斎藤一明治夢物語 妻奉公

□23.博覧会の誤解
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庭に埋められた梅の木。葉が落ち始める季節、吹き抜ける風に湿気はなく、爽やかな空気が広がっていた。

夢主は斎藤の包帯など医療具を買い足す為、日本橋本町の薬問屋を回っていた。
出歩くにも良い気候だ。小袖の上に薄手の羽織を来て、心地良い風を感じながら歩いていた。

その時、突然「どん」大きな音が響き渡り夢主を驚かせた。身を守る本能が働き、咄嗟に屈んで身を小さくする。

「何、何っ?!」

何が音を鳴らしたのか分からず、爆発でも起きたのかと辺りを見回した。
轟音に驚く者もいれば、平然と腕を組んで立っている者もいる。
平然としている人々が同じ方角を見ていたので、夢主もそっと体を起こしてその視線の先を確認した。
そこに何かが見える訳ではなく不安は消えないが、周りの人々は徐々に日常の生活に戻っていった。

「何だったの・・・」

一度しか鳴らなかった轟音。どこか付近の大砲が暴発したか誤射でもされたのだろうか。今いる問屋町には何の被害も無いようだ。

夢主は得体の知れない音の正体に震えたまま、急いで沖田の屋敷を目指した。
幸い、屋敷の主はすぐに見つかった。庭で呑気に畑を弄っている。

「総司さん・・・」

「あぁ、夢主ちゃん!お帰りなさい。見てください、里芋にさつま芋、見事に育ちましたよ!」

「あ・・・本当、立派なお芋・・・」

収穫期を迎えた野菜を採り、にこにこ籠に入れていく沖田。
夢主が強張った顔で立ち尽くしているのを見て土を払い、立ち上がった。

「どうしたんですか、元気がありませんね。・・・薬問屋、夢主ちゃん体でも悪いんですか。何かおかしな男にでも絡まれましたか」

「いえ・・・あの、さっき・・・物凄い音がしませんでしたか、ドォオンって大砲みたいな・・・あれ、大砲ですよね!また何か戦が始まるんですか、歴史が変わっちゃったんでしょうか」

買い求めた品を入れた紙の包みを抱える腕が小さく震えている。余程衝撃的な体験だったのだろう。
そして音の正体と歴史の変化を恐れている。

「あぁ、聞こえましたよ。ここにはそこまで大きな音は届きませんでしたが、あれは大砲ですね。聞き間違えません」

戊辰に身を置かなかった沖田も、禁門の辺や大砲調練でその音は良く知っている。
大砲の音だと言い切るが、全く気に留めない様子だ。

「大丈夫ですよ、ご存知ありませんか。確か先日、達しが出ていたと思うんですが・・・時間を知らせる砲を鳴らすとか」

「あ・・・そういえば・・・」

「ははっ、心当たりがあるみたいですね」

「はい。一さんが大きい音が鳴るが驚くなよって・・・これの事だったんですね。昼ドン・・・」

「昼どん?」

「えぇ、お昼を知らせるドーンって音だから、確かみんなが昼ドンって呼び始めるんですよ」

正体が分かれば何も怖くない。黒船でも再来したか、新たな戦かと慄いた自分が可笑しかった。
町の人々も達しを思い出して平静を取り戻したのだろう。

「ふふっ、ちゃんと教えてもらってたのに吃驚しちゃいました。一さんまた笑うんだろうなぁ」

「ははっ、薬問屋に行ってたのなら音も大きくて衝撃も感じたんじゃありませんか」

「はい、とっても大きな音にひっくり返っちゃいました。平然としてた人はちゃんとわかってた人なんですね。私すっかり忘れてました」

「慣れるまでは仕方ありませんよ。仕方ないと言えば僕はお金の方が慣れませんね、円とか銭とか、何で変えなきゃいけないんでしょう。僕は古いお金が使えるうちは変えるつもりはありませんね」

この年の夏に始まった新貨の扱いに、沖田は難儀している。

「ふふっ、呼び方が変わるくらいでお値段分支払う仕組みに変わりはありませんし、良ければ一緒にお買い物行きますよ、計算ならそれなりに出来ますから」

「あぁそれは助かります!上手いこと言って多く払わせてるんじゃあって疑ってしまう時があるんですよ、お店のご主人に申し訳なくて。でも人相の悪い人だとついね、癖かな。ははっ」

慣れないお金の単位で頭を悩ませる上、怪しい人相、目付きの悪い男がいれば気構えてしまう。
沖田は幕末の頃に身につけた性質が抜けていなかった。
 
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