斎藤一明治夢物語 妻奉公

□34.警官と密偵
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止まない蝉の声が残暑を強く感じさせる明治七年八月、ひとつの官報が発令された。
『戊辰戦争の際、逆賊の汚名を着せられ戦死した者の祭祀を許す』
それは長く禁じられてきた敗戦者の弔いをようやく認める報せだった。

「こいつは・・・悪いがしばらく家を空けるぜ!」

この発令を知るなり郷を飛び出す者がいた。
乾いた風が涼やかな北の地、居ても立ってもいられず飛び出したのは、戊辰戦争で数えきれない仲間を失った男だ。

ずっと胸を覆っていた霧をこれで晴らすことが出来る。
汚名を着せられ戦死した友は数知れない。
考えがぶつかり、途中で道を違えた者もいる。
それでも掛け替えのない時間を共に過ごした仲間だった。同じ釜の飯を食い、同じ湯で背を流した仲間。
互いの背を預け命を懸けた。大切だと信じたものを共に夢見た時は決して忘れない。

時代に裏切られ賊軍と呼ばれ、息を顰めるしかなかった。
だがこれで堂々と自分達の想いを貫ける。散っていった仲間の為、男は動いた。


季節は廻り温かい羽織が手放せなくなった頃。
この報せは夢主の耳にも届いていた。戊辰の被害者を弔う小さな碑が建てられた話を耳にしたのだ。
政府の密偵である斎藤はもちろん官報のその仔細や碑の存在を把握している。

「堂々と碑を建てて弔ってもいいってなったんですよね、逆に言えば今までは駄目だったんですね、だから亡くなった方を慕う皆さんは隠れて手を合わせていた・・・」

「新政府もようやく愚かしい禁じを解いたな」

各地で士族が不満を募らせている。
幕末、幕府を討たんと命を懸けた男達が先日騒乱を起こしたばかりだ。
新時代は明るいと信じたがその実は旧時代と変わらず、苦渋を味わう日々が続く。

討幕側がそうであれば、負けた側は尚更苦しい生活の中、より大きい不満を抱えている。
いつ爆発してもおかしくない旧幕府側の士族を少しでも懐柔しようとする狙いか、単に人道的感覚を政府高官が取り戻したか。
いずれにしろ、かつて賊軍と呼ばれた者やその近くにいた人々はこの報せを喜んだ。

「総司さん、近藤さん達のお参りしたいでしょうね」

隠れず手を合わせられる日がやって来たなら、傍で見送れなかった大切な人達を弔いたいだろう。
沖田は今でも一人、血の繋がらぬ心の兄達を思い出している。思い出の地を歩けぬ代わりに、懐かしい景色に似た吉原へ通っている。

「そうかもしれんな。直接聞いてみたらどうだ、沖田の若旦那に」

「若旦那・・・」

沖田の気持ちを思い俯く夢主に対し、斎藤はフンと軽く応じた。
他人の気持ちに同調し過ぎて塞ぎ込まぬよう気遣っての軽いあしらいだが、夢主は気になる一言に首を傾げた。

「一さん、最近たまにですけど総司さんのこと若旦那って呼びますよね。どうしてですか、前はそんな呼び方しなかったのに」

「それも直接聞いてみるといい、若旦那様にな」

楽しそうな夫に夢主の首がさらに傾いた。
斎藤はフフンとご機嫌顔だ。目が合ったままニヤリと笑む歪んだ口はもう開きそうにない。

「一さんたら・・・」

会話を打ち切られた夢主は言われるまま、当の本人に訊ねることにした。

毎日のように顔を合わせる隣人、独り身で道場の師範。商売をしている訳でもない。
では若旦那と呼ばれる理由は何だろうか。

「総司さん、婿入りでもなさるんですか」

「ぶっ、いきなり何ですか、変な声出しちゃったじゃありませんか!」

稽古の後、安らぎの一時。
縁側で静かに茶を啜っていた沖田が、口のものを吹き出した。
手拭いを出すのも忘れ、慌てて着物の袖で拭いている。
 
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