-短篇

明】しょくらあと
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斎藤は任務で横浜を訪れていた。

「しょくらあと、ですか」

「はい、奥様の御土産にお勧めで御座いますよ」

装いは舶来品を真似た日本仕立てのシャツに上着を羽織り、下は慣れ親しんだ袴姿。潜入仕様とも言える服装だ。
横浜での細かな数々の任務を終えた斎藤は、夢主への土産を探していた。
異国から輸入された品々が並ぶ店を覗き、喜びそうな土産を見繕っている。


明治五年五月。
東京から横浜まで馬車で三時間以上かかった道のりが、仮開通の蒸気機関車、通称「陸蒸気」を使うことで、一時間ほどに縮まった。

斎藤は警官として働く傍ら、密偵として警視総監直々の密命を受けている。
この度は、有事に備えて新しい移動手段に試乗するよう指示が下りていた。
時代は動いている。今は東京で任務を果たす斎藤だが、必ず他の地域へ出向く時が訪れる。
あらゆる事態に対処できるよう、陸路や海路だけではなく、鉄道も知っておけと言う特命だ。

仮開通の品川から横浜まで、その陸蒸気に乗車した斎藤、窓の向こうを次々と流れる景色には、流石に驚いた。早馬をも凌ぐ疾さだ。
箱型の空間に密集する人々。ここで刀を振るうのは困難。一方で、人質を取るのは容易い。スリなどの面倒も多発するだろう。便利ではあるが、厄介なものが登場した。斎藤は車内を隈なく観察した後、指定された席に腰を下ろした。

外に目を向けると、また新たな観察が始まる。走る陸蒸気からの逃走は可能か。また、外からの襲撃は可能か。様々な可能性を思い描き、模擬戦闘を想像する。

「ま、いくら考えたところで始まらん。何かが起きた時にそれを止める、或いは叩き潰すまで。何も起こらなければ、それに越したことは無い」

斎藤は考えることをやめ、賑やかな車内で本音を漏らした。
異国の技術を取り入れて発展する新しい時代に感心すると同時に、取り残される物もあるのだろうと、景色を見送る。確かめる間もなく過ぎ行く景色は、取り残される時代の象徴のようだった。

「文明開化とは上手く言ったものだ」

あまりに早く目的地に着く為、慣れない客が客車から降りないほどだった。
横浜で陸蒸気が停車しても客車の混雑は解消しない。「冗談だろう」「まやかしか」、騒ぐ人々を尻目に斎藤は一人列車を降りた。

列車を降りても喧騒からは抜け出せない。
斎藤は列車を降りてすぐ、横浜での一つ目の任務に当たった。駅の把握だ。造りを知っておかねばならない。
出発前に見せられた駅舎の見取り図を頭に思い起こしながら、未だ人が溢れて騒がしい客車内を横目に、乗降場から出札所までを歩き、隈無く視認した。
駅舎一階の広間を通り抜け、左右に並ぶ待合室を把握して、二階の貴賓室にも目を向けた。要人警護の任に就けば関わる場所だ。怪しまれぬよう物見を装い確認を終えた斎藤、外に出て、周辺の探索を始めた。

「瓦斯燈か……」

立派な煉瓦造りの駅舎を出て目に入るのが大岡川だ。
頑丈な造りの橋が架けられている。欄干沿いには、まだ珍しい瓦斯燈が並ぶ。そばの川岸に目を移せば、数多の小舟が繋がれて雑然としている。異国情緒漂う重厚な建築物が目を引く駅前だが、周囲には依然木造の小屋も残る、不思議な景色だった。


異人の町、港、街道の交わり、商店、旅籠。丸一日掛けて横浜を歩く目的を達した斎藤は、夕暮れ前、探索中に目をつけた店に立ち戻った。

「雑貨屋……小間物屋といった所か」

店に足を踏み入れると、目移りするほど珍しい品々が陳列されている。
斎藤が幾つかの品を交互に手に取って見ていると、店の主人と思しき女が声を掛けてきた。

「御土産物で御座いますか」

斎藤は答えず、癖のように女主人を観察した。女主人は苦笑いを浮かべ、客の手にある商品の説明を始めた。
反応を見せない客を相手に話すのは気まずいが、そこは商売人としての意地なのだろう。語るうちに、苦笑いは本物の笑顔に変わっていった。

「ここにいらっしゃるお客様は皆様、御土産物をお探しですが……旦那様も奥様に、で御座いましょうか」

「あぁ」

女主人を見定め終えた斎藤がちらりと奥に目をやれば、勘定場に何やら見たことの無い物が置かれている。

「あれは」

「ぁあっ、あのっ、あちらはその……売り物では無いのですよ、近くの店の品でして」

「食い物か」

「はい、しょくらあとと申します。……とっても美味しいですよ」

「しょくらあと、ですか」

「はい、奥様の御土産にお勧めで御座いますよ」

私物を問われ慌てた女主人だが、少し恥じらいながらも「しょくらあと」を扱う店を教えてくれた。人に勧めたいほど気に入っていたのだ。斎藤も話に聞いたことはある。もう一度勘定場に目をやり、ふむ、と頷いた。


小間物屋を出てから間もなくだ。雑貨屋から歩いて僅かな場所に、その店は見つかった。
店に置かれた「しょくらあと」。売値は決して安くないが、鼻を突く甘い香りが気に掛かる。斎藤にはとりわけ好ましくないが、夢主が好みそうな優しい香りだ。
異国からの品で、味は甘くて特に女達に人気だと聞き、斎藤は「しょくらあと」を夢主への土産に決めた。

「幕末に薬として食した話は聞いたが、明治に入り菓子になったか」

……あいつはきっと知った味なのだろう。

「フッ」

普段は鞄を持ち歩かない斎藤だが、手ぶらで陸蒸気は不自然だろうと出立に合わせて用意した。
鞄が役に立ったなと考えながら、しょくらあとを忍ばせた。

夢主には懐かしいだろうか、喜んでくれるのだろうか。どんな顔を見せるのかと考える斎藤の頬は、微かながらも緩んでいた。待合室の椅子に腰掛けて、帰りの陸蒸気を待っている。
しかし折角だ、瓦斯燈が灯る姿を見てから帰ろうと決めていた。夜の姿を見ておくことも、今後の任務に役立つかもしれない。任務の為だ、と呟く斎藤は、瓦斯燈に目を輝かせる夢主を思い描いていた。
 
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