斎藤一明治夢物語 妻奉公

□31.憂いの種※R18
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夢主が武田邸に近寄らなくなり、再び同じような毎日がやって来た。
忘れた頃に突然思い出すこれからの暗い出来事に溜め息を溢す日もあるが、気持ちを切り替えて斎藤を支える日々を過ごしていた。

春、庭で取れた梅の実は梅干しと梅酒に姿を変えていた。
梅干は収穫してひと月と少しで食卓にあげられる状態になるが、梅酒は長く漬けて味わい深くなるのを待ちたいところだ。
日本酒にヘタを取り除いた青梅と、頂き物の砂糖を入れて半年以上が過ぎていた。日が当たらないよう押し入れで熟成させている。

ある朝、庭掃除で夢主は梅の木に新しい蕾を見つけた。
寒さ厳しい中まだまだ小さく固い蕾を見て、漬けた梅酒がどんな具合になっているのか確かめたくなり、半纏姿の夢主は一人の夕飯を終え押し入れの戸を開けた。
膳の上の空いた器に梅酒を注ぎ、わくわくしていた。

「うぅっ、美味しいけどちょっとお酒がきついかも・・・」

舌先で触れただけで強い酒特有の香りと熱が口の中に広がる。
斎藤や沖田には良い味わいかもしれないが、酒に弱い自分には強過ぎる。

「もう少し待ったらまろやかな味になるのかな・・・お水で割ったら美味しくないかな・・・」

強い酒を美味しく薄める懐かしい炭酸の刺激を思い出してみるが、この時代にそんなものは無いだろうと器を置いた。
実際、炭酸水が瓶詰めされ売り出されるのは十数年後の話だ。明治元年から外国人居留地では製造販売されているが、日本人で口に出来たのはごく限られた者だった。

うーん、と唸って美味しく味わう方法を考えていると、やがて玄関扉が音を立てた。

「お帰りなさい」

「あぁ、戻った」

出迎える夢主からよい香りを感じた斎藤は、ふっと目を眇めて靴を脱いだ。

「一さん、ご飯は」

「大丈夫だ、食ってきた。所でこの香りは梅酒か」

廊下を進みながら訊かれた夢主はしまったと慌てた。酒を控えている夫に酒気を浴びせるなどしてはならない。
だが斎藤は「構わんぞ」と穏やかに言って座敷へ入っていった。

「ほう、良さそうじゃないか」

晩飯を終えた膳の上に乗る夢主の器、そこに初めて夢主が漬けた梅酒が注がれていた。

「あの・・・一口試してみますか、私には強いと思うんですけど、一さんにはちょうどいいかも・・・香りも味わいもいいんですよ、まだ少し深みが足りませんが・・・」

「フッ、随分と味を知っているような口ぶりだな。もう普通に呑めるんじゃないか」

「ちょっと舐めてみただけですよ、味見しただけです!」

「そうか、揶揄って悪かったよ。だが上手く出来ているようだな」

斎藤は器を手に取り香りを鼻に運んで言うと、口には含まずそのまま戻した。
いい香りだと満足そうだ。

「だがやめておくさ、酒はな」

「そうですか・・・」

「遠慮なく呑め、折角注いだんだ。あとの始末は俺がしてやる」

俯く夢主に気にするなと伝え、膳の片付けも酔いつぶれたお前の後始末も任せろと斎藤は笑った。

「冷えるが少し開けていいか、酒の気を消したい」

「はい、もちろんです。すみません、なんか・・・」

酒気にやられてしまわないようにか、斎藤は部屋の障子を開け雨戸に隙間を作った。
途端に冷たい風が吹き込み、残りの酒を呑み干す夢主にもこの冷気は酔い醒ましになる。
 
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