-短篇

北】ひらひら見舞う、刹那のお前
2ページ/4ページ


「全く、あいつは何をしに来たんだか」

いや、本音ではないな。斎藤は廊下を覗く窓から、庭を覗く窓に顔を移した。
病院の内庭は、患者の為に整えられている。清潔な風を病室に送るため、患者の心を和らげるためだ。
理由を知った時、斎藤は己には不要と眉間に皺を寄せた。

しかし、何度も眺めるうちに、よく考えて作られていると感心するに至った。
現に己も問題を抱えている。回復を待たねばならぬうえに、肝心の武器がない。焦りや苛立ちを振り払う余裕を忘れるなと、静かな庭は身を以て表しているようだった。

紫煙を燻らせていると、心が、庭に流れる落ち着いた時と同化していく。
音の無い庭を、季節外れの白い蝶が一匹、ひらひらと不規則に羽ばたいて、舞っている。
庭を眺める斎藤は、いつしか夢主のことを考えていた。

「静かな庭だ」

後で一緒に散歩でもしてやるか。考えた斎藤は、フッと笑った。
してやる、とは随分と傲慢だ。一緒に歩きたいのは俺かもしれない。気付いた斎藤は、戻ってきた足音に耳を傾けた。

「灰皿綺麗にしてきましたよ。あ、でも、だからって沢山吸って欲しいわけじゃありませんからね」

ククッ。戻るなり明るい声で言って、病室内をぱたぱたと走り回る夢主に、斎藤は喉を鳴らした。あっちへこっちへ動き回る夢主は、庭を飛び回る小さな蝶のように楽しげで、自由だった。

「笑いごとじゃありませんよ?」

「ククッ、すまん。いや、本物の看病婦のようだと思ってな」

蝶のようだと本音を言えば、持ってきた灰皿を落として静かな院内に大きな音を響かせそうだ。斎藤が無難に言い換えて笑うと、夢主はそれでもほんのりと頬を染めた。

「ただ出来るコトをしているだけです、私なんか……本当の看病婦さんに失礼ですから」

「そうでもあるまい。事実、助かっている」

斎藤は早速新しい灰皿に煙草を押し付けた。綺麗に磨かれた金属の底がくすんで、潰れた灰が広がった。

「もぅ!」

夢主は反射的に声を上げた。声を出したのは、灰皿が汚れたからではない。

「逸るなよ、次を吸うわけじゃあない。一緒に歩くか」

「あ……」

煙草を完全に捨てると、斎藤は顎で庭を差した。

「急いで敷布広げますね!」

嬉しそうに微笑んだ夢主は、休む間も無く敷布を広げた。夢主が高く掲げると、まっさらな敷布は空気を包むように大きく膨らんで広がり、ゆっくりとベッドを覆う。手の平を滑らせて皺を伸ばし、寝ている間に乱れぬよう布団の下に押し込んでいく。簡単だが手間のかかる行為に、嫌な顔ひとつ見せない。
斎藤は窓際で壁に体を預け、庭を眺める素振りで、夢主が働く姿を横目に入れていた。

夢主は毎日こうして敷布を変えては運び、灰皿を空にして戻り、時に院内の洗濯物干しや掃除に加わっている。看病婦の面倒な指示の下、衛生に気遣い行う作業の数々。嫌がるどころか楽しそうに輪の中で笑っている。
これも一つの持って生まれた才だろう。夢主が病院の人々と馴染む様子を見るたび、斎藤は柔らかな眼差しで見守っていた。




「お待たせしました」

やがて夢主から声が掛かると、斎藤は静かに頷いて壁から体を浮かせた。

廊下に出て、斎藤は壁の白さと窓から差し込む光に、目を細めた。

白く明るい壁が真っ直ぐ続き、一方には大部屋の出入り口と大部屋の大きな窓、他方には柱と窓。光も風も、窓を経て抜けていく。通気を考えて建てられた病棟は、実に開放的だった。

二人は時折、患者や看病婦の視線を受けた。反応を示さない斎藤に対して、会釈や目礼を繰り返して進む夢主。対照的な姿に、小さく笑む者もいた。

庭に出ると、二人は石敷きの清潔な通路に歩みを導かれた。
通路の左右に緑地が設けられている。余計な草は抜かれ、低木は風を通し湿気を蓄えぬよう、地面に近い部分は綺麗に剪定されて間引かれている。

ふんだんな陽光に恵まれているが、完全に人の手に整えられた庭園は、草花溢れ生命力に満ちた自然とは異なる空間だ。
夢主はどちらかと言えば、様々な花が自由に咲き誇る庭のほうが好きだろうか。
ちらりと見遣る斎藤に、夢主はきょとんと首を傾げた。

「どうかしましたか?」

「いや、随分と落ち着いた庭だと思ってな。どこぞの屋敷の庭園のようだな」

「綺麗に人の手が入っているんですね、毎日誰かが丁寧なお手入れしてるかと思うと、頭が下がります」

「ほぅ」

「えっ?」

「いや、成る程な。その考えならばこの庭も素晴らしい、と言うわけか」

「綺麗なお庭です」

ふふっと笑う夢主に、斎藤もフフッと続いた。
入院している間に、随分と余計なコトまで考え込む癖がついてしまったらしい。斎藤は時に単純にコトと向き合うべきだと知らされた気がした。

「先程、白い蝶が飛んでいたんだがな、消えたようだ」

「ちょうちょですか、もう寒いのに」

「最後まで粘った蝶か、季節に鈍感な阿呆な蝶か」

「ふふっ、面白いです。どちらでも、強いってコトは変わりませんね、すっかり冷えてきたのに」

「あぁ。強いか、そうだな。強い蝶だ」

何事も、全ては捉え方次第。当たり前のことすら忘れてしまっていたと、斎藤は小さく頷いた。一本取られた気分が妙に清々しい。
にっこり微笑んだ夢主は、頷き返すと目を閉じた。
すると、何かを確かめた後に、大きな息を吐いた。溜め息に聞こえるが、斎藤のそれとは明らかに違う。

「どうした」
 
次へ
前へ

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ