求める夢主ではなかった。

「いや、結構。悪いな」

やはりここにはいない。確信した斎藤は足早に廓を後にした。

一日かけて吉原の他、都内に点在する花街を巡り聞き回って探したが、夢主はいなかった。
冷たい空気の中を急ぎ歩く斎藤の体温は上がり、吐く息はとても白かった。



夜、斎藤は警察署の資料室で、長椅子に体を横たえた。
結局、手掛かりは得られなかった。
しかし無駄足ではない、花街は捜索から外して良いと判断できる。有意義な一日だった。

長椅子は資料で埋もれていたが、机に移して積み上げた。元々机にあった書類の山が崩れたが、斎藤は手に取る気になれなかった。
今夜はもう眠りたい。
長く眠らなくても良い体質の斎藤だが、今宵は深く長い眠りに就いた。
夢の中でも夢主を探し求めていた斎藤は、差し込む朝日に起こされた。



この日から、探しても探しても夢主が見つからない日々が始まった。
斎藤は夢主の縁の地を訪ね歩いた。

赤べこは浅草一帯を巻き込んだ吉原大火の被害を受けていたが、店舗を失ったのは初めてではなかった。
仮店舗を建て、本店舗を建て直し、代替わりを経ても繁盛を続けていた。
しかし肝心の夢主の情報は得られなかった。

浅草を歩く斎藤は、すれ違う女の顔を漏らさず確認していた。
楽しそうに歓談して道を行く女達。どの笑顔も笑い声も、夢主とは比ぶべくもない。
丸一日浅草を歩いたが、この日も手掛かりは得られなかった。

ある日はドブ板長屋を訪ね、微かな望みを託して、とうに消えた新聞屋を探した。
予想通り、随分前に新聞屋がいなくなった事が判明しただけだった。

落人群を訪れた日は、新たな時代の闇を見た。
落人群は解体されていた。時代の流れは、人が落ちる事すら許さなかった。人々はどこへ行ったのか。知る者はいなかった。

吉原の北にある浄閑寺、夢主が世話になった寺を思い出して訊ねた日もあった。
覗くと境内に女がいる。
夢主ではないかと近付くが、振り返った顔は別人だった。
愛らしいが夢主とは違う、同じ顔の女は二人いた。寺に縁があり、お礼参りに来ているらしい。
女達が上がった部屋で、小僧が火鉢に炭を追加している。慌ただしい仕草の後に跳ね炭が起きたらしく、熱がって手を引っ込めた。
住職が「急いでつけるからですよ」と小僧を窘めていた。



探索に行き詰った斎藤は、ある夜、資料室の窓際で月を見上げていた。
いつの夜か、夢主を背後から抱きしめて共に見上げた月によく似ている。

似ている。
当たり前だ。
月は変わらない。

斎藤は一人笑った。

「どこにいる、俺は探すのが得意だと言ったが、少々……堪える」

溜め息を吐いて立ち上がり、長椅子に寝転がった。
古びているが、綺麗に整った天井の枡目が見える。

前回夢主を探したのはいつのことだ。
戊辰戦争が終わり、東京へ出て来た時だ。
あの時は早かった。三日も掛っただろうか。目立つ二人連れの情報はすぐ手に入った。

今回はどうだ。僅かな手がかりも見つからない。
夢主はそれなりに目立つ存在だ。人の気を引く性質で、困った人を助けてしまう性格。大人しく控えているようで、思い立ったら即行動に出てしまう。
動けば自ずと人目につく。それなのに情報が一切出てこないのは何故だ。厄介な状況にいなければ良いが。

天井を見上げていた斎藤は、ごろりと体を返し、窓を見た。
月を再び眺めると、長椅子はちょうど月明かりを浴びる位置にあるのが分かる。
白い眩しさに目を細めた。
きっと今の俺の目は、あいつが好きな色に染まっている。

「俺は、阿呆か」

夢主がこの世界にいると、聞いた訳でも見た訳でもない。
だがどこかにいる。
理由はない。しかし感じる。そうだ、あの時、温もりが残っていた。
誰かが俺に寄り掛かっていた重みと、温もりが残っていた。

──夢主……。

斎藤は上野の山で目覚めた時、確かに誰かがいた感覚を思い出して、腕を擦った。
泣き虫な夢主がどこかで笑っているよう願い、目を閉じた。
 
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