斎藤一明治夢物語 妻奉公

□29.新しい町人(マチビト)※R18
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斎藤が仕事に出向くまでの朝の一時。
夢主は蒼紫の事を考えて朝飯を終えられずにいた。

蒼紫の姿が炎と煙の江戸城に消えていくのを見届けてから数ヶ月が経とうとしている。
蒼紫達はそう遠くないうちに武田観柳のもとへ行く、そう考えて自分なりに町を歩いて回ったが、何の噂も聞こえてこない。
素人の自分が動いても情報は掴めないのだと肩を落とした。

夫である斎藤に武田観柳の話を聞いてもいいものか、ちらり視線を送ると目が合った。
記憶の中では斎藤は緋村剣心の動向を探る任務を優先し、武田観柳には接触していない。
接触せずとも把握はしているのだろうか。そもそも既に緋村剣心を探す任務を就いているのだろうか。
咄嗟に訊ねるには難しすぎる問題に夢主の眉がぐぐっと寄った。

斎藤は斎藤で、箸を進めない夢主の頭の中を探っていた。

「一さん、最近話題の実業家の方っていませんか」

「実業家、そんなものに興味を持ってどうする」

考えていても仕方がない、これならいいだろうと思い切って訊ねた夢主の質問に斎藤は答えず、理由を探って訊き返してきた。
別段機嫌が悪いようにも、咎めているようにも見えない。

「いえ、何と言いますか・・・噂を聞いたもので、東京で有名な実業家の方がいると・・・」

「明治に入り苦労している者もいれば成功している者もいる。実業家も幾人かいるだろう」

「そうですよね・・・なんて言うか、私兵団を作れるほど巨大な富を築いている人なんて・・・」

「そりゃあいるだろうさ」

お前が知ってどうすると話を打ち切りたいが、興味を持っているなら話し相手になってやらねばまた暴走しかねない。
斎藤は様子を見ながら適当に相槌を打っていた。

「そうですね、沢山いますよね・・・」

「何だ、実業家の所へ嫁にでも行きたくなったか。悪かったな、稼ぎが足りんか」

「そそそんなっ!そんな事ありませんよ!充分すぎる程、一さんには頑張っていただいてますし、蓄えだって京にいた頃からの分も合わせて吃驚するくらいあるじゃありませんか!使っちゃったんですか?」

「阿呆、あんなに使うかよ。まぁたまに刀の新調やら仕事絡みで入用にはなるが」

「構いませんよ、一さんのお金だし・・・ご自由にしてください」

自分の冗談を本気で宥める夢主がおかしく、斎藤はククッと笑い出した。
刀は目利き出来る故、良い品を安く入手できる。先日塚山商会で手に入れた刀も随分と値打ちの品だった。
この先も金には困らんだろう、例え俺に何かあっても生きて行けるはずだ。伝えはしないがそう思っている。

「お前ももう少し好きに使っていいんだぞ。赤べこの手伝いも好きでしているのなら構わんが、無理はするなよ」

「はい、ありがとうございます。大丈夫ですよ、本当に楽しんでいますから。充分好きにさせていただいてますし・・・一さんのおかげです」

「フン」

嬉しそうに鼻をならした斎藤は、膝にあった手に力を入れ立ち上がった。
夢主が箸を口の近くで止めたまま見上げている。膳の上にはまだいくつも料理が残っていた。

「早く食っちまえよ、俺はもう行くぞ」

「わぁあっ!すみません、ぼーっとしすぎちゃって」

見送りはいいと制する夫の背中を押して、夢主は玄関までついて行った。
出る前にお馴染みとなった口吸いを、斎藤が無意識に夢主に顔を近づけると香の物のいい匂いがする。妻の美味しそうな匂いを楽しんでニッと笑った。

「お前、朝飯の匂いがするぞ」

「えっ、んっ・・・」

ご飯の匂い?子供みたいな自分を恥ずかしんで口を隠そうとするが、それより早く夫の唇が触れていた。
さぁて、なんの匂いだ・・・
確かめるように短く舌を入れた斎藤に夢主は驚いて体を押し離した。
いつも出掛けは優しい口づけで終わる・・・事が多いが確かに違う時もある・・・気付いた夢主は恥ずかしさと「もぅ」とむくれる気持ちを上目で斎藤にぶつけた。

「飯の匂いのお前か、ククッ、たまにはいいさ。行って来る」

「はっ、はい・・・行ってらっしゃい・・・」

もう少し確かめたかったんだがな、斎藤は眉を浮かせて無言で伝えるが、夢主は気付かぬ振りをした。
 
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