斎藤一京都夢物語 妾奉公

□75.灯火
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空気は冷たく空はまだ月の世界、寅の刻は午前四時。
土方の部屋の前、小さな声で彼を呼ぶ者がいた。

「土方先生、土方先生」

幾度かの呼びかけの後、ようやく中で人の動く気配が感じられた。

「土方先生、斎藤先生が戻られましたので申し付け通りお伝えに参りました」

「そうか・・・ご苦労だったな」

眠たそうな声が返ってくると、門番を務めていた男は持ち場へ戻って行った。

「まだ真っ暗じゃねぇか・・・」

ぼやきながら予想より早い斎藤の帰着に、土方はのっそりと起き上がった。
外に出て斎藤を探そうと、部屋の障子戸を開け、目の前に立つ斎藤の姿に一気に目は覚めた。
まだ屯所内のどこかにいると思った男が立っていた驚きではなく、その様相に目が覚めた。

「お前っ、何だその格好・・・何してきやがった」

綺麗な寝巻姿の土方の前に立つ斎藤の長着は、肩口から褄先まで広く血を浴びていた。

「何って、夜道を歩いていたら囲まれたので全て斬り捨てた・・・それだけです」

「そうか・・・そいつは難儀だったな・・・で、」

女を買ったのか、訊ねたかったが土方は言葉に詰まった。

「休息所で頭を冷やしていたんです。悩んでも仕方ないので色街へ・・・向かおうと思ったらこれだ。この格好ではどこも入れてはくれまい」

「そうか、そうだな。・・・着替えるんだな、部屋に戻るのか・・・お前、襲ったんだってな」

夢主を・・・そこまで口に出来ず土方が言葉を飲み込むと、とにかく着替えを・・・歩き出していた斎藤の体が止まった。
斎藤がゆっくり振り返れば、土方が困った顔を見せている。
土方が夢主だけでなく、自分も気に掛けてくれていると気付き、素直に一度小さく頭を下げた。

「馬鹿をしたと思っています、大丈夫です。着替えたら戻ります。夢主は寝ているでしょう・・・抜刀斎の報告を詳しくお聞きしたいそうですね、門番の奴が土方さんを訪ねるよう言っていました」

「あぁ。着替えたら来てくれ、すまんな」

「いえ・・・」

もう一度頭を下げると斎藤は部屋へ戻って行った。

「そう、俺は馬鹿なことをした、だがあの時はあれでいいと思ったんだ。渇きとは・・・恐ろしいものだな」

袖口についた血を眺め、ぼそりと呟いた。
独りの夜道、向かってくる敵を散々に斬り捨て、抜刀斎で満たされなかったものが僅かに埋まった気がした。

部屋に戻るといつもの安らかな寝息が耳に入り、斎藤は心の底から安堵した。
寝てくれていることに、そこにいてくれることに安心した。

「すまなかったな・・・」

すぅ・・・と耳に届く寝息に心を寄せていると、叩かれた場所がじんじんと疼いた。
夢主の心の痛みは比べ物にならないだろう、俺を怖いと感じただろう。
静かに流れる平和なこの時を味わい、斎藤は先程の行いを悔いた。

衝立の向こう、見えない夢主に詫びると手早く着替えを済ませる。
着替える際に空気に触れた着物から、血の臭いが広がった。

斎藤は血汚れた着物を手に部屋を出た。
洗い桶に着物を無造作に放り込み幾度が水を浴びせ、おおよその血が流れた所で斎藤は洗い桶をそのまま放って土方の部屋へ向かった。
後は朝に見つけた若い隊士がやるだろうと思ったのだ。

「遅くなりました」

そう言葉を掛けて部屋に入ると、布団は畳まれ、布団が敷かれていた場所に土方は座っていた。

「いや、気にするな」

土方が懸命に自分の顔色を探っているのが分かる。
斎藤は暫く視線をぶつけていたが、ふっと目を逸らし話を始めた。
 
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