斎藤一明治夢物語 妻奉公

□33.陸蒸気の景色
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吉原の大通りに植えられた桜の木々は蕾を大きく膨らませていた。
花開く日を待ちわびる蕾達、夜になると立ち並ぶ妓楼の提灯に照らされて、先だけほころぶ花びらが妖しく輝き始める。

沖田はひとつの覚悟を決めて、馴染みの妓楼の一室にいた。
楼主に持ち掛けられた水揚げ話を受け入れたのだ。
話を聞かされてからふた月は経っている。どうしても頼みたいと楼主は引かず、沖田は断りきれず悩み続けて今日に至った。

衣装寝具など絢爛豪華な支度品や突き出しの道中や宴の場、面倒な仕切り一切を楼主と姉貴分の昼三に任せ、沖田は一人待っていた。
やがて訪れたその時、座敷へやってきた妓へ黙って会釈をし、冷静を保った顔でしなやかに座る姿を見つめた。

・・・くっ、可愛いっ・・・くそっ・・・

平静を装っているが内心は正直な言葉が浮かんでいた。反応が顔に出ないよう必死に心を落ち着かせる。
可愛くて当たり前だ、突き出しを済ませてすぐに客を取り始める新造とは違う。昼三への道が約束された器量好しで学も身に付けている振袖新造。
所作の全てが流れるように麗しく、微かに残る幼さがいやに妖艶だ。

・・・やっぱりご主人の人選は間違いなんじゃ・・・僕なんかには相応しくない役目ですよ、これは・・・

目の前の遊女はあまりに自分に相応しくない存在だ。
美しく、まだどこかあどけない顔立ち。申し訳なさが込み上げて、せっかく決めた覚悟も揺らいでしまう。
手が汗ばむのを感じ、今からでも遅くない、主人に無理だと訴えようと立ち上がろうとした時、目が合った妓がにこりと微笑んだ。

「っ・・・」

何て可愛らしい子なんだ。当たり前か、楼主が一番と自慢する期待の娘だ。
新造が見せる優しい微笑みが沖田の心を掻き乱した。

・・・調子が狂う、やはり出来ません・・・

「あの・・・私では不十分でしょうか」

再度立ち上がろうと足に力を入れると、新造は気付いたのか引き留めるように眉根を寄せた。
ここまで来て断ればこの妓の遊女としての名と誇りに傷が付く。不安を浮かべる妓からその事実を察した。
戻れないところまで来てしまったと、沖田はようやく気が付いた。

「いえ、すみません。とてもお綺麗ですよ、きっとすぐに昼三に上がれます」

「そんな・・・姐さん達が羨ましいって言ってたんです」

「えぇっ、参ったなぁ・・・」

羨ましいと遊女達が呟いた理由には自覚があった。楼主から散々聞かされている登楼の仕方が問題なのだ。
妓達を惑わせた申し訳なさと、目の前の娘が姉貴分の女郎達から妬まれるかもしれない心配から、沖田は困ってしまい頭を掻いた。

・・・ちゃんとしないといけないんだ、この娘の為にも・・・

「普通お客はこんな戸惑ったりせずすぐに体を寄せてくるでしょう。男達は知っているんですよ、貴女達が客との床に体の反応を鈍らせている事を。ですからしつこいぐらい触れてくるでしょう。まともに向き合っては疲れますから、適当にあしらわないとね」

「はい、姐さんにも教えていただきました。お客さん相手にいちいち感じてはならぬと・・・でも姐さん達も井上さん相手ではその必要もないと仰っています」

「どういうことです」

「井上さん相手なら素直に感じた方がいい、滅多にお相手もしてもらえないんだからって・・・」

「ははっ、なんて話をしているんですか」

気まずいことこの上ない話だ。深く関わらぬよう振舞っていたつもりが、返って妓達の心を引き寄せてしまっていた。
沖田は短く太い息を吐いて、小さく頭を振った。

「ふふっ」

思わぬ小さな笑みに、沖田は顔を上げた。単純な疑問が湧いた。

「何かおかしいでしょうか」

「ごめんなさい、井上さんはとても素直な御仁なのだと思いまして、こんな愛らしい殿方がいらっしゃるんですね」

ふふっと漏れる笑みに照れを覚えた沖田、熱くなった顔を隠す為、咄嗟に新造のそばへ体を移した。
驚いて顔を上げる妓の目前に愛らしく照れていた御仁の顔はなかった。
これが殿方の欲・・・女を求める時にだけ見せる熱い瞳が新造を捉えていた。

「覚悟はよろしいですか・・・なんて、冗談ですよ。大丈夫、怖くありません・・・」

丸い目で驚いたまま頬を染める妓は小さく頷いた。
新造は今宵、初めての勤めを果たした。
 
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