斎藤一明治夢物語 妻奉公

□9.思い出の朱景色
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「ねぇ、いつまでそうしてるの・・・旦那さん、こっち来てくださいな。ご存知ですか、何も無く旦那さんを帰すのは遊女の恥なんですから」

「うん?・・・僕はね、こうして眺めているだけでいいんです。夜中でも煌々と明るい通りを・・・吉原って綺麗だね・・・」

「・・・綺麗なのは見た目だけです」

「何か言ったかな」

「いえ・・・どうして何もなさらないんですか、もう二度目なのに」

「君のお座敷は二回目か・・・」

「はい。でもお座敷は旦那さんが来る時だけです。ここは私の部屋ではありません。貴方は特別な方だから、廻し部屋に雑魚寝をさせる訳にはいかないと、こちらを」

登楼が遅い沖田、目ぼしい遊女は既に客を取っていた。
それではゆっくり過ごしてもらえない為、楼主の計らいで部屋を持たない遊女の中からこれは良いと思う相手を選び、特別に部屋を用意してくれたのだ。
沖田は端から自らの座敷を有している遊女、中でも最も下位に当たる部屋持を指名したつもりでいた。吉原に通い始めて間もないが、訪れる時はいつもそうしていた。
それにしては揚げ代が安い、そう感じていたのは勘違いでは無かったのだ。

「そうでしたか。知らなかったな・・・でもそれなら尚更、別に何もしなくたっていいじゃありませんか、君は休めるし。遊女の皆さんは大変なんでしょう、一晩に何人も相手したり休みが無くて。特に部屋持以下の皆さんは」

「良くご存知なのですね・・・でも、だから旦那さんに抱いて欲しいのに・・・こんなに大事に扱ってくれるお客さんなんていません・・・」

本音か駆け引きか、拗ねた声で愛らしく振舞う妓に沖田は大きな笑い声を上げた。

「あははははっ、そうですか。それは本当にお辛いですね」

応じてくれる気配の無さに妓はむすっとふくれて見せた。
素直な反応を見て沖田はくすりと笑った。

・・・女の子は皆こうなのかな、夢主ちゃんみたいに拗ねるんだ・・・

「そんなに言うんならいいですよ、お相手しても。でもそうしたらそれが最後かもしれないよ、僕面倒なのは嫌なんだ・・・抱いてもいいけど、最後だよ」

「そんな・・・」

沖田は目の前にある酒盆を押しのけて妓の前に身を乗り出した。

「嫌です、旦那さんにはまた来て欲しい」

「だったらいい子にしてるんだね」

ニコリと大きく首を傾げて体を離すと、再び窓辺に戻り外を眺めた。
沖田の顔はますます優しいものに変わっていた。昔は嫌いだった遊郭の独特の空気が今は心地良い。

「意地悪・・・」

耳に届いた恨めしい声に、フフッと笑みを溢した。

「そう、僕は意地悪です。ずるくて嫌な男ですよ。敵娼は決めたくないし、貴女方を抱くか否かは気分次第、もう一度買うかも気分次第」

優しい瞳で掛けられる言葉に、妓は胸を熱くした。
客に想いを寄せてはいけない、体を預けても快楽を得てはいけない、吉原という苦界で身と心を守り生きていくには守らなければならない掟だ。
突然現れた沖田という優しすぎる客に、妓達は揺れていた。
そんな揺れる気持ちを素直に見せる妓から顔を背け、沖田はお気に入りの景色をもう一度眺めた。

「特別な相手は作りたくない。でも一人でいたくない夜はあるでしょう、誰だって・・・そんな時に来られる場所が僕にはここなんです。なんだか懐かしい景色なんだ・・・提灯や行灯の明かりがとっても懐かしい・・・」

「わかりません、私は一人でいる時間が無いから、一人になりたい夜の方が多いです」

「そっか」

そっけない返事に妓は俯いた。
客としても男としても、沖田の気を自分に向けたかった。

「・・・でも旦那さん、他の妓は抱いたんでしょう」

思わぬ一言に沖田ははにかんで振り向いた。
申し訳無さそうな妓と目が合い、照れた気持ちは少し不機嫌なものに変化した。

「そんなことを話すんだ。駄目だなぁ、お客さんの秘密は守らないと。斬られちゃうよ」

「そんなぁ・・・」

目を細め刀を持つを動きを見せる沖田から怖さを感じたのか、妓は身を引いて怯えた。
冗談だが、本気の剣気が漏れていた。
 
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