斎藤一明治夢物語 妻奉公

□22.川開き※微R18
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桜の季節も過ぎ去り、木々の枝には深い緑の葉が所狭しと生い茂っていた。上野の山も緑豊かに覆われている。
既に夏を迎えていた。

暑さに負けて雨戸を開けたまま寝る日が続き、朝になれば自然と陽が射しこみ目覚めを助けてくれる。
日課として道場を手伝いに向かった。

この日、子供達と過ごす時間が終わると、稽古を終えた沖田はどこかへ出かけてしまった。
仕方なく一人家に戻り昼餉を済ませ、片付けも終わり落ち着いた頃、外から呼び掛ける声があった。

「御免下さい、藤田殿。お戻りですかな、藤田殿!」

男の声で呼び掛けてくる。沖田以外に男の知人はおらず、夫の斎藤を訪ねて来たのは間違いない。
初めての来客に戸惑いながら、夢主は声の主を確かめに表へ出た。

「あの・・・」

「おや、ご内儀様・・・でございますな。失礼ですが藤田五郎殿は・・・」

「いえ、仕事でおりませんが・・・どちら様でしょうか」

門前に立っていたのは夫と同じ制服姿。歳は斎藤より一回りは上に見える。
例え上官だとしても家にやって来るなど普通ではない。場所を知っている者も少ないはずだが、上官なら知って当然か・・・怪しむ夢主に対し、男は制帽を取り礼儀正しく頭を下げた。

「これは失敬致しました。藤田殿と同じ警視庁で働いております。ここ数日連絡が取れないもので、もしやお戻りではと・・・思ったのですが違うようですな。もし戻りましたら連絡するようお伝えください。それではこれで」

「は、はい・・・あの、一さんと・・・主人と連絡がつかないのでしょうか」

男は余計な事を言ってしまった、そんな顔で小さく頭を下げた。夫が家に戻らない事は承知しているが、署の人間とも連絡が取れない状況なのか。夢主の顔色が悪くなっていく。

「ご心配なさらずとも大丈夫ですよ。良くある事です。きっと取り込んでいるんでしょう」

「そうですか・・・ならいいんですけど・・・」

密偵の仕事が如何なるものか詳しく知らないが、毎日警視庁に顔を出し、定時連絡を必ずする必要は無いようだ。
どこかで修羅場を迎えているのか、心配は尽きないが斎藤なら大丈夫だ。

「一さんは不死身だから・・・」

不安を振り切るように呟いた。
去り行く男を見送り消えていく背を眺めながら、斎藤の背を最後に見送ったのはいつだったかを思い返す。

「東京にいるのかな・・・一さん・・・」

通りは人が多い。人々の流れを見るうちに、妙との約束を思い出した。店を手伝う約束だ。

「妙さんのお店に行くんだ!危ない、忘れちゃう所だった」

妙の店、赤べこは浅草からほど近い。
それは隅田川にも近い事になる。当時は大川とも呼ばれ親しまれていた。
両国界隈、川沿いの店は日没までしか商いが認められていないが、川開きから暫くは日没後も店を開き、人を集める事が出来る。

今宵、川開きの花火が上げられるのだ。
普段は禁じられている夜の舟遊びもこの川開きの間は許可が下りる。納涼船で涼を取りながら食事を楽しむ、贅沢な時間だ。
人出が増える川沿いから流れてくる人々を取り込もうと、赤べこも川開きの間は力を入れる。手伝いを頼まれたのはそんな理由からだった。
約束に遅れないよう、夢主は支度をして家を飛び出した。沖田の屋敷に顔を出すが、相変わらず沖田はいない。夢主は顔を見るのを諦めて通り過ぎ、赤べこを目指した。

夢主は赤べこで奥の仕事を引き受けていた。主に洗い場だ。
斎藤は仕事で帰らないどころか行方知れず。夢主は潔く花火見物を諦め、妙の店を手伝った。
花火が上がる頃には僅かに客が引いたが、すぐに客足は戻り、戻やがて店から溢れる程になった。
 
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