-短篇

明】花火
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いつか二人で花火を見たいです。
そんな約束をしてから幾年か、二人の間に子供が生まれ、三人で共に花火を見た。
それから数年後、花火を楽しむ輪の中に次男の剛も加わった。

家族で大川の花火を楽しむようになってどれ程の歳月が流れたか。
この年、子供達はそれぞれの知人と花火を見に出かけていた。

二人きりだと気付いた夢主と斎藤は、新鮮な感覚に包まれていた。

「今日は少し特別な花火を見るか」

そう言って斎藤は夢主を家から連れ出した。
外には同じ目的で道を行く人々がいる。若者達がはしゃいで二人を追い抜いて走って行き、夢主はふふっと肩を揺らした。

斎藤はすたすたと速い歩みで前を行く。河川敷にでも行くのだろうか。
でも、それではいつもと似たような花火だ。
夢主が大人しく後をついて行くと、斎藤はある屋敷の前で立ち止まった。

「ここだ」

「ここは……どちらの……お知り合いのお宅ですか」

「まぁそんな所だ。断わりは入れてある。いいから来い」

斎藤は子供達が出掛けると知り、それならばと一つ仕込みをしていたのだ。
立派な門の脇にある潜り戸を押すと、何の抵抗も無く戸が開いた。

「行くぞ」

「はっ、はぃ」

戸惑いながらも斎藤の後に続き戸を潜ると、すぐに玄関扉が見えた。
斎藤は玄関を素通りして家屋の脇に回る。他人様の敷地で案内役を見失う訳にはいかない。
急いで夢主も家屋の角を曲がり斎藤の姿を探すと、庭の奥で腕を組み、夢主を待っていた。

「上に上がるぞ」

「えっ」

突然夢主は斎藤に抱えられた。

「覚えているぞ、お姫様抱っこ、だったか」

夢主はハッと目を丸くした。
子供達が大きくなり、抱えられる機会は無くなっていた。
体は感覚を覚えており、一気にあの頃の記憶が蘇る。

「はぃ、覚えていてくれたんですね……」

「奇妙な名だからな、忘れんさ」

お姫様抱っことは子供染みた言い回しだ。
夢主が教えた時、斎藤はそう言って笑った。
何度もこうして抱えられ、運ばれた日を思い出す。夢主はそっと斎藤の首に手を回した。
温かくて優しい感覚。
酔って寝てしまった日も、甘えて運んでもらった日も、強い衝撃に言葉を失い、ただ運んでもらった日もあった。

「久しぶりです……こんな風に……」

「あぁ。忘れていたな。いい感覚だ」

夢主を抱えた斎藤が一歩二歩と進み、踏みしめられた地面がじゃりと音を立てた。

「それで、あの……知らないお宅で、こんな……」

「いいからしっかり掴まっていろ」

「あっ」

斎藤の手に力が加わり、夢主は咄嗟にしがみついた。
次の瞬間、斎藤は地面を蹴った。
高く跳び上がり、気付いた時には屋根瓦を踏む音が聞こえた。

「一さん……凄いです……」

「これくらい朝飯前だ。今でもな」

子供達が親に頼らず花火を見に行けるまでになったのだ。
親である二人も歳を重ねている。
強靭な脚で牙突を繰り出していた斎藤も、歳を取った。
夢主はどれほど強いこの人でも、老いからは逃れられないと考えていたが、斎藤は歳を感じさせぬ見事な跳躍で、夢主を屋根の上に運んだのだ。

「ここから花火が良く見える。二人きりで見る花火だ、特別だと言っただろう」

「ありがとうございます、嬉しいです……お知り合いの方にもお礼を言わないとです」

「それは俺に任せて、お前はこれから始まる花火にだけ気を向けていればいい」

「一さん……」

大川から程良い距離にある屋敷の屋根の上。
並んで腰を下ろし、花火が始まるまでの時を楽しむことにした。
通りを行く人々の姿は見えぬが、通り過ぎる楽しげな声が二人の耳に届く。

「初めてですよね……二人で、花火を見るの」

「あぁ。何だかんだで俺は家を空けていたからな。ようやく落ち着いた頃には勉がいた。まぁ、こうして子供らが俺達の手を無事に離れた今、いい思い出か」

「ふふっ、一さんがそんな話をするなんて。でも本当に……一さん、長い間、お勤めご苦労様です」

「どうした急に」

「だって、警視庁を……」

長年勤めた警察の職を離れたのは昨年末。
ささやかな宴を催して、斎藤の人生の転機を祝った。

「祝うのも妙な話だが、お前や勉らが労わってくれただろ、それで十分だ。これ以上何の言葉もいらん」

「本当はまだ、前線にいたいのではありませんか」

己の正義を貫き、刀を振るい続けた斎藤。
覚悟していた夢主だが、突然離職を告げられた時は、全身から力が抜けるような感覚が起きた。
この人にとって一番大切なものを失ってしまうのではないか。
夢主は恐れたが、職を離れても斎藤の心持は変わらなかった。

心配そうに己を見つめる夢主の上目に、ニッと笑って見せる斎藤。その炯眼は出会った頃と変わらない。
花火を待つ夜空に浮かぶ月に照らされ、強く光り輝いている。

「正直、刀を手放す気は無い。だが己の体に目を向けねばならんのも事実。実際、負ける気はせんが託せる若い連中が出てきたんだ、後は任せて、老いた俺にしか出来ない何かをなしてみせるさ」

「ふふっ、本当は歳を取ったなんて思ってないんじゃありませんか」

「ククッ、感じているさ、歳は取ったさ」

花火が上がり始め、周囲から歓声が上がる。
夢主からも小さな歓声が上がった。

「わぁ……始まりました……」

ほんのりと花火に照らされる横顔。
始まりの花は温かな橙の色。
フッと優しい息遣いが聞こえ、夢主は夜空から斎藤に視線を移した。
出会った頃と変わらない前髪が、温かな夜風に揺れている。
僅かに刻まれた目尻の皺が、共に過ごした日々を感じさせた。
 
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