斎藤一明治夢物語 妻奉公

□32.追想
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綿入りの上着を着ても肌寒い季節、道を急ぐ人々の口から白い息が漏れる。
昼見世に立ち寄った沖田は馴染みの妓楼で、楼主と共に火鉢で暖を取っていた。
いつもなら落ち着いたこの時間、今日は外が騒がしく妓を取る気も沸いてこない。
そもそも懐かしい華やいだ空気に触れたくて立ち寄ったのだ。こうして座っているのも良いものだ。

「なんだか表が賑やかですね」

「あぁ、もうすぐ花魁道中が始まるって騒いでるんでしょう。お向かいさんに引手茶屋から呼び出しが届いてましたわ」

「花魁道中、へぇ・・・昼間っから派手なお客さんがいるもんですね」

「私らにとってはありがたいお客さんです」

妓楼の主人が座る内所で火鉢越しに楼主と打ち解けて話す男、はたから見れば沖田が特別な人物だとすぐに分かる。上客ではなく別格の客だ。
大坂で楼主の命を救った恩人、今も客が暴れた時には騒ぎにならぬよう密かに抑えてくれる。確かな人柄と圧倒的な剣腕で頼りにされていた。
外の様子も分かり妓楼内の人の行き来が見える場所。騒がしい雰囲気の中、沖田はある相談を持ち掛けられた。

「えっ、今なんと・・・」

「ですから、新造の突き出しです。一番期待の振袖新造ですから信頼できる旦那さんに任せたいんですよ。井上さん以外におりませんやろ」

「ちょっと待ってくださいよ、僕は本当にそういうのはお断りですよ、荷が重すぎます!」

「水揚げに必要な金子はこちらが持つのが習わしです。井上はんはただ優しゅう手ほどきしてくだはったらそれで構しまへん」

説得に熱が入る楼主から懐かしい西の言葉が飛び出した。
水揚げとは禿から新造に上がった妓が初めて客を取る日、初めて男を知る儀式である。
初めての情事に恐怖を感じぬよう色事を知り尽くした大人の男、信頼が置ける馴染みの上客に任せる習慣がある。
それを楼主が誰より信頼する沖田に託そうというのだ。

「だって、普通はもう少し齢のいった御仁の役割でしょう、僕には無理ですよ!」

「いいえ井上はんなら何の心配もなく任せられます。今まで散々自由に妓を弄んできたんです、これくらいの事してもらいまへんと」

「弄ぶだなんて人聞きの悪い・・・僕はただ一人の方に決めたくないだけなんです。執着・・・したくありませんから」

「女郎泣かせもいいとこでっせ、執着してもらうんが仕事やと言いますのに。普通は一人を決めて通うもんですよ井上はん」

「それは・・・本当に申し訳ないと思いますが・・・」

「井上はんを客に取りたいと妓達が揉めた事もありまっせ」

「うっ・・・」

自分が原因となって起きた問題を突き付けられ、気まずさから息を呑んだ。
妓からも聞かされたことがある。
敵娼に選んだにも関わらず床に連れて行ってもらえないのは不満だ、あの妓は相手をしてもらったと言っていたのに今宵は何故駄目なんですか。
気まぐれな客が揚がる度に見世に座る妓達が期待でざわついた。

「一生を任せるというわけでも無し、一晩の儀式でっせ。まだ時間はあります、少し考えてください」

「・・・考えるだけですよ」

気が重い。なんて役目を頼まれたのだろう。
一人の妓と向き合うのが嫌で気ままに廓通いを続けた沖田にはとてつもない悩みとなった。
元々妓を買う気がなかった沖田は逃げるように妓楼を抜け出した。
 
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