-短篇

幕】春の夜の寒風
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床板の上を滑るように進む足音。
新選組の男達の足音は似ている。特に幹部の皆は重心を低く抑えた摺り足が多い。剣術の足捌きが身に沁みついているからだ。
昼間は聞き取れないその足音も、静かな夜の空気にはよく響く。屯所に人が少なければ尚更、響いた。

屯所に来た当初は、人が近付く音が怖かった。聞き慣れなかった足音も、今では耳に馴染み、落ち着きを与えてくれる。それぞれ少しずつ違う足音を聞き分けることは出来ずとも、それぞれの特徴は何となく捉えている。

夢主が感じる斎藤の足音は、その性格を現したような平らかなものだ。荒々しさはなく、強く板を踏む音もしない。素早いけれど、無駄な抑揚のない音は凛と響き空間を引き締めるが、何故か安らいだ感覚を得る。
夢主は斎藤の足音が好きだった。

「くっ、しゅん! わぁ……止まらない、また、出そ……」

布団の中で大きなくしゃみをした夢主、自分の体を抱きかかえて擦ってみる。気休めにしかならないが、じっとしているよりは良い。夢主は寒くないと暗示を掛けるように、細腕を大きく擦り続けた。
自らを温めていると、いつしか耳を澄ましていたことを忘れてしまう。夢主は自らが発する音だけを聞いていた。

ひときわ大きなくしゃみが出た直後、夢主は布団の中で体を強張らせた。

「外まで聞こえていたぞ」

突然、斎藤の声が届いたのだ。

「わっ! あぁっ、すみません、お恥ずかしいです……」

ひとりだと思い油断した大きなくしゃみ。斎藤はしっかりと聞いていた。
恥ずかしさで顔を隠したいけれども、礼を言うには顔を出さねばならない。二つの思いを天秤に掛けた夢主は、布団を咄嗟に掴んでいた手の力みを解いた。おずおずと顔を覗かせて、目が合うと、無意識に顎を引いて会釈した。

「ありがとうございます、あの、お手数をお掛けしました」

「構わん。ほら、起きるなよ」

斎藤は今にも起き上がって畳に手でもつきそうな夢主を制して、布団の上に掻巻を重ねた。
途端に夢主の体に重みが加わり、同時に温かさを感じる。冷たい空気が布団に入り込む隙間は消えた。

厚みを増した布団の上に、斎藤の手が置かれた。布団の掛け具合を確かめる為だ。
残された隙間を探して埋めるように布団の上を手が滑る。
微かに感じる優しい仕草。微かな感覚がやけに擽ったい。

夢主は、斎藤の様子を覗いていた。布団に向けられていた斎藤の目が、つと動く。衝立に遮られて届く行灯の光は緩やかに揺れている。
ぶつかった視線の奥、二人の瞳が微かに光を映していた。

「目を瞑れよ、阿呆が」

綺麗な色をしやがって。揺らぐ光を見た斎藤は、さっさと目を瞑れと促した。

眠る気が無いのか。俄かに睨まれた夢主は、しょんぼりと目を閉じる。気落ちした顔の眉間には、斎藤に似た皺が生じていた。
フッと声を出しそうになった斎藤は、夢主が見ていないのをいい事に、口角を上げて笑いを堪えた。堪えてみると、行き場のない感情が体内で燻る。斎藤は布団から離した手をもう一度添えた。

「怒っちゃいない」

全く、その顔のままで眠るなよ。夢主の布団をもう一度撫でそうになった斎藤は、ぽんと大きく叩いて立ち上がった。
驚いた夢主がピクリと撥ねる。布団に潜って顔を隠したが、眉間の皺は消えていた。

立ち上がる衣擦れの音に続いて、畳を擦る音が何度か響いて、止まる。
夢主は斎藤の足音を聞き届けると、安堵したように眠りに落ちていった。
布団に残る重みの感覚は、朝まで夢主を温めた。
 
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