-短篇

明】水遊び
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強い日差しが照り付ける昼下がり。どこからともなく蝉の声が聞こえてくる。
夢主と斎藤は浴衣一枚で暑さを凌いでいた。
時折吹く風が気休めに頬を撫でるが、涼しさとは程遠い。
庭に打ち水をした夢主が、斎藤が寛ぐ縁側に戻ってきた。

腰を落ち着けるなり夢主が斎藤の顔に手を伸ばす。
何だ、と不思議そうに目を動かすと、斎藤の視界の端に見えたのは、夢主が持つ手拭いだった。

「汗が……一さん」

こめかみ辺りを汗が流れ落ちた。
普段涼しい顔をしている斎藤だが、実際、ほとんど汗を掻かない。斎藤の肌を汗が伝うのは極めて珍しい。

「一さんが汗を掻くなんて珍しいですね」

「まぁな」

体の調子は良い。珍しい汗は暑すぎるからだ。
手拭いを動かす夢主の顔にも汗が滲んで見える。浴衣の下では汗が流れ落ちているだろう。
斎藤は夢主の体に視線を這わせた後、おもむろに夢主の手首を掴んだ。
驚いた夢主の手から、斎藤の汗を吸った手拭いが落ちた。

「お前の体も汗ばんでいるな」

しっとりとして吸い付く感触。まるで肌を重ねた時のように湿った肌。
斎藤の考えに気付いたのか、夢主は恥じらって斎藤の手から逃れた。

「今日は暑いですから……」

手を離してもらい手拭いを拾う。その姿もどこか暑さで気だるそうに見える。

「水でも汲むか」

「水?」

「足をつけると気持ちいいぞ」

「わぁ、いいですね、涼しそうです!」

調子を崩しそうな暑さに、夢主の身を案じて斎藤は足水を提案した。
大きな盥に井戸から水を汲み、縁側に並んで座り、二人は足を水に浸した。
足を入れた瞬間、夢主が笑い声を上げた。

「ふふっ冷たいっ、井戸の水って気持ちいいですね」

「あぁ」

「そう言えば原田さん達、夏場はよく頭から水を浴びていましたね」

足を盥の中で泳がせて涼しい音を鳴らし、夢主は懐かしい光景を思い出した。
辺りに散る水がきらきらと煌めいて、鍛えられた皆の体も見惚れるほど美しく、何より皆の笑顔が眩しく輝いていた。今ではいい思い出だ。

「するか」

「いぃえっ、さすがにそれは。一さん、してもいいですよ、ふふっ」

「遠慮する」

「水が滴る姿はかっこいいですよ!」

「確かに、水に濡れた姿は艶めかしいな」

夢主は雨に打たれて帰宅した斎藤の姿を思い出し、髪から雨がしたたり落ちるさまが絵になっていたと伝えるが、斎藤は雨に濡れて肌が透けていたいつかの夢主が艶めかしかったと伝えた。
無茶をした日を思い出して、夢主は恥ずかしい姿を晒した過去の自分に頬を染めた。

「一緒にするか」

「みっ、水浴びは……しません」

「そうか」

「ひゃっ」

真っ赤な顔で夢主が断わると、斎藤は突然盥の水をすくって夢主に掛けた。

「何するんですか、わっ、冷たいっ」

「涼しくていいだろ」

ククッと笑って何度も夢主に水を浴びせると、夢主も堪らずやり返した。

「えいっ、もぉ一さんたら!」

「ハハッ、気持ちがいい」

「あぁっもぅ、ずるいです」

夢主の顔に体に、思い通りに水を掛ける斎藤に対して、斎藤は水が顔に掛かるのを上手く避けて体で浴び、心地好いとしたり顔を見せた。

「フッ、少しやり過ぎたな、悪い」

「悪いじゃありません、びちゃびちゃですよ」

前髪から水が滴る夢主、顔を振って水滴を飛ばした。

「おい、冷たいぞ」

「元はと言えば一さんのせいです!」

「否定はせん」

斎藤は濡れて束になった夢主の前髪を掴み、絞るように指を滑らせた。絞られた水滴が斎藤の指から肘へ伝い落ちていく。
夢主は雫が肌を伝う様子に目を奪われてしまった。鍛えられた腕を伝う雫がとても艶めいていた。
何かを感じて頬を染める夢主に気付き、斎藤は妖しい視線を送った。

「水風呂でも浴びるか、一緒に」

「い、いりませんっ、その手には乗りませんからっ」

「残念だな。まぁいい、水を足すか」

はしゃぎ過ぎてすっかり水が減ってしまった。
斎藤が水を汲み足す間、夢主は新しい手拭いで髪を拭き、斎藤の姿を眺めていた。
こんな寛いだ恰好で一日家で過ごすなんて珍しい。

「一さん」

「んっ」

「ありがとう……ございます」

釣瓶を置いて縁側に戻った斎藤、腰を下ろすと首を傾げた。

「さて、何の礼だ」

「一緒にいられる事にです。今日は……一日、嬉しいです」

「いじらしい礼だな」

頬を染めてもじもじと俯き、夢主は水が増えた盥に足を浸した。
汲んだばかりの冷たい水に目尻が下がる。

「夢主」

夢主の名を呼んで、斎藤は己の顔を覗かせるように首を傾げている。

「……一さん?」

少しだけ斎藤の背が丸くなる。そのまま迫れば夢主の上に覆いかぶされる、だが今はそこには至らない。微妙な距離を保っていた。

「えっと……」

斎藤はそれ以上近付こうとせず、二ッと笑った。
お前から口吸いしやすいように背中を屈めてみたが、果たしてお前は気付くのか。
夏の日差しを受けて黄色く輝く瞳が、夢主を捉えて誘っている。

「何か思わないか」

「っ、その……」

紅潮した顔で夢主は目を逸らすが、ちらと斎藤の顔色を窺うように覗き、それから目を閉じた。
そっと顔を近付けて、唇を重ねる。
ふっと触れた直後、夢主は逃げるように顔を逸らした。

「伝わったようだな」

満足そうに言うと、斎藤は今度は自分から夢主の唇を求めた。
二人の足が盥の中で縺れ、大きな水音が響く。夢主の体は徐々に傾き、今にも押し倒されそうだ。
激しくなる斎藤の求めを押し離して、夢主は新鮮な空気を吸い込んだ。夢主の衿を掴もうとしていた斎藤の手が、淋しそうに宙に浮いた。

「っふはぁっ、あ、暑いからこれ以上は駄目ですっ」

「手厳しいな」

火照った自分を誤魔化すように、夢主は水を蹴ってぱちゃぱちゃと音を立てた。

「早く秋がくるよう祈るか」

自分の言葉を受けて斎藤が言った冗談にも夢主は口を尖らせている。

「水風呂張ってすれば暑くないと思うんだが」

「もぉどうしてそんなにっ」

「悪いか、お前が恋しいからだろ」

言ってからフフッと笑うから、夢主は本音が悪戯か分からず、戸惑ってしまう。
悪い気分にはならない言葉だがこんな日が高いうちから、しかもお風呂場で、それも水風呂だなんて。
夢主が幾つも言い訳を考える間に、斎藤は立ち上がって体を解し始めた。
折角のたまの休み、充分涼んだし俺は足水はもういい。そう見えた夢主は、淋しそうに斎藤を見上げた。

「水風呂は冗談だ、気にするな。俺は暑かろうが構わんが、お前が調子を崩しては元も子もないからな」

「……ですよ」

「何だ」

「ぜ、全部新しい水に……冷たい水にしてくださるなら、いいですよ……水……風呂」

「ほおぅ」

真っ赤な顔で俯いた夢主。立ち上がった斎藤が見下ろすと、はしゃいで緩んだ衿元から柔らかな膨らみが見える。密かに口角を上げて、斎藤は庭下駄に足を入れた。

「さて、暑い中頑張るか」

「えっ本気ですか、大変ですよ、あのっ手伝います、いえっ、っ手伝いません、やっぱりあのっ、もういいじゃありませんか、涼しい季節まで」

「言ったのはお前だ。これくらいどうって事ない」

言ったからには付き合えよ。斎藤は井戸の前でニヤリとしてから、釣瓶を落とした。
風呂が一杯になるまで水を運ぶ。夢主は難題を突き付けたつもりが、斎藤は普段からしているぞと淡々と水を運び始めた。

いつの間にか、蝉の声が近付いている。
騒がしい蝉達の声を聞きながら、夢主は赤たんだ顔で斎藤が往復する様を見つめていた。
 
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