-短篇

北Cおまけ 解けて、日常へ
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霧に隠れることを好む函館山だが、ここ数日は晴れやかな日々が続き、山容を堂々と見せていた。

夢主が北海道へ渡って五日目。
一人でも、もっとこの地に滞在したいのが夢主の本音で、斎藤も望んでいないと言えば嘘になる。
だが現実はそれを許さない。東京には待つ者がおり、ここには危険がある。

毎夜過ごした部屋で二人は最後の寛いだ時間を楽しんでいた。
空は白々と明るく輝き、窓を覗くと朝の眩しさを感じる。
斎藤は癖のように窓の外に異変が無いか確かめて、夢主の隣へ戻ってきた。

夢主の足元には纏められた荷物。
斎藤の上着を手に、どうぞと差し出している。
この後、夢主を見送れば斎藤は任務に戻る。日常に、いつもの危険な日々に戻るのだ。

「帰るんだな」

「帰ります」

そうか、そうだなと、一人で納得した斎藤は、夢主が広げる上着に手を通した。
釦を幾つか留めて、流れで胸のポケットに手を入れるが、思い出したように手を戻した。
手持無沙汰に、ズボンのポケットに手を突っ込む。

「すまんな」

「ふふっ、なんで謝るんですか、一さんらしくありません。淋しいんですか?」

「煩いぞ阿呆が」

「ひゃっ」

謝るんじゃなかったなと、舌打ちをひとつして、斎藤はポケットから手を抜いた。夢主の頭を脇に抱え込んで、ぐりぐりと指先で圧をかける。相手が相手なら、脳天をどつきそうな体勢だ。

「一さんんっ、すみません、冗談ですっ」

「フンッ、それぐらい分かる、阿呆」

抱え込まれたのが突然なら、解放されたのも突然。夢主の体はよろめいた。
もちろん、転ぶ前に斎藤が体を支える。
夢主の体勢を戻すついでに、斎藤は自分の前に引き寄せた。

お前のが冗談なら、俺の乱暴も冗談だ。
斎藤は僅かに不満を滲ませて口もとを歪めた。
一番の不満は夢主を東京へ帰さなければならない現実だ。
もっと捜査が滞りなく進んでいれば。不穏な動きを抑えられていれば。
たらればに意味は無いが、斎藤は珍しくもどかしさを感じて考えを巡らせた。

「このまま此処にとは言えん。勉を連れて来いとも言えん」

「はぃ」

「敵が分からぬ以上、危険な北の地にお前達を呼ぶわけにはいかない」

「心得ていますよ、大丈夫です」

にこりと微笑むわりには、淋しそうに眉尻が下がっている。
斎藤が軽い溜め息を漏らすと、夢主は斎藤の心境を推し量るように小首を傾げた。

「……煙草、吸ってもいいですよ。ずっと我慢していませんか」

「……」

煙草の溜め息ではない。
違う、と睨む斎藤だが、先ほど無意識に煙草を探したのも確かだった。

「体に悪いからやめて欲しいとは思いますけど、我慢するのも辛いですし、その……」

煙草は嫌だけど、煙草を吸う姿は不思議と素敵なんです。
困った顔でへへっと笑う夢主に、斎藤は今度は大きく息を吐いた。

「一本吸う」

そう言って一本だけと決めて、煙草を咥えた。
夢主から離れて窓辺で火をつける。ゆっくりと漂い始める紫煙。
斎藤は窓の外に向かって、息を吐き出した。

「煙草を吸う一さん、なんだか絵になっちゃうんですよね……」

「阿呆」

体の為には止めるべきなのに。夢主は斎藤の姿に見惚れていた。
あんな小さな細い煙草一本、指先にあるだけで色っぽく見えるのが不思議で見つめている。
自分がいないところでは何本も吸っている。
この姿をたくさんの人が目にする。
当然、この地の女性達も。

急に、夢主の心の奥で何か焦げ始めた。

自分よりも太い指が灰を弾く動きに、胸がドクンと反応する。
煙草を咥えるために口に近付く手はとてもしなやかで。
気だるそうに煙草を咥える瞬間も、吸う仕草も目を惹き付ける。
煙草を持つ指が唇に触れる時。煙草を咥えて生じる唇の隙間。
全てに見惚れながら、膨れる感情。

「一さん、吸いすぎちゃ……駄目ですよ」

「んっ」

あぁ分かっているさ、と夢主を見る斎藤だが、夢主の顔に見える憂いに眉をしかめた。

「気を付ける」

思わず心にもないことを口にした。

「本当ですよ、特に、女の方の前では……駄目ですよ、その、体に悪いんですから……」

ぽっと頬を火照らせて、唇を尖らせた夢主、斎藤はしばし黙っていたが、表情の意味を悟って「あぁ」と漏らした。

煙草を吸う姿に見惚れてくれているらしい。
惹かれてくれるとは嬉しい限り。だが夢主は見惚れると同時に、悋気を起こしているようだ。
可愛い感情に煙草を咥える口元が弛んだ。

「情報を求めて様々な場所に揚がるからな」

「一さんっ」

「ククッ、冗談だよ。お前を裏切るようなことはせん。安心しろ」

「本当ですよ?」

「信じてくれないのか」

「っ……信じるに、決まってるじゃありませんか」

「ありがたいな」

煙草の臭いを纏っていることを承知で、斎藤は夢主を招き寄せた。
大好きな手に手招かれて抗える状況にない夢主は、渋々さを演じながら素直に応じた。

手が届くところまで近付くと、斎藤は片手で夢主を引っ張り寄せる。
煙草を持つ手は窓の外へ。小さな火はじりじりと燃えている。

「夢主」

拗ねるなよとニヤリ笑んだ斎藤は、夢主に苦い口づけをした。
己の臭いと感触を夢主に植え付ける口づけ。
朝の旅館はさすがに人の気配がある。窓の外からも、人の声が聞こえた。

「っ、はじめさんっ」

「お前相手だからこんなことが出来るんだ、覚えておけ」

忘れるなよと笑うと、夢主がおもむろに斎藤の胸ぐらを掴んだ。
そして、えい、とばかりに唇を重ねた。
大胆なのに遠慮がちな口づけ。
瞬きする間に終わったそれを、斎藤は幻かと疑うほどだった。

「は、一さんも忘れないでくださいね!」

大きな声は、旅館の庭を楽しむ人々の視線を集めた。
大慌てで身を隠す夢主は目も当てられないほど、真っ赤な顔をしていた。

斎藤は悠然と煙草を吸い続けている。
恥じらいで潰れてしまいそうで、しゃがみ込んだ夢主が斎藤を見上げると、嬉しそうにニッと笑っていた。






❖次項・後記❖
 
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