斎藤一京都夢物語 妾奉公

□97.別れの万寿
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華やかな祇園祭を離れ、比古の山小屋を目指す山道は、既に辺りの景色が分からないほど真っ暗だった。
比古が持つ提灯が足元を照らしてくれなければ、夢主はとても歩けなかっただろう。
小屋がある開けた土地に入り、ようやく月明かりが二人を照らした。

「今日はありがとうございました・・・」

「祇園祭は初めてだったな」

「はい、とっても綺麗でした。それに・・・ありがとうございます」

「何だ」

二人は小屋の入り口で並んで腰を下ろした。
上がる前に足を拭う。ちゃぷちゃぷと水に手拭いを入れる音が繰り返し響く。僅かな月明かりが水面の揺れを映していた。

「とぼけないで下さい、斎藤さんのこと・・・あそこにいるって、分かってたんですよね・・・」

「さぁな、だがあの噂。噂はどうであれ、お前を付け狙って山の麓まで来た男、あの男がお前をおびき出す為に仕立てた噂だとすれば、斎藤も必ず奴について来るとは考えたがな」

「ありがとうございます・・・」

「何も礼を言われる事はしてねぇだろう」

「ふふっ、嘘です・・・師匠、会わせてくださったんでしょう・・・斎藤さんと」

「フン、めでたい奴だな」

比古は先に足を清め終えて部屋に上がり、どかりと座り込んだ。

「だがまぁ良かったな、何やらいい雰囲気だったじゃねぇか」

漏れ入る月明かりしかない空間では表情は見えない。
それでも夢主は比古がにやりと笑っている気がした。

「はぃっ、久しぶりに斎藤さんに・・・嬉しかったです。とっても優しかった・・・」

「渡したのか」

「えっ」

「桜だよ、見ていたぞ。ちゃんと渡したんだろう、桜の陶器」

「はい、斎藤さんの懐に・・・」

嬉しそうに微笑む夢主の気配に、比古も暗闇から微笑みを返した。

「お前、どうするんだ」

「何がで・・・しょうか」

「三ヶ月だよ、もう三月経つが戻れるのか」

「あっ・・・」

「約束の三月が過ぎた訳だが、出て行く気は無いんだな」

「・・・もうそんなに経ちますか・・・」

「あぁ経つさ。もしやお前、はなから出て行く気がないんじゃねぇだろうな」

西本願寺を飛び出して既に三ヶ月、伊東があちこち奔走しているようだが、その中に夢主を取り込む策も含まれているらしい。
しかし表立って御陵衛士は大きな動きを見せない。
夢主は油小路の事件の記憶を思い返した。

・・・油小路の変、確かにあれは寒い冬の日だったと・・・そっか、まだまだ先なんだ・・・

「そんなつもりはありません!そんな・・・ただ・・・斎藤さんが戻るまで・・・出来ればここに・・・」

「ちっ、そんな事じゃねぇかと思ったよ。最初から三月のつもりじゃぁ無かったんだな」

「いえ・・・そんな、騙したつもりは・・・確かに長い期間だと比古師匠は嫌なお顔されると思ったから、短めに言ってしまいましたが・・・」

「まぁいいさ。確かにいきなり長々と世話をしろと言われたら俺は断っていたかもしれないからな。だが、客人として扱うのは終いだ」

・・・客人ではなく、いっそ特別な関係にでも・・・そんな馬鹿な考えも今夜の夢主を見て綺麗に吹き飛んだな・・・

比古は密かに笑ってから夢主を見据えた。
外からの薄明かりを背にした暗さゆえ、夢主が比古の鋭い目を見ることは無いが、視線はひしひしと感じていた。

「居たけりゃ居てもいいが、しっかり働いてもらうぞ」

「えっと、あの・・・」

「明日から水汲みくらいは手伝えよ!」

「はっ、はいっ!宜しくお願いします!」

下手をすれば追い出されてしまうと怯える夢主だが、比古はハハッと大きく笑ってその不安を吹き飛ばした。

「追い出しやしねぇよ、お前を危険な目に合わせるものか。俺が責任を持って、お前が戻るまで守り抜いてみせるさ」

「比古師匠・・・」

「そうとなれば、さっさと寝る事だ!歩いて疲れただろう!」

「はい、おやすみなさい・・・」

比古は言い捨てる態度で夢主に無理矢理おやすみを言わせると、先に布団に転がってしまった。
薄目で気配を追ってしまう自分を情けないと思いながら、背後を夢主が通り過ぎて布団に潜り込むまでを確かめた。
 
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