斎藤一明治夢物語 妻奉公

□54.伝言
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維新志士ばかりを狙う謎の人斬り事件、通称黒笠事件は人知れず終焉を迎えた。
鵜堂刃衛は緋村剣心との闘いを自らの死で終わらせた。
それは記憶を少しも違えぬ出来事。

まだ明るい赤べこからの帰り道、大きな川沿いを行く夢主へ向かって真っ直ぐ土手をやって来る者がいた。
小さく見えた人影はあっという間に大きくなり、夢主を越える高さになった。

「終わったぞ、全てな」

「はぃ・・・」

立ち止まって告げられた一言。
夢主は目の前の斎藤を見上げた。
人の死と事件の解決、悲しみはもちろん、充足感も何も見せない冷静な佇まい。

「お前が気に掛けている奴らはみな無事だ。黒笠事件は、終わった」

夢主は現実を受け入れるように静かに頷いた。
剣心も薫も無事なのだ。そして刃衛は死んだ。

「今夜は帰らん。家の事は任せたぞ」

「はい。何も心配いりませんから一さん、頑張ってください」

夢主は仕事へ戻る夫に満面の笑みで応えた。
気を張った笑顔だと分かる。
それでも斎藤は「あぁ」と応えて去って行った。

後ろ髪を引かれる己を誤魔化す為、煙草を取り出して火をつける。
音もなく筋が伸び、気持ちを代弁するような紫煙が斎藤の去った場に残された。

振り向かない後ろ姿が土手を下りるまで見届けて、夢主もようやく歩き出した。

一晩中肌を重ねた夜、明けて意識を失うよう眠ってしまった。
斎藤は休みを取ったのかどうかも分からない。
優しく頭を撫でられて「行ってくる」そう聞いたのを覚えていた。

あれから幾晩経っただろうか。
帰った形跡だけが残る夜がまた始まっていた。

「今夜も戻らないんだ・・・」

今度は何が起こるのだろう。
刃衛の次に剣心の周りを騒がせ、斎藤の手を煩わせる事件。幾つか浮かべども今日明日何が起こるかまでは分からない。

考えるのをやめようと河原に目を落とせば、激しい流れが目に入った。
人影はない。人が入るには水量が多く流れが速い。
刃衛が薫を連れ去るのに利用したのがこの流れだ。上流で激しい雨でもあったのか、一昨日からいつもと違う川の表情が続いていた。

「おや」

川を眺めていると短く驚く声がした。
聞き覚えがある声、顔を土手へ戻すとすぐそこに剣心が立っていた。
手には豆腐桶。夕食の支度に帰る途中らしい。

刃衛と闘い負傷したはずだが、手負いの身だとは微塵も感じられない。
けれども心に増えた傷は人知れず痛んでいた。
人斬りをやめ、誰の命も目の前で失わせはしない。そう誓った彼の前で自刃した刃衛。
それでも今、剣心は変わらぬ笑顔で立っている。
どこか淋しそうに悲しそうに微笑んで、夕暮れ時を待つような赤い髪が秘めた苦しさを際立たせるようだった。

「何か言いたげでござるな」

「あ・・・いえ・・・」

「ははっ、困らせてすまない。実は言いたいことがあるのは拙者。一つ気になる事があって・・・すまないが時間を貰えるだろうか」

「もちろん・・・構いませんけど」

今回の一件に関わる話だろうか。
剣心に導かれるまま夢主は人けのない土手の斜面に腰かけた。
日中の日差しで乾いた草は柔らかくも張りがあり座り心地が良い。
座る剣心の膝に乗せられた桶の中には美味しそうな豆腐が沈んでいた。

「あの、お話してて大丈夫ですか、お豆腐が・・・」

「ははっ、すぐに終わるでござるから。実は夕べ・・・薫殿がさらわれた」

「薫さん・・・ご無事で」

「あぁ。驚かないでござるな。鵜堂刃衛、幕末の人斬りが・・・」

夢主は薫の身に起きた出来事、鵜堂刃衛の名や人斬りという言葉にも驚く様子を見せない。
剣心はこれは参ったと笑った。
 
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