斎藤一明治夢物語 妻奉公

□56.痛みを抱えて
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至極晴れ渡った空が広がっている。
雲一つない朝、ここ暫く続いた真夏のような暑さは引いていた。部屋に吹き込むのは初夏に相応しく涼しく穏やかな風。
そんな爽やかな朝に似合わぬ声を夢主は漏らしていた。

「ぃ、痛たた・・・ぅう」

昨晩我に返った後、静かに身を整え湯浴みを済ませ大人しく床に就いた。
そして目覚めた今、鈍い痛みに襲われている。
無慈悲に打ち続けられた夕べの情事は筋肉が硬直する朝の体に鈍い痛みを残した。
体が温まれは治まっていくだろう。
だが今は痛みに耐えながら、壁を伝うように手をついて移動するしかなかった。

寝巻の上から羽織に袖を通しただけの恰好で裏口をくぐった。
夕べ斎藤に肌を責められた路地も板塀に手を添えて通り抜ける。
その場を見るのが恥ずかしい。早く通り過ぎたいが、夢主は足を引きずって少しずつ進んだ。

「そ、総司さん」

「おや、随分な恰好ですね、お早うございます」

朝の日課、素振りに励む手を止めて沖田は夢主に手を貸した。
猫背でのそのそ歩く姿は腰の曲がった老婦のようだ。

「どうしたんです、大丈夫ですか」

「へへっすみません、ちょっと痛くて・・・」

「へぇ、随分と」

「えっ」

「いえいえっ、なんでもありませんよ」

随分と激しかったんですね、浮かんだ言葉は笑顔で飲み込んだ。
昨日夢主より早く我が家を通り抜けた斎藤。半時ほど遅れて夢主が帰り、自分は入れ替わるように出かけてしまった。
どうやら想像通りの夜になったようだ。
沖田は密かに笑った。

「あの総司さん、夕べはその・・・変な声聞こえませんでしたか」

「変な声?」

唐突な質問に吹き出しそうになる。
何を訊ねているかこの子は分かっているんだろうか、込み上げる笑いを堪えて唇が落ち着かない。
にやけを必死で抑える沖田の前で夢主は恥ずかしそうに俯いている。

「いえっ、あの・・・夕べそこに一さんがいて驚いちゃって・・・叫んじゃったんですけど総司さんいつもなら飛んできてくださるのに」

「ははっ、その声なら聞こえましたよ。でも斎藤さんがいるって分かりましたから僕は何も。そのまま出かけちゃったのでね」

「そうですか・・・」

自分の返事で夢主が愁眉を開くのが分かる。
想像通りの情事がすぐそこで行われたのだろう。沖田はそれをわざわざ確認する夢主を笑いたくて仕方がなかった。

昨日、路地裏に引き込まれる現場を目撃してしまった。相手が斎藤と分かり距離を取ったが、出てきた夢主の様子で男女の何かが起きたと分かった。
それから夕べの出来事。
簡単に分かるものを、夢主は悟られていないと判断したようだ。それが何とも可愛らしくて可笑しかった。

「ふふっ、それでこんな朝早くどうされたんです、もう少し休んだ方が良いんじゃありませんか」

「実は総司さんにお願いがあって、お使いを頼まれてくれませんか」

「お使い」

夢主が沖田に頼んだのは赤べこへの伝言。
腰の痛みは徐々に緩和されるだろうが、どう頑張っても動きが鈍い。店に立っても迷惑を掛けてしまうので今日は休みたいとの願いだ。
顔色が悪いと指摘されたのも気になる。

もう一つ願いがあるが、それは妙に直接話さなければならない。仕事を減らす話だ。

斎藤の言い付けを一晩考えてみた。
忙しい店を毎日のように手伝っている。
それは楽しい時間であり大好きな妙の助けになる。
しかし、そこで生まれる薫や左之助との時間がそれぞれの心に影響を及ぼす。左之助との関係が深まり、双方傷付いたきっかけも赤べこへの道中や帰り道。
幕末明治、いつしか生活にも慣れ、安心しきって自由に振る舞い過ぎたかもしれない。夢主は自分を戒めた。

「あともう一つお願いなんですけど、もし恵さんがいらしたら教えてください。呼びに来ていただけますか、もし外でしたら会いたがってると伝えてください」

「恵さんですか、いいですよ。道場の場所は伝えてありますし、いらっしゃるかもしれませんね」

恵は神谷道場に身を隠すが、一度は去ろうとする。それを剣心に引き留められ、留まる決意をするが観柳達に脅され・・・。
五年は経つだろうか。
恵の記憶に夢主と沖田が残っていれば、あの時突然現れ阿片の話を持ち出した謎を解決しようと、ここを訪れるかもしれない。

「お願いします!昼でも夜でも構いません」

「畏まりました。代わりにね、一つ僕からもお願いです」

「総司さんからも・・・出来ることでしたら・・・」

「素直ですね、ははっ。あのね、もう少し休んでください」

急な申し出にきょとんとする夢主。
沖田は斎藤に目付を頼まれていると告白し、布団へ戻るよう伝えた。
体が痛くて動けないのならば身の回りの世話をしますと、夢主が横になるのは自宅の布団から沖田の家の布団に代わった。
 
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