斎藤一明治夢物語 妻奉公

□2.新枕(にいまくら)※R18
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「あぁ行くさ。お前はどうする」

「そうですね・・・買い出しにでも行きます」

「そうか、沖田君に連れだってもらえ」

「え・・・一緒に暮らしているならともかく、そんな事でいちいちついて来てもらったら悪いですよ」

「確かにそうだが」

「それに私は斎藤さんより長くここに住んでいます、買出しくらい平気です」

「あぁ分かった分かった。ただし暗くなる前に帰れよ、必ずだ」

「ふふっ、斎藤さんって心配性だったんですね」

大丈夫と言い張る妻に斎藤が折れると、愛らしい笑顔が返ってきた。
それだから心配なんだよと怒鳴りたい気分にさせられる。

「阿呆っ、しっかり戸締りしておけよ。日が暮れたら防犯の為に雨戸を閉めろ」

「はい、旦那様っ」

ちっ・・・

斎藤は自分の助言を茶化す「旦那様」の一言に、はにかんで舌打ちをした。
もう一度押さえ込んでやろうかと考えていた斎藤だが、毒気を抜かれ「行ってくる」と一言残し、家を出て行った。
夢主はそんな背中を見送り、買出しに向かった。
何も特別ではない斎藤が家を出る姿が、夜になれば帰ってくるという安心を与えた。


「フゥ、あいつ本当に大丈夫か。まぁこの辺りは旧幕臣も多いし会津縁の者も少なくない。他の地に比べれば、安全か」

これほど自分が心配性だったとは、斎藤は危なっかしい夢主に短く溜息を吐いてから南へ歩き出した。

辿り着く先で待っているのは膨大な数の資料。
新時代になりようやく落ち着いてきた世間をひっくり返そうと画策する不逞の輩、戊辰戦争で運よく得た功績を元に就いた職を利用して私服を肥やす政治家。
この国に厄災をもたらす連中は数知れず、関連する資料は一日二日では整理しきれない。

まずは巡査として東京の治安維持活動に当たってもらう。
そう言われたものの、一般の巡査と同じ業務活動の前に密偵として必要な資料は全て目を通しておけ、そんな指示が下った。
斎藤は警察に入るなり密偵の任を受けたも同然だった。

「東京だけではない、お前には何れ全国を股に掛けて仕事をしてもらう事になるだろう。それがお前の生まれ持った資質なのだ」

「そいつはどうも」

それは褒め言葉か・・・
斎藤は資料室に案内される前に警視総監の川路と交わした会話を思い出し、革張りの長椅子に腰掛けた。
終わらない職務を覚悟して、机に積み上げられた書類の束や報告書を片っ端から読み始めた。

「こいつは本当にすぐには終わらんな」

読み始めて暫く経った頃、分厚い木の戸をノックする音が響いた。

「どうぞ」

相手が分からない状況でひとまず丁寧に返事をする。
ゆっくり扉が開き、見えたのは斎藤より若い巡査らしき男だ。

「藤田さん、追加の資料です」

男は高く積まれた書類を落とさないようゆっくり入ってきた。

「ここに置きます」

確認の為に目を合わせた巡査だが、斎藤が書類の山に眉を寄せ険しい顔を見せたので、逃げるように出て行った。

「失礼しましたっ!!」

「ちっ・・・」

いつ終わるんだよ・・・、始まったばかりの目通しに早くも溜息を吐いた。

夢主は買出しから戻り夕餉の支度を終え、出来上がった鍋を前にして、先に自分の食事を終えてしまうかどうか迷っていた。

「夜には戻るって言ってたけど、食事をどうするのか聞かなかったなぁ・・・どうしよう・・・」

手にするお玉で鍋の中身をすくって口に運び、味を見て微笑んだ。

「うん、美味しい・・・これなら一さんに食べてもらえる・・・」

資料に目を通すだけなら帰宅は早いだろうか。それとも職に就いたばかりで膨大な数の資料が待っているのだろうか。
夢主は考えてもわからぬ夫の仕事に思いを巡らせた。

「でも二人で迎える初めての夜だし、きっと帰って来るよね・・・初めての・・・ぇっ・・・あっ」

自分の呟きに二人きりで過ごす初めての夜だと気付き、顔を赤らめた。
昨夜は沖田の道場で何も起きずに夜を越した。人様の家で変な事が出来るか、そう言って斎藤は自制した。

「そっ・・・そうなのかな・・・そうなっちゃうのかな・・・」

・・・次、会う時は覚悟しておけよ・・・

頭の中で蘇る別れの朝の斎藤の声に、背筋がゾクリと震えた。思わず振り返るが夫の姿は無い。当たり前だ。
ただその振り返った先に、今宵の寝床となる部屋がある。二人だけの寝床だ。
待ち望んだ時に想像を膨らませ、更に顔を火照らせた。

「でも、どうしよう・・・」

期待と不安で頭の中が真っ白になった夢主は、手にしたお玉を鍋に戻し、暫く惚けて立ち尽くした。
誰もいない庭ではチチチ・・・と小鳥が鳴いていた。
 
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