はじまりのロク
□Thing of the past ≒ The future
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「相澤先生」
就任式が終わり、生徒たちが雑談をしながら体育館を出ていくのを見ていた相澤はこちらに駆け寄って来る壽に向き直った。
「改めまして今日からよろしくお願いします」
「ああ、よろしく。にしてもまさか実習先にここを選ぶとは思わなかったな」
「びっくりしました?ふふ、秘密にしていた甲斐がありました」
嬉しそうに微笑む壽は本日付けで教育実習生としてこの雄英高校に2週間配属されることになった。真新しい黒のスーツに身を包み、夢と期待に満ち溢れている壽を初々しく思いながらも相澤はある一つの懸念を抱いていた。
「体調はどうなんだ」
「絶好調です!」
「今は、な。前に"個性"使った時の反動が酷いって言ってただろ」
「うっ…」
壽の体に異変が起き始めたのは高校2年生になったあたりのことだった。"個性"を使った直後に頭痛がしたり酷い時は吐き気を催すなど、何かしらの"反動"が起きるようになったのだ。その症状は年齢をかさねるごとに重いものになり、今では貧血を起こしたように眩暈に襲われ立っていられなくなるほど酷い症状が出ることもあった。
「でもわかったこともあるんですよ!あんまり深く思考すると、その分、重い症状が出ますが短い思考だと軽い頭痛だけだったり、本当に軽い時はお腹が空いちゃったりするんです。あとは前にも言った通り、実現する規模によって症状が比例してるのは相変わらずです」
わかってはいますけど難儀で仕方がないですね。壽は神に授かった類稀な"個性"に苦笑した。
相澤は選ばれし者とも言える彼女の重荷を取り除いてやれないことへの悔しさを感じる。これからの実習、レポートなどいくらでもサポートしてやれることはあるだろう。しかし、彼女の最大の重荷である"反動"はどうすることもできない。頭痛薬を服用しようが予め酔い止めを飲んでいようがその症状が軽減されることはない。そんな彼女を救う手立てをしいて挙げるとするならば、"個性"を使わないように取り計らってやるだけだった。
「……"個性"を使わない生き方もあるだろ」
相澤は「どうして"個性"使用必至の教職を選んだんだ」と、なんとなしに聞いてみる。
「それはもちろん、相澤先生に憧れたからです」
想定外の即答に相澤は面食らった。鳩が豆鉄砲を食ったような顔というのは今の彼のような顔だろう。
相澤は顔を歪めて溜め息をつき、ガリガリと頭をかいた。
「俺の"せい"か」
「先生の"おかげ"です」
目を吊り上げて怒ったふうに言う壽は、教室に戻る前に体育館の隅に転がっていたバスケットボールで遊んでいる生徒たちに視線を移した。その瞳は細められ、まるで愛しいものを見るかのように優しい眼差しをしている。
「相澤先生って強くてかっこいいし、それだけでも憧れちゃうヒーローなのに、実は生徒たちのことを第一に考えていて見ていてくれて守ってくれて、それが生徒達にも伝わっていてお互いに想い合っていて…」
ゴールに跳ね返ったボールが壽の足元に転がってくる。金髪の男子が手を振りながら走ってきていた。
「私、ずっと思ってました」
ボールを手に取って生徒に投げる。チェストパスは綺麗に生徒の胸に入っていった。
「あざーッス!」と元気よろしく礼を言う生徒に笑顔で手をふる壽は相澤を見上げる。はにかんだ頬は薄紅色に染まっていた。
「相澤先生みたいな愛に溢れた先生になりたいなあって!」
愛しい笑顔だった。
保育士じゃ駄目なのか、小学校の先生じゃ駄目なのか、ヒーロー科のあるこの学校じゃなくてどうして普通の学校じゃ駄目なのか。
「………そうか」
そんなことを聞いても意味がないことを相澤はわかっていた。壽が憧れているのは他の誰でもない、雄英高校教師兼プロヒーローの自分だからだ。
「だが俺はそんなに愛を安売りしているつもりはない」
「安売り?!生徒たちへの愛は安物だったんですか!?」
「お前が言うように誰にでもやってるわけじゃないってことだ。見込みのない奴に愛のムチくれてやってもしょうがねぇだろ」
「……去年はクラス単位で除籍処分でしたっけ?」
「見込みがなかった。それだけだ」
「わかってますよ相澤先生、そんなことをするのも生徒のためを思ってのことだって、うんうん」
「……なんて視線くれてんだ。職員室行くぞ」
含み笑いをする壽の頭を丸めた資料で一つ叩いてからまだ残ってバスケをしている生徒3人に声をかける。
「おいそこ3人、さっさと教室行け。HRあるんだから」
注意された生徒は軽く返事をするも何故か相澤と壽の方へ近寄ってきた。
相澤は瞬間的に嫌な顔をする。
「壽ちゃんどこのクラスに来んの?」
「へ…?」
先にチェストパスをした金髪の生徒に突然ちゃん付けで苗字を呼ばれた壽は目を丸くする。
「壽ちゃんセンセー可愛いよね!何歳?」
「どこの大学通ってんの?」
「ねね、今度メシ行かない?俺と!」
「えっ、あの…」
少し驚いている間に質問攻めにあった壽は好奇心旺盛なキラキラした瞳で見つめてくる3人に挙動不審にならざるを得ない。しかし、ここは教師の卵として生徒の質問には誠実に答えなければならない、といった使命感が壽の心を支配していた。
「まず、褒めてくれてありがとう。年齢は21の4回生で通ってる大学は隣町にある橋の向こうの…」
「律儀に答えるやつがあるか」
「わっ?!」
真顔で答えていく壽の首根っこをつまんで生徒たちから引き離した相澤は手を空中で払うようにして「さっさと行け」と3人に合図する。
「なあメシは?!俺と!」
「バーカ、誰がお前と行くかよ」
「え?!」
「ま、クラス違っても話そうな壽ちゃんセンセ!」
じゃーね!と手を振る生徒たちが体育館を出るとこの場に残るのは相澤と壽だけになった。
先の3人のおかげで酷い静寂を覚える。
「若いっていいですね…」
「お前も十分若いだろ」
「何言ってるんですか、老化は18歳から始まっているんですよ!」
「初耳だが」
「女子はお肌の事情に敏感なんです」
「肌年齢の話かよ」
「肌年齢もただの年齢も同じようなものです!そもそも女の子の肌は男性の肌と違って…」
女子にしかわからない肌の蘊蓄を語りだした壽を置いて相澤は体育館を出る。それに気づき追いかけてくるのはいいが蘊蓄はまだまだ語り足りないようだ。
相澤は自分の隣を歩きながら高速に口を動かしている壽の頬を見る。
きめ細かい肌は瑞々しい。全く老化知らずの若い女性の肌だった。
「そもそも毎日お化粧をするだけでも肌にダメージは蓄積されていくんです。最近では保湿効果のある化粧品もあるみたいですけどやっぱり日々のお手入れはかかせなくて」
「お前、化粧してるのか」
「え?してますよ、当然です」
言われて、相澤は立ち止まり壽の顔を正面からまじまじと眺めた。
確かに唇はリップで整えられており、頬の赤みはチークであることがわかる。しかし何より、気が付いたことがあった。
「顔色が悪いな。"個性"使ったのか」
「!」
ギクリ、といった表情だった。
「いつもよりチークを濃い目にしたんですけど……相澤先生の目は誤魔化せませんね」
頬をかきながら苦笑する壽の顔は確かに青白かった。一見、チークで誤魔化せているが数秒見続けていると親しい者ならば気が付くだろう。
「どんなレベルで使った?」
相澤は壽につられて笑うことなく真剣な表情で問う。
「ほんのちょっとですよ、前を歩いていた子が風船を飛ばしちゃったので風を吹かせて…」
「それで、どんだけ反動があったんだ」
「……立ちくらみが2、3秒」
「………」
「い、1分くらい続いてました…!」
相澤は自分の眼力に嘘をつけなかった壽に溜め息を漏らした。
「思考はどうあれ1分間行動不能になることはヒーローとして致命的だ。対策を考えないとな」
「………はい」
「……」
見るからに落ち込んでしまった壽に意味もなく髭の生えた上唇をつまむ。
思い返せば決して優しい言葉をかけてやらなかった高校時代、それでも壽は曲がらず芯の強い人間になってくれた。しかも、素直に褒めてやれない小難しい相澤の性格に理解を示し感謝までしている。
今や実習生となって戻ってきた教え子に今度こそ厳しくしなければならないのだが、高校時代にやれなかった分のアメくらいは与えてやってもいいだろうと、相澤は密かに思った。
「今日、飲みにいくか」
「え……いいんですか?」
「ああ、今日は壽が教師の心を持って初めて教卓の前に立つめでたい日だからな」
「……相澤先生…ありがとうございます」
首をすくめてはにかむ壽は頬を染める。その時ばかりは顔色が健康的なものに戻ったように見えた。
「でも、私お酒得意じゃないので遠慮していいですか?」
「………そうだったね」
相澤が壽にアメをやれるのはまだ先のようだ。