-短篇
□北A 月下の愛逢瀬
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俺を背凭れに、ここで夜風に当たれと誘っている。
「何だか昔を思い出しちゃいます」
「何をだ」
何度も似たような夜があったのは承知だが、と首を傾げる。
いつのことを述べているのか、全てなのか。思い出したことを訊かせろ、お前が語れと斎藤は口を閉ざした。
「壬生にいた頃、私を連れ出したじゃないですか。確か……」
新見錦、粛清の日。
夢主は小さく首を振った。思い出したいのは、その日のこと。けれども、悲しい記憶ではない。弔う想いはあるけれど、本当に思い出したいのは、あの日見た美しい姿、夢うつつに感じた温かな感覚。
夢主は斎藤の胸に頭を預けるように座った。斎藤に包まれる感覚を受けて、夢主の顔がほころぶ。
「あの日、一さんはずっと窓辺で手酌をしていました」
「あぁ。あの日か」
一瞬見えた夢主の憂い、窓辺での手酌、夢主を連れ出した日。
幾つかの手掛かりを繋いで、斎藤はある晩の記憶に辿り着いた。
土方の指示で血生臭さから夢主を遠ざけた、辿り着いた出会い茶屋で過ごした一夜。
周囲に響く濡れた声、あの中で触れも出来ぬ女を、好いた女を前に一晩過ごすのは、なかなかに神経を磨り減らしたもんだ。あの苦労は忘れ難く、面白い記憶。
斎藤は、フッと短く笑った。
「はい。私、先に布団に入って……布団から見た一さん、窓辺で外を覗く姿が、とても綺麗だったんですよ」
「フン」
「朝、目が覚めた時も一さんはそこにいて……朝日を浴びて、綺麗だったんです」
斎藤は、あの日と同じように窓から外を見た。
京の端にある出会い茶屋と違い、広大な大地に築かれた市中の旅館。久方ぶり、折角の逢瀬を邪魔されたくないと手配した、立派な旅館だ。見える景色は大きく異なる。
京の出会い茶屋の窓、格子の向こうには通りを行く者が見えた。
今は視線を下ろしても、目に入るのは旅館の敷地。窓からは整えられた庭園が見える。その向こうには通りと旅館を隔てる塀。
何かを見たければ、視線を上げるしかない。
斎藤が顔を上げると、夜空に煌々と輝く月が見えた。
「あの日綺麗だなって思った一さんの……腕の中にいるってとっても不思議です。ちょっと恥ずかしい……」
想い出の中の美しい斎藤の姿。そこに自分が加わって、美しい絵が台無しなのではないか。
えへへと笑って俯く夢主の頭を、察した斎藤がぐいと押した。
「阿呆」
「わぁっ」
「顔を上げてみろ」
「……ぁ」
夢主は息を呑んだ。
二人を見守るように、大きな月が輝いている。
「月だ」
「……綺麗ですね」
二人で月を見上げるなんていつ以来か、夢主は考えようとして、やめた。
随分と長い間、一緒に見ていないのは分かっているのだから、考えなくて良い。
今こうして、もう一度一緒に月を見上げている時間こそ、大切にしなければ。
夢主は月を覗いて乗り出した身を戻して、斎藤に凭れた。
「ククッ、これでは髪は乾かんな」
「あぁっごめんなさいっ、一さんが濡れちゃう」
「構わんが」
そう言うと、斎藤は己との間に挟まっていた夢主の髪を、夢主の体の前に流した。
「乾かすか、それともお前が濡れるか」
他意を含んだ言い方に、夢主は顔を染めた。
「か、乾かします、風邪引いちゃったら嫌ですから」
北の地まで来て風邪を引くのは避けたい。
でも、もうひとつの意味も、嫌なんじゃなくて……。
もじもじと髪を弄び始めた夢主に、斎藤が手拭いを渡した。
「弄っていても乾かんぞ」
手拭いを受け取った夢主は、暫く静かに髪を拭いた。
黙って自分を支えてくれる斎藤の胸。夢主は背中の温かさに微笑んでいた。
「あの日、お布団に運んでくれたんですよね」
「んっ」
「いえっ、何でも……ありません」
出会い茶屋の夜、真夜中に不意に目覚めた夢主は、うつらうつらと刀を抱えたまま眠る斎藤を見た。
珍しい姿だった。窓から入るそよ風を受けて眠っていた。
肌掛けを持って近付き、膳に残された酒を見つけた夢主は、不用意にも口に含んでしまったのだ。
みるみる意識を失ったが、微かに残る意識の中、斎藤に肌掛けをかけて、身を預けるように眠った。
朝が来て、目覚めたら布団の中だった。
布団の中で、窓辺に座る斎藤の肩から肌掛けが落ちるのを見た。朝日を浴びて、清々しく笑んでいた気がする。
今更確かめるのは無粋か。もしかしたら、寝惚けていても布団まで頑張ったのかもしれない。
夢主は何でもないですと言って、手拭い越しに髪を掴んだ。
「運んだぞ」
「えっ」
「俺の仕事だっただろう」
背後で斎藤がニッと笑った気がして、夢主は振り返った。
「貸せ」
斎藤は手拭いを取ると、手際よく夢主の髪から水分を奪っていった。
窓からは程良く心地よい風が吹き込んでいる。
「これで良いだろう」
丁寧に水気を奪った後、斎藤は手拭いを置いて、櫛の代わりに指で夢主の髪を梳き始めた。
髪は先程よりも流れる動きを見せる。
「いいな」
まだ少し湿り気はあるが、それでもさらさらと流れる髪、手触りを確かめた斎藤が心地よさそうに呟いた。
やがて、髪の間を貫いて、斎藤の指が夢主の首に触れる。
「いいか」
意味は、分かるな。
求められた夢主は振り向き、こくんと小さく頷いた。
斎藤の指が輪郭を辿るように、夢主の顔に触れる。
月下で黄金に輝く瞳、見惚れた一瞬、近付いた顔に恥じらい、夢主は目を閉じた。
少しでも恥じらいを忘れるために、斎藤を受け入れるために目を閉じて待つと、夢主の唇はすぐに斎藤に塞がれた。塞がれて、抉じ開けられて、強引なのに優しい口づけを受ける。
斎藤は、窓の障子をそっと閉めると、夢主の体を横たえた。
部屋には障子紙越しに、薄ら月明かりが差し込んでいた。