斎藤一明治夢物語 妻奉公

□28.江戸城の落日
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夫である斎藤を送り出し、爽やかな空気を吸いながら庭を掃除する。
毎朝の日課だ。今朝の夢主は箒を動かしながら瞳は庭の木々に向いている。

花を終えた梅の木には青い実がついていた。細く小さい実もあれば既に膨み始めている実もある。
ひと月も経てば細い実は大きく膨らみ梅酒用に、既に膨らみ始めている実は黄色く熟して梅干しに使えそうだ。
夢主は順調な実に笑顔を見せ、箒を置いて出支度を始めた。

梅酒の作り方を沖田に聞いてみよう、そう思い立って屋敷に赴いたが家の主は不在だった。
昨年末、腹に受けた刃を忘れたように元気に出歩いている。

「総司さん、いないんですかぁ」

間の抜けた声で屋敷内を探してみるが当然返事は返ってこない。

「しょうがないなぁ、妙さんに聞いてみようかな」

夜になれば物知りな夫が帰ってくる。
それまで待てばよいのだが、思い立った夢主は気長に待つなど出来なかった。それに本当に帰って来るのか分からない。

通りに出ると珍しく人々の姿があった。
普段人通りが多い道ではなく、初詣など同じ目的で同じ方角を目指さない限り、人は多く行き交わない。
今朝は連れ立つ者が互いに眉根を寄せて声を掛け合っている。とても不安そうに互いを励ましていた。

「何か・・・あったんですか」

思わず目が合った者に騒ぎの理由を訊ねた。
女が一人で戸惑う姿を不憫に思ったのか、声を掛けられた男は足を止めた。

「あぁ、南の方で火事だとよ。去年の京橋の大火事を思い出すよ、今回はどこまで広がるんだか、喧嘩と火事は江戸の華とは言ったけどねぇ、焼け出されるのはご免だね」

「火事、近いんですか」

火事が起きている。驚いた夢主は両手で口を覆った。
昨年、銀座や京橋を焼く大きな火災があった。司法省も焼いた火事は警視庁のそばから出火した火災だった。
夢主が驚き立ち尽くす姿が気になったのか、通りかかったもう一人の男が話に加わってきた。

「何でも江戸城が燃えているらしい、みんな上野の山に登って見物しようってんだ」

「またかい、前のあの辺だったなぁ」

「儂も上野に行ってみるさ、あんたらも行くかい」

「いぇ、私は・・・」

呆然と返事する夢主を心配するが、男達は早く野次馬に向かいたいのか「じゃぁな」と立ち去ってしまった。
江戸城が燃えていると聞き、夢主の頭は真っ白になった。前年の火災も江戸城付近の旧藩邸からの出火だった。

前回は火事を知って混乱し、すぐさま沖田の元へ走った。
江戸の火事を良く知る沖田は大丈夫と落ち着いて宥めてくれた。
だが着の身着のままの長屋暮らしとは違い、今は守る財産がある二人。火が回ってこないよう必死に祈ったものだ。
今回も江戸城、斎藤がいるかもしれない警視庁そばが燃えている。

「一さんなら自分でなんとでも・・・まさか火元にはいないよね・・・総司さんは」

沖田はどこにいるのか。考えてみるが沖田にも助けは要らないだろう。
火はどれくらいの勢いなのか。辺りに広がって町が燃えてしまうのか、ここまで火はやってくるのだろうか。
何も分からなければ動くことも出来ない。

「総司さん、どこにいるのかな・・・どうしよう、私もとにかく確かめないと・・・」

夢主も人の流れについて上野の山に登ってみることにした。
本心では警視庁の斎藤を訪ねたいと思っているが、現状が掴めぬ時に火元に近寄るのは自殺行為だ。状況の確認を優先した。
 
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