斎藤一明治夢物語 妻奉公

人誅編4・管巻く先へ
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「ま、"ててなし子"になっちまったらいつでも頼ってくれて構わねぇからな、俺は死なねぇよ」

「ふふっ、左之助さんも一さん並みにしぶとそうですね」

「何だと」

父親がいないと苦労するぜと冗談を言う左之助を夢主が揶揄い返すと、左之助は怒ったふりをして拳を見せた。
しかし笑みを湛えて、それも冗談だと分かる。
夢主は大きく微笑んだ。

「冗談ですっ」

「分かってるよ、笑えるんなら大丈夫だな。悔しいが斎藤は強ぇからな、今回も生きて戻るんじゃねぇか」

「左之助さんも、緋村さんも……みなさんそうです」

「当り前ぇだ!」

「頼もしいですね、ふふっ、一さんを……みなさんを……よろしくお願いします」

「おいおい、何で泣くんだよ!」

夫を案じて頭を下げた夢主の顔が上がった時、瞳がきらりと光って左之助を狼狽えさせた。
いつかの呑み屋の夜みたいに、自分が泣かしたみたいじゃねぇかと辺りを見回す。

「泣いてませんよ、ちょっと込み上げちゃっただけで……」

「孕むと気を病みやすいってやつか、大丈夫だ、安心しろよ」

左之助は夢主を励まして背中に手を添えた。
小さな背中に大きな腹、小柄な体で身籠る姿、左之助は俺達よりお前こそ心配だぜと優しい視線を投げかけた。
夢主は目尻に涙を貯め、これから子を産むとは思えない幼さ残る無垢な表情を浮かべている。

「大丈夫です、本当に……安心したから込み上げちゃったんです、ずっと左之助さんに申し訳なくて……」

「あぁもぅ、だから気にすんな!いいな、俺は構わねぇから、泣くのは許さねぇ!泣くと腹に響くぞ!」

「ふふっ、怖いです、ごめんなさい」

「だぁああっ、怖くねぇ、俺は怖くねぇ!」

力強い声で言われると体が逃げてしまう。
ふざけ半分に夢主が怖いと言うと、左之助はあたふたとして反論した。

「怖くありませんよ、言ってみただけです」

「涙浮かべてるくせに流石は斎藤の嫁だな、なんか分かった気がするぜ」

「はい、一さんの妻ですから。ふふっ」

きらりと光る涙を拭って笑う夢主の姿に、左之助もほっと肩の力を抜いた。
母になる夢主を大人しく見守るつもりでいたが、どうやら気持ちの整理はそう簡単ではないらしい。
暫くは振り回されそうだと、左之助は笑った。

「左之助さんはこれからどうするんですか」

「そうだな、まずは赤べこに行って飯でも食って腹ごしらえだな」

「あは……妙さんにお代払ってあげてくださいね」

夢主は顔を引き攣らせる妙を想像して苦笑いをした。
左之助は夢主を通り越した先に視線が向いている。

「なんだアンタ」

誰かに左之助が問い、夢主が「えっ」と振り返ると老人が一人、穏やかに笑んでいた。

「オイボレさん……」

この橋で出会ったのは縁だけではなかった。
かつて縁に会った直後、オイボレに出会っていた。
そのオイボレが今一度、この橋を渡ろうとしている。

「おや、儂の通り名をご存知じゃったか。今日はあの時のめんこい剣客さんと一緒じゃないんじゃのぅ」

「お前この爺さんと知り合いか、夢主。めんこい剣客たぁ誰だそりゃ、斎藤じゃねぇのは分かるがよ」

「総司さんです。オイボレさんとは以前この橋で偶然……。オイボレさん、これからどちらへ」

夢主が見知らぬ年寄りと話したがっているのを察し、左之助は咥えている魚の骨を黙って揺らした。
井上総司、斎藤とは別にもう一人敵わねぇ男がいたっけか、そんな思いを揺れる骨に乗せていた。

「若い彼がようやく立ち上がったんでな、儂も懐かしい気分に浸りたくなったんじゃよ。ちょいと、墓参りにな」

「墓参りに……」

オイボレの目が、割れた眼鏡の奥でにっと和らいだ。
落人群で不思議な出会いをしたが、この橋での出会いも不思議だ。いい出会いじゃとにこやかに夢主を見つめている。

「あんたにも会えて良かった、またどこかで会えるかのぉ、ホッホッ」

何だか懐かしさを感じる娘っ子じゃ。
オイボレはにこにこ笑んで通り過ぎた。
汚れた衣の老いた背中だが、人生は楽しいぞと語り掛けている。何かを失くしても、また見つけて歩き出せば良いのじゃと語る背中だ。
夢主は行ってしまうオイボレを呼び止めた。

「巴さんは、」

立ち止まり、優しい顔でオイボレが振り返る。
お主はその名を知っている気がしたよと、驚きもせずに耳を傾けている。

「きっと、幸せだったと思うんです」

思い掛けぬ言葉にオイボレの目が眼鏡のように丸くなった。
僅かな間、言葉を失って夢主を見つめ、やがて元の柔らかな笑顔で頷いた。

「ホッホッホ、そうじゃろう。なんせ巴は儂の中で毎日笑っておるでの」

「オイボレさん……」

「あんな優しい彼と共にいたのじゃ、幸せでないわけがないじゃろうて」

そう言って、ほとんど歯が抜け落ちた口で、にっと笑った。

「どうじゃ、一緒に墓参りに行くかね」

「えっ」

「言うてみただけじゃ、その体で旅などさせられんわい、ホッホッ!娘を思ってくれる者がこんなにいるとは正直思わなんだ、幸せ者じゃよ。娘っ子よ、達者でな」

本当に儂も娘も幸せじゃ。
そう言い残してオイボレは手を振った。
出来ることならば、息子にも……密かに淡く願い、オイボレは歩いて行った。
 
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