斎藤一明治夢物語 妻奉公

□38.鳴動の時
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ある朝、布団のぬくもりの中で眩しさを感じ、夢主は瞼を開いた。
雨戸の隙間から朝日が差し込んでいる。
薄暗い部屋に出来た光の筋は、外の空気を想像させる。まだまだ朝の空気は冷たいが、とても暖かそうな光だ。

夢主は暫く白い筋を眺めていた。体を起こそうとした時、後ろから大きな腕がするりと伸びて腰に絡みついた。
寝る時にはいなかった斎藤がいた。道理で背中が温かいわけだ。

「もう起きるのか、お前にしては早いな」

「一さん・・・おはようございます。戻ってたんですね、お帰りなさい」

夢主は寝転んだまま振り返ろうとするが、しっかり抱きしめられて叶わずに、肩越しに夫の顔を確認した。
障子戸にはめられた横長の硝子から、隙間明かりで廊下が照らされている様が良く見える。

「夕べは遅くまで大変でしたね」

「いつもの事だ」

そう言って目の前の滑らかなうなじに顔を寄せた。
癒される行為なのか、すん・・・と夢主の香りを嗅いでいる。

斎藤は目と閉じて昨夜の出来事を思い返していた。
警視庁が廃止され、内務省管轄の身となった。
しかし上司だった川路は内務卿大久保の信任が厚く、内務省警視局大警視として引き続き斎藤に任務を与える立場にいる。

何も変わりはない。ただ一つの変化は自身の昇進だ。
川路から直接話を受けた。
それを夢主に告げた。

「承知の話かもしれんが俺は警部補に任命された。仕事に変わりはないが、便宜上の昇進だろう」

「警部補・・・」

「なんだ、喜んでくれないのか」

「おっ、おめでとうございます!嬉しいです。誇らしいです!おめでとうございます・・・」

斎藤にとって職位はただの役割だ。昇進したからと言って何も変わりはしない。
内乱が起きた際、慌てて面倒な手続きをしなくて良いよう予め職位を上げたに過ぎない。
小隊を指揮する権限を与えられる最低限の役職だ。

「ま、川路の旦那やその周辺がようやく俺を信用してくれたんだろう」

「川路さんは最初から一さんを信頼されてましたよ。周りのみなさんだってきっと」

「表向きはな」

戊辰の勝者として敗者を部下に持つのは大変に違いない。いつ裏切りがあるか、中枢に入り込むまで仮面を付けているだけかもしれない。
斎藤の評価はどうだったのか。
先日の事件で、裁く対象がたとえ身命を賭した会津の人間でも容赦なく刃を向けられると、更なる信頼を得たのか。

「信頼がなければ任せられない仕事を沢山してきたじゃありませんか」

「そうだったかな」

「今夜・・・昇進のお祝いでもしましょうか、一さんが認めていただけたのなら私も嬉しいです」

「今夜は遅いぞ」

「じゃぁ・・・今度、また早く帰れた時に」

昇進の意味を理解している夢主は今ひとつ心から喜べずにいた。しかし夫の出世なら素直に祝いたい。
祝いにも昇進にも興味のない斎藤は夢主に「任せる」と頷いた。

腕を解いて雨戸を開けると、穏やかな陽が庭を包んでいた。
早いもので庭の椿が殆ど花を落としている。
そのそばで、梅の木が花の盛りを迎えていた。
 
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