-短篇

幕】桜焦がれ
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「桜が咲いたら、連れて行ってやる」

斎藤さんがそう約束してくれたのは、町が雪で白く染まっていた頃。
吐く息までもが白かったあの頃、珍しく温かい声で約束してくれた。

今日も穏やかな一日が過ぎていく。桜はとうに咲いていた。


斎藤さんは新選組幹部として巡察や隊士の皆さんの稽古、世情の把握など忙しく飛び回っている。

……一緒に桜を見たいです……

我が儘でしかない願いなど、とても口に出来なかった。
時折り風に乗って屋敷までやってくる桜の花びら。
舞い落ちる様は愛らしいが、桜の散り始めを気付かせる。

今日も一日、ろくに話をしていない。
でもそれは当然のこと。
あの人は泰平の世を守る為に生き、刀を振るい、命を懸けて己の正義を貫いている。
居候の自分に費やす時間など無駄でしかない。
分かっているが、一人放置された日々の淋しさは拭えなかった。



「出られるか」

「えっ……」

突然だった。晩ご飯を終えてすっかり寛いでいた時。

「壬生寺の桜で良ければ、どうだ」

「あ……」

約束を果たさんと、誘ってくれた。
日はとっくに沈み、町は闇に包まれている。壬生寺はすぐそことは言え、今から外に出るのは気が引ける。隊士の皆には門限があると言うのに。

「大丈夫なのですか」

「構わんさ、任されているんでな」

お前をな。二ッと口元を歪めるさまは少し厭らしく、むっと睨んでしまうが、余りに堂々とした姿に、むくれているのが馬鹿らしくなった。自信に満ちている斎藤さんは嫌いじゃない。

「ふふっ、ありがとうございます。ずっと楽しみにしていたので……嬉しいです」

「そうか」

悪かったと微かにすまなさそうな顔を見せて、斎藤さんは先に行ってしまった。
あっと言う間に見えなくなる背中。
私は慌てて追いかけた。共に歩く時間は僅かな距離でも嬉しい時。

外に出ると、夜空に浮かぶ大きな月と目が合った。
昼間の暖かさが消えた春の夜、月は煌々と輝いていた。


斎藤さんは屯所の門で立ち止まっていた。
私が来たのを確認して、斎藤さんは壬生寺へ向かった。私の前をゆったり歩いている。それでも私は大きな背中を追うのに必死だった。

久しぶりの外の世界、夜の道。
山門をくぐって本堂まで進み、斎藤さんが立ち止まって振り向いた時、私は初めて桜の姿に目を奪われた。
風が吹くたび枝がそよいで花は散るが、どこから散ったか分からぬ程に、無数の花が残っていた。

「綺麗……」

「満月を待っていたら遅くなってしまった。と言うのは嘘だ、悪かったな。忙しくて」

「そんな、嬉しいです。約束を覚えてくださっていただけでも」

約束を大切に思い、こんな綺麗な月夜の零れ桜を見せてくれるなんて。
満月に照らされた桜の木はまるで自ら光を放つように輝いている。夜の色に浮かぶ白にも近い桜色。

「ありがとう……ございます」

「気にするな」

いつもは月明かりで黄金色に輝く斎藤さんの瞳。桜の照り返しのせいか、今は黄金に銀に、揺れて色を変えている。昼間の黄色がかった落ち着いた瞳が嘘のように、妖しく照り映えている。
不意に吹き抜ける風に乗り、辺りに舞い散る花の美しさ。
夜の中で鮮やかに魅せる桜みたいに、この人も闇にあってこそ輝く存在なのかもしれない。
目が合った時、私のロから本音が漏れ出てしまった。

「斎藤さん、綺麗……です」

瞳を見ていると目を離せなくなってしまう。
吸い込まれそう、そう感じたら足が一歩二歩、斎藤さんへ向かっていった。
周りの景色が見えなくなって、濃紺の世界に浮かぶ光に吸い寄せられる。

──綺麗……

呆けて見つめていたら、斎藤さんの目が急に二ッと笑んだ。

「あぁ、言っておくが、あるのは俺の目だけではないぞ」

「えっ」

斎藤さんの言葉で我に返り、境内を見渡す斎藤さんにつられて辺りを見渡した。

「あぁぁっ」

よく知る二人が月夜の花見に付き合ってくれていた。
ほんのり熱を持ち始めていた私の頬は一気に熱くなり、顔が真っ赤に染まる。

「原田さん、永倉さん!すみません!斎藤さん、どうして教えてくれないんですか!」

「お前は二人きりがいいのかと思ってな。あながち外れでは無かっただろ」

ククッ、図星だろと、見惚れていたことを見抜かれて笑われた。
悔しいけれどその通り。耳まで熱い。拒まれることも考えず、危うく甘えてしまいそうだった自分が恥ずかしい。

「言わないでおこうと思ったけど言っちゃいます、我が儘!」

「ほぅ、何だ」

「来年もまた!一緒に花見をしたいです!……みなさんとも、斎藤さんと……二人でも……」

「聞こえんな」

照れくさくて口籠ると、斎藤さんがいつもの調子で苛めてきた。
そう思った時、原田さんと永倉さんからの助け舟。

「本当は聞こえてんだろ、斎藤。来年は昼間っから皆で騒ごうぜ」

「勢揃いしたいもんだな。冷えて来たから俺達は先に帰るぞ」

「暖かい場所で呑もうの間違いだろ」

「違いねぇ!ははっ」

じゃあなと手を振る二人の気遣いに申し訳なさと嬉しさが込み上げる。
しかし斎藤さんの一言で、それはすぐに引いてしまった。

「俺達も帰るか」

「はぃ……」

本当はもう少し眺めていたい。二人で……。
名残惜しさで桜を振り返る。さよならのように散る花びらを二、三、体に浴びた。

永倉さん達が先を行き、俯いて後ろに続く。
すると斎藤さんがいきなり耳元に顔を寄せてきた。

「明日、また来ればいい」

「っ?!」

驚いて振り向き、近さに慌てて顔を離した。
囁かれた言葉に耳を疑った。

聞き返す間もなく、斎藤さんは永倉さん達に続いて私を置いていこうとする。
耳から体の奥まで響いた低い声、息の熱さが残って動けない。
悪戯が過ぎたと悟ったのか、ちらと振り返った斎藤さん。

「来い」と呼ばれ、私の金縛りは解けた。

「何か勘違いをしていないか」

「えっ、あの……明日……」

「朝だ、明日の朝」

「朝……朝!」

「お前が早起き出来たら朝稽古の前、ここへ連れて来てやる」

明晩二人きりでもう一度、恥ずかしい勘違いで固まってしまったけれど、朝ならば。
艶やかな熱い声もいいけれど、今は穏やかな声を聞いていたい。
厳しくて時々怖い程のこの人がたまに見せる穏やかな優しさを、もっと知りたい。

「分かりました、早起き頑張ります!明日の朝、楽しみです」

「あぁ。今夜は早く寝るんだな」

「はい」

頷くと私につられたのか、斎藤さんの首も小さく傾げられた。
どこか愛らしく見えて小さく笑うと、斎藤さんはフフン笑い返した。
その笑みに斎藤さんの本音が隠れているなんて、私は到底気付かなかった。
静かな夜、笑いながら境内を去る私達を花吹雪が見送ってくれた。
 
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