斎藤一京都夢物語 妾奉公

□86.見上げる背
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翌朝、身支度を整えた沖田が斎藤の部屋を訪ねていた。

「会わずに行くのか」

「えぇ、行ってさっさと仕事を済ませて来ます。今日中に戻りたいですからね」

「泊らんのか」

「あははっ、泊りませんよ、色々と心配ですから」

「阿呆が、俺がそこまで馬鹿だと思うか、この状況で」

まだ静かな夢主の部屋にちらりと目を向けた沖田を、斎藤はぎろりと睨んだ。

「念には念を・・・でしょう。それに、ばたばたして忘れそうですが新津さんとの約束の日が明日に迫っています。あの人にお会いする前に片付けておきたいんです。あの人は何やら勘が鋭いようですからね・・・何でかな、鬱々としたまま新津さんにお会いしたくないんだ」

沖田は自分を認めてくれた新津こと比古清十郎に、沈んだ姿を見せたくなかった。

「まぁ勝手にしろ、日帰りするなら喋ってないでさっさと行ってこい」

「分かっていますよ!夢主ちゃんのこと、よろしく頼みましたよ!今日ばかりは一日そばにいてあげてください、必ずですよ!」

斎藤が悪態をやめ大人しく頷くのを見て、沖田は大坂へ旅立った。

「とんぼ帰りとは・・・遊んでくる気は無しか」

大坂へ向かう隊務があれば、隊士達は例え務めが早く終わろうが大坂の遊里である新町で遊んで翌日に帰るものだった。
そんな遊びに目もくれない沖田を斎藤は彼らしいと密かに笑った。馬を使い出かけた沖田は夜には戻るだろう。

夢主が目を覚ましたのは沖田が出て暫く経ってから。
布団で体を起こすと、まだ気だるさを感じた。体の疲れもあるだろうが、心からくる体の重さだった。

「そばにいてくれる・・・」

見慣れた景色が安らぎを与えてくれる。

それでも目を閉じると蘇る。
知らない男に触れられたおぞましさ、顔に掛かる血のぬるさ、圧しかかる体の重さ。
目の前で死に逝く者の断末魔・・・今も周りで何かが起きていると錯覚するほど鮮明に思い出された。

そして血塗れた斎藤が抜き身を片手に自分を見下ろしている。
そんな姿が脳裏をよぎり、振り払うように首を振った。

「受けとめなくちゃ・・・私を受け入れてくれているみんなの成すべきこと・・・」

着替えて日の光を浴びれば気分も変わるだろうか・・・
夢主は寝巻から着替え、夏場に相応しい涼しげな淡い水色の単衣を身につけた。

「・・・血の色って・・・紅に似てる・・・」

夢主は呟いて動きを止めた。
顔や羽織、体中に纏わりついた紅。吹き出したばかりの血、鮮血はまさに鮮やかな紅色だった。
沖田から貰った紅の色と同じではないか。

「あの夢はそういうことだったのかな・・・」

いつかの不思議な夢を思い出した。
斎藤が黒い影に囲まれ戦っており、やがてその影が見知らぬ女に変わっていく夢だ。赤い血が思い起こさせる紅は女の象徴。

「みんなにとって戦いと女の人って・・・同じところにあるのかな。それとも・・・対極・・・」

そっと襖を開けると斎藤は文机の前に座っていた。

「おはようございます・・・」

「起きたか、具合は」

「大丈夫です・・・」

一言答えると斎藤の後ろを通り過ぎて、障子を開いた。
外の空気は気持ちよく、空には綺麗な青空が広がっている。刺すような光に目を細めた。

「ごめんなさい、嘘です。本当は体が重くて・・・」

「気が滅入っているんだな、仕方あるまい。今日は一日・・・そばにいてやるから、安心して過ごせ」

「はぃ・・・ありがとうございます」

部屋の中を返り見て俯くように話す夢主に、斎藤は他では見せない優しい顔を見せた。
その表情に夢主の体に圧し掛かる何かがすっと軽くなった。

「本当に、そばにいてくれますか」

「あぁ。土方さんも了承済みだ。話は伝えてあるから、お前が何かを気に留める必要はない。お前の落ち度ではない。ただ」

「はぃ・・・」

「もう二度と、頼むから一人で出て行くな。女であってもついて行くな、いいか」

夢主は口をきつく閉じ、眉をハの字に下げて頷いた。
あまりの反省顔に、斎藤は真面目な気持ちを忘れ、吹き出しそうになってしまった。
 
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