斎藤一明治夢物語 妻奉公

人誅編 完・繋ぐ日々、廻る月
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考え事にはうってつけの場所だ。
斎藤は以前と同じことを思って警視庁の一室で夜風に当たっていた。

「げっ、オッサン!」

丑三つ時、午前二時。誰もいないと考えて扉を開けた張が、斎藤にギロリと睨まれて固まった。

昼間の行動が筒抜けで、余計なことをと怒らせたのか。
それとも本気で金目の物を持って逃げるつもりでいたが知られて、物盗りに対するお咎めの視線か。

張は今すぐ逃げ出そうと重心を下げるが、昼間に向けられた夢主の微笑みを思い出して踏み止まった。
難しいあの人を支えてくださって……、優しい声が蘇る。
このオッサンにはホンマもったいない嫁はんやでと、張から溜め息が出た。
部屋にはボーンボーンと振り子時計の重たい音が鳴り響いている。

「抜刀斎のところ行かんでえぇんか、決闘の時刻はとうに過ぎてるで!」

「誰が決闘に応じると言った」

斎藤は張にその気は無いと告げ、今の緋村は決着を着けたかった抜刀斎ではないと語った。
理解出来ぬ張は怪訝な顔でどういうことか問うが、斎藤は疑問には応じない。

この想いは語って伝わるものではない。
斎藤は灰皿に盛り上がった吸い殻の山に、手にある煙草を押し付けた。

冷たい突風が暗い夜空から斎藤目掛けて吹き付ける。積まれた紙束が舞い上がって張を驚かせた。

「冷えてきたな……」

「あっ、ああそやな、もう秋やさかい」

無難に相槌を返す張には、遠くを見つめる斎藤の顔がいつも以上に怖く感じられた。
新しい煙草に火をつけた斎藤は、小さな声で「阿呆が……」と溢した。
緋村剣心はこの寒空の下、決闘の地で一人待っているのか。姿を思い浮かべるが、もう熱く滾るものは湧いてこない。

寂寥の風を受けて動かずどこかを見つめている斎藤に、張はぼそりと小言を言った。

「行かへんのやったら帰ったりぃよ」

張に反応した斎藤が黄金色の瞳を動かして、無言で張に厳しい視線を突き刺した。
何か言ったかとばかりに、相手の口を封じる視線。

「なっ、何でもあらへん……ワイは帰るで」

ぼそぼそと漏らして張はそれ以上何も言わず、物盗りも諦めて警視庁を出て行った。

突風が嘘のように風はぴたりと止み、部屋は静まり返った。
冷たい空気に長年の熱が冷まされていくようだ。
煙草を強く吸うとじりじりと音を立てて燃え、一気に短くなる。

「阿呆が」

一人残った斎藤は同じ言葉を繰り返した。

人斬りが人を斬らぬなど阿呆でしかない。
十年以上も決着を待ち望んだ己もまた阿呆かもしれない。

「十年、たった十年」

長くも短い十年。
その間に俺も抜刀斎も、目に映るものがあまりに増えてしまった。
見て見ぬ振りは出来まい。
悪しき行いから目を逸らせないのと同様、目を逸らしてはならない存在がある。目を逸らしてならないのは己の周りだけではない。今ならば分かる。

斎藤は空に浮かぶ大きな満月を見つめた。
変わらないのはあの月ぐらいか。
月が見守る人の世は刻々と変わっていく。
俺も、共に月を眺めた夢主も、それに勉もだ。
それぞれ変化しながら、常に変わりゆく時代を生きるのだ。

「時代。新しい時代に、俺も生きるさ」

フッと物憂げな息を吐いた斎藤は、新しい煙草に火をつけた。
 
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