-短篇

明】銀色の証
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この冬、冷え込みが強く、幾度も東京の町を雪が覆った。
寒さが幾分か和らいでも、上野の山には薄ら雪が残っている。町ではもう雪は見られないが、冷たい風は残っていた。

「な、珍しいやろ」

温かい蒸気が上る赤べこの厨で、店主の娘の妙が「ほな受け取り」、と夢主に差し出したのは、指輪だった。
かつて、異国から交易で来た男が長崎で遊女に贈った話が残っている。
船の行き来が格段に増えた明治の世、指輪は貴重な物として珍重された。手に入れるのも難しい。手にした者は、財力や交友関係を誇るようにこぞって身につけていた。もちろん、特別な意味を込めて想い人に贈る者もいた。

「町でもたまに指輪してはる粋な御仁見かけるけども、お父はんには似合わんし、ウチには大きすぎるから」

「でも、こんな貴重な物を。大事なお客様に差し上げるとか、お店で売っても」

「ウチはもう小間物屋やないんよ、夢主ちゃんから旦那はんに、な」

「……ありがとうございます」

夢主は強引に指輪を握らされた。
幕末の世界へ飛ばされてから初めて感じる手の中の異物感。指輪、こんな物は二度と触れないと思っていたのに、この世界での異物である自分のもとへやって来たのは、何かの廻り合わせか。

夢主は妙に礼と別れを告げて、赤べこを後にした。

帰る道中、寄り道をして神社に立ち寄った。
人けの無い境内で石の冷たさも気に掛けず腰を下ろし、手の中の遺物を外気に晒した。指輪は夢主の体温で温まっていた。

「綺麗な銀色……」

小さな手には大きすぎる指輪。
薄い板を丸めたような、平らに打たれた指輪。斎藤の骨ばった長い指によく似合いそうだ。

「でも一さん、絶対にしないよね。刀を握るのに邪魔だもん。それに、手袋もするし……」

断わられると知っていて渡すのは気が引ける。しかし身に付けずとも、贈るのは良いかもしれない。指輪の意味を伝えれば受け取ってくれるだろう。

「ちょっと恥ずかしいな、愛の証?なんて言えばいいんだろう」

夢主は指輪を摘まんで、輪の中から空を見上げた。
片目を瞑り、空を眺める。冬の空は澄んで美しい。夜なら中に月を入れて見てみたい、そんな事を考えて空を見上げている。

「何だそれは」

「っひやっ、一さん!わ、あ、お疲れ様です!」

突然片目の視界に斎藤が現れた。
驚いて指の間から落としてしまった指輪を、斎藤が地面に着く前に受け止めた。

「何だこいつは、何かの器具か」

「それは指輪です。たまにしている人もいるそうですよ」

「あぁ、聞いたことがある」

昔、近藤局長が京で手に入れた指輪を、東の国にいる奥方に贈ったと話していた。これがその指輪か。斎藤は夢主がしていたのと同じように指で摘まみ、輪の中から空を覗いた。

夢主がその片目の視界に入ることは敵わない。予期せぬ形で斎藤の手に渡ってしまった指輪。
これから訊かれることは分かっている。夢主はどう説明すべきか、顔をしかめて考えていた。

「で、こいつは何だ。指輪なのは分かったが」

珍しい品。貴重なんだろう、と斎藤は軽く首を傾げた。
近藤局長が奥方に贈るほどの品だ。もしやどこぞの男から貰ったのか。夢主を見下ろす斎藤の視線は不機嫌なものだった。

「いえ、あの、頂いたんです」

「ほう」

斎藤の不機嫌を察した夢主は、慌てて首を振った。

「赤べこの妙さんに!頂いたんです。男の方に合う大きさだから、旦那様にと、一さんに……わ、私から」

妙からではなく、私から一さんへ贈る指輪です。夢主は控えめながら、はっきりと主張した。
斎藤はそれで、と続きを待っている。まだ全て納得いっていないと顔に書いてあった。

「えっと、ですから、指輪は特別で……」

「お前独自の意味を持っていると」

「うっ、私の……はい。あの、一度貸してくれますか」

返してくれますか、とは言えずに貸してと伝えた夢主、斎藤は訝しみながらも素直に指輪を渡した。元はと言えば夢主の物だ。

「冷たい手だな、ずっとここにいるのか」

「いえ、今来たところです。赤べこから。妙さんから頂いたので……一さん」

受け取った指輪を大袈裟に両手で持つ夢主が、ちらりと、申し訳なさそうに上目で斎藤を見つめた。

「手袋を、外してくれませんか」

「手袋を」

夢主は静かに頷いた。
仕事柄、斎藤が常に身に付けている手袋。外すのは食事の時と、仕事から離れる時ぐらい。
斎藤は、ふぅ、と息を吐いてから渋々と手袋を外した。今襲撃を受けたら不利だぞと、不満を訴える目で夢主を睨み下ろしている。無論、斎藤は不穏な気配など一切感じていないが。

「それで、外したが」

「あの……」

斎藤が「ほら」と出した手を、夢主は相変わらず申し訳なさそうな目で見つめ、触れた。
されるがままに手を委ね、夢主を見下ろす斎藤は、煙草が欲しい気分を堪えて手元を凝視している。

「わぁ、ぴったりです」

すらりと伸びた斎藤の左手の薬指に、夢主は指輪をはめた。すんなりとはまり、勝手に回転することもない。斎藤の指に合わせて作られたのかと思う程、ぴったりはまっていた。見事な偶然にもかかわらず、斎藤の顔は不機嫌なまま、変わっていない。

「……おい」

「あぁっ、邪魔だって言いたいんですよね、はい、一さんには必要ないと思います、でも、一度だけ、させていただきたかったんです」

「……ほう。その訳は」

「えっと……私の時代、指輪は好きな人に贈ることが多くて、夫婦の契りの証に、互いに贈って左手の薬指にしていたんです。愛の……」

「ククッ。証、か」

もじもじと口を閉じてしまった夢主に代わり斎藤が言うと、夢主は大きくコクンと頷いた。

「ならば」

俺は持っていないからなと呟いて、斎藤は自らの指から指輪を外した。

「ほら」

夢主の華奢な手をグイと引き上げて、斎藤は夢主の左の薬指に指輪をはめた。
大きすぎてぐるりと回り、今にも落ちそうだ。

斎藤は落ちないよう指輪ごと夢主の手を握り締めた。
その手を持ち上げ、そっと口づける。まるでどこか先の世で、無声映画でも見てきたかのような甘美な仕草。明治の世には不釣り合いで、艶やかな口づけだった。

「あっ、あの……」

「お前が持っていろ」

そのつもりだったんだろと、斎藤は笑った。
夢主が一人繰り返したであろう二人の架空のやりとりを見抜いて、指輪を夢主に戻したのだ。
手を握られた夢主は、斎藤の手の温かさを心地良く感じていた。

「家に置いておくといい。俺にさせたいなら、家でしてやる。たまにだがな」

「は……はい」

して欲しいなんて思わない。邪魔になるのは分かっているから。でも。

手を離されると、夢主は微笑んで指輪を自らの手で包み込んだ。
聞けるとは思わなかった嬉しい言葉に笑顔が止まらない。
指輪なんて本当はどうでも良くて、嬉しいのは一さんの気持ちです。夢主は無邪気に微笑んでいた。

「さぁ、貴重な品を手にした我が妻を家に送り届ける任務に戻るか」

「えっ」

言いながら、斎藤は白い手袋を嵌め直していた。
きょとんとして真顔に戻った夢主は、半開きの口で斎藤を見上げた。
間抜けな表情に斎藤の口角が弛む。

「フッ、阿呆みたいだぞ」

「っ」

口を開いたのが悪かったな。ニヤリと厭らしく笑んで顔を近付けた斎藤は、軽く開いた夢主の口に舌を捻じ込んだ。
夢主が指輪を落とさぬよう、白い手袋の手で小さな手を強く握り締める。驚く反応を愉しんで、狭い口内を舐り苛める。夢主の肩がびくんと弾むまで舐り続け、斎藤は舌を抜いた。

「んっ、一さんたらっ!」

「お前の阿呆みたいな顔をやめさせただけだ」

顔を離した斎藤はククッと笑んで、自らの口角を手袋の指で拭った。
手を離されても夢主は強く手を握り締めている。

「さぁ行くぞ、これ以上寒空の下で続きをする訳にはいかんからな」

「えっ、あ、送り届けてくれるだけですよね、お仕事、残ってるんですよね!」

「フッ、どうだったか」

夢主の口をねぶったおかげで、煙草欲しさは消えていた。
代わりにもう少し、欲しくなったものがある。

「このまま、ここで凍える気か」

「いいぇ……」

来い、と促された夢主は、大人しく斎藤の傍に寄り添った。
人目が現れるまでと、冷えた体を温めるように二人寄り添って歩く。
歩く度に擦れる体が火照りを生む。単純に温かいけれど、それだけでは済まなかった。


我が家へ辿り着いても、夢主は入るのを躊躇った。
斎藤の手に力強く引かれ、連れ込まれた玄関先で、もう一度壁に押し付けられる。

指輪を握った手は使えない。抗えないと、夢主は斎藤にされるがまま、身を任せた。
期待していた訳じゃない、出来ないのと抗わず、強く手を握り締めている。
斎藤が再び手袋を外して、強引に夢主の手を開かせて、指輪をつけさせるまで、夢主は大事に指輪を握り締めていた。

「これは俺がお前のものだって証なのか、夢主」

「ぃえっ、そんなっ」

「構わんぞ、それでも。俺は俺で、印を残すからな」

「っ」

首筋に鈍い痛みが走る。
斎藤が夢主の首筋に、くっきりと赤い痕を与えた。
赤みを見てニッと笑むと、夢主の衿を崩して広げ肩を掴む。与えたばかりの痕を確かめて、舌で何度かなぞってみせた。

甘い声を必死に飲み込む夢主、だが、時折、冷たい指輪が肌に触れて、夢主はその度に小さな吐息を漏らした。

いつもと異なる、肌に触れる指の感覚。大きな手に感じる指の節々。その感触に紛れた、冷たくて硬い刺激。
夢主は顔を歪めた。

そのさまを見逃さず、斎藤は指輪とやらも悪くないと、指輪に口づけた。
濡れた指輪で夢主の肌に、少々の悪戯をして愉しむ。
夢主が声を飲み込む限界を探って、斎藤の遊びは優しくも執拗に続けられた。
 
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