斎藤一明治夢物語 妻奉公

□16.前ぶれ
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家で午前中の仕事を終えて、夢主は沖田の道場へ移動した。
広い屋敷ゆえ沖田が一人でこなしきれない家事を手伝い、稽古がある日は皆の昼飯を作って一斉に食事を済ませ、最後に皿を洗う。
幼い門弟達はいつも手伝いを申し出てくれるが、帰りが遅くならないよう家路を急がせた。
まだ真っ昼間、日は高いが若い彼らは家に帰ってからも学ぶことが多い。いつまでも道場に止めてはおけないのだ。

「夢主ちゃん、今日もありがとう」

「いいえ、私も一人で過ごすより楽しいですから。総司さんはこれから夕方まで、何か用事はありますか」

「おや、お誘いですか」

先日の牛鍋屋はとても楽しい誘いだった。
今日はどこへ行きたいのか首を傾げるが、誘われた予想外の場所に沖田は顔をしかめて後ずさった。

「えぇっ、警視庁へ行きたいんですか」

「はい。一さんいつまで経っても場所を教えてくださらないので・・・自分で行ってしまおうと思って。でも人に訊ねながら行くにしても一人では」

「正直、警視庁には近付きたくありません」

「そうですか・・・」

斎藤に警察入りを誘われたが断っている。内部には薩摩の出の者が多いはずだ。ならば沖田の顔を知る人間もいるだろう。
斬り捨て御免の御墨付きがあったあの頃とは違う身の上で今更恨みを買うのも嫌ならば、生きているなら来いと警察に誘われるのも面倒だ。

「でも・・・はぁ」

沖田は目を閉じて小さく首を振り自分に何か言い聞かせたのか、目を開くといつもの爽やかな笑顔に戻っていた。

「行きたい場所へはどこへでも、連れて行ってあげると約束しましたからね。いいですよ、ただし着いたら僕は少し離れて待っていますから。それでいいですか」

「はい、もちろんです!ありがとうございます!」

思わず飛びつきたくなるほど喜んで、夢主はその場で何度も小さく跳び上がった。嬉しさが込み上げ堪えきれず体に出てしまったのだ。
そんな珍しい幼い喜び見せるほど嬉しいのかと沖田は笑った。

斎藤と一緒になって数ヶ月、ようやく職場の場所を知れる。何かあった時に駆けつけたり、市中の騒ぎを夫に知らせるたり出来る。
いや、自分が斎藤の為に駆けつける事など無いだろうとくすくすと笑って、夢主は出仕度の為家に戻った。
汚れても良い姿で動いていたので着替えに戻ったのだ。

「夢主ちゃん、それ」

いつものように衿巻を巻いて仕度を整えていた沖田が、戻った夢主の見覚えある小袖姿に声を上げた。

「はい、総司さんも良くご存知の小袖です」

嬉しそうに紋を見てくださいと背を見せるので、沖田はにこにこと後ろに回った。

「どれどれ」

「一緒に京を出た時に着ていた、一さんが下さった・・・ちゃんと紋入れに出してくれたんですよ、ほら」

「わぁ、ちゃんと変わっていますね!斎藤さんやるなぁ」

「ふふっ総司さんたら」

背後で紋を確かめる沖田を夢主が振り返った。
幸せな笑顔に沖田はうんうんと頷く。斎藤と共に笑顔で居てくれることが何よりだ。

「警視庁まで、どれくらい歩くんですか」

「さぁて、夢主ちゃんの足だと三十分いや一時間程でしょうか」

「そんなにですかっ?!」

「そう思いますよ、僕や斎藤さんの足なら十五分も掛からないと思いますが」

「そんなに違うんですか・・・お二人とも歩くの速いんですね・・・」

嫌というほど歩いてきた人生。
斎藤にとって上野の山に近い自宅から江戸城近くの警視庁まで、たいした距離ではないのだろう。

道場を出て歩くこと一時間。久しぶりの長い道だが、途中で立ち止まらず警視庁を目指した。
帰りもまた同じ道を歩かなければならないのか、そう考えると足の疲れが増す気がした。

「あの・・・帰りはどこかでお茶を飲んでいきませんか」

「あははっ、いいですよ。夢主ちゃんもう疲れちゃいましたか?」

「いいえっ、大丈夫ですから!でも総司さんとお団子食べてないな〜と思ったので帰りにご一緒したいなぁなんて・・・」

本当は行きの途中でも休みたいが、それでは遅くなってしまうので無理をしている、そう考えた沖田は肩を揺らした。頑張らなくても良いのに随分と頑張る。
くすくすと沖田の肩が揺れるたび、夢主が贈った藍色の衿巻きも大きく揺れた。
 
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