はじまりのロク
□寮生活開始
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着替えやハブラシなど生活必需品と小さいころから持っていたお気に入りの小物などを詰め込んでいるうちに鞄はパンパンになって今にもはち切れそうだった。果たして雄英まで持ち歩けるだろうか。キャリーバッグに入れるべきだったと後悔するけれど今更詰めなおすのも面倒だ。
スクールバッグには昨日相澤先生にもらったカリキュラムと母にサインをもらった同意書を入れた。
母には「寮生活以外認められていない」としか言っていない。そうしないと母のことだから寮生活なんて許してくれなかっただろう。そして、母のことだから相澤先生を喜んで迎え入れただろう。
相澤先生は悪い人ではないと思う。まだ少ししか話していないけれど、それはわかる。ただ、問題は人格の良し悪しではなくてよく知りもしない男の人と一つ屋根の下で暮らすということだ。私はもちろん、相澤先生だって気を遣うだろう。相澤先生のためにも寮で生活すると決めたことは正しかったと思う。
「よし、じゃあいってきます」
限界まで膨れた鞄とスクールバッグをそれぞれ両肩にかけて玄関に手をかけると母は涙ぐみながらいってらっしゃいと言ってくれた。
15年間ずっと一緒にいた母とこの先満足に会えなくなるのかと思うと急に目が熱くなってきてボロボロと涙がこぼれた。
小さな子供のように泣きじゃくる私を母は抱きしめてくれる。私はバスが発車するギリギリの時間までずっと母にすがって泣いていた。
「夏休み、ですか」
学校につくと相澤先生が校門で待っていた。寮まで案内してくれるらしい。
「ああ、だから3か月我慢して帰省すればいい。親御さんも喜ぶだろう」
持つよ、と大きく重たい鞄の方を言うが早いか持ってくれた相澤先生は校舎の方へ歩き出した。私もお礼を言いながら後ろをついて歩く。
さすがと言うべきか、私がここまで息切れしながら持ってきたあの鞄を涼しい顔で持っている。やっぱり相澤先生はプロのヒーローなんだ。体が鍛えられているからあんな鞄、片手で持つのは雑作もないんだろう。
「にしても何入れてんだこれ。重すぎるだろ」
やっぱり重いものは重いらしい。
雄英の寮は校舎の裏側にあった。
「寮というには少し小さいような気がします」
「一軒家だからな」
「イッケンヤ…?」
「一軒家」
そう言って相澤先生は鞄を担ぎなおすと何の躊躇いもなくごく普通の家庭にある玄関の扉を開けて入っていった。来客を知らせるごく普通の鈴が鳴る。
寮というのは4階とか5階まであってたくさん部屋があって、玄関というのは入ったら廊下があってその先にいくつもの部屋のドアがあって、それでいてロビーとかで生徒たちが集まってカードゲームなんかしたりしていて……というのがここに来るまでの私の想像していたものだ。
「平屋だが大体想像とあってるだろ?」
「いや合ってません」
実際の寮は平屋の一軒家。中に入れば廊下があって両脇には和室と洋室がある。奥には台所と浴室があるようだ。
絶対に寮ではない。借家だ。そうなるとまず金銭的な問題が浮上する。
「あの、今更ではあるんですがお家賃って…」
7、8万円とかするだろうか。いや、新築みたいだしもっとしそうだ。そうなると到底支払えない。母に通帳をもらったとはいえ、家賃を毎月払っていくだけで食費がごっそり削られそうだ。
そんなことを考えていると洋室に入った相澤先生が鞄を置いて肩を叩いた。
「この家は国がお前のために建てたものだから家賃は国が出す。そうなると家賃自体発生してるのかわからんところではあるが……つまり壽は電気代と食費だけ気にしてればいいってことね」
「そんなことあっていいんでしょうか」
「"国家指定個性"の特権ってやつだな」
日本国様様である。
「拝んでないでさっさと支度しろ。授業始まるぞ」
洋室にはすでに二人掛けのソファとテレビ、壁には時計が掛けてあった。時刻は8時。SHLは25分からだ。
私は相澤先生が持ってきてくれた鞄の中から今日の授業で使う教科書を探り出す。しかし、底の方に入れてしまっているためそのまま引き抜くことは難しそうだった。そうなると上にある着替えを先に出さねばならない。
相澤先生を見る。ソファに座って私の様子を観察しているらしい。バチリと目が合った。
「あ、あの…」
「ん?」
着替えには下着も含まれている。何か袋に入れてくればよかったと後悔するけれど今更どうしようもない。
相澤先生はおそらく私を教室まで案内するために支度が終わるのを待ってくれているのだろう。そんな先生を外に追い出すのはいかがなものか…。
そうしたことを考えているとおもむろに相澤先生が立ち上がった。
「準備ができたら呼んでくれ。ちょっと家の中を見てくる」
そう言って洋室を出ていった相澤先生は開け放たれていたドアまで閉めてくれた。
やっぱり相澤先生は良い人だ。気をきかせてくれるし何より優しい。寮までの道案内にしろ教室にしろ案内図を見れば辿り着ける。それなのにこうして面倒を見てくれるのは、先生のやさしさ故だと思う。
そんなことを言ったらパートナーだから、と一蹴されるだろうか。
「ふふ、言いそう。相澤先生って照れるとぶっきらぼうになるんだよね………あれ?」
ギクリとした。
なぜそんなことがわかるんだ。
相澤先生に会ったのは昨日が初めてだし、先生が照れたところなんて見たことない。
「…………変なの」
急いで教科書をスクールバッグに詰め込んで洋室を出た。
心臓が嫌に鼓動を速くしていた。