はじまりのロク

□Thing of the past ≒ The future
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 HRを終えた相澤は足早に保健室へ向かった。
 静かにドアを引くとリカバリーガールが椅子を回転させて相澤の姿を認めると「まだ寝てるよ」とカーテンがしてあるベッドを顎でさす。
 相澤は軽く首をすくめると静かにカーテンを開けて中へ入っていった。
 「………相澤先生」
 ベッドの隣に置いてあった椅子に腰かけるとくぐもった声が布団の中から漏れる。
 「悪い、起こしたか」
 もぞもぞと布団が蠢いて、ゆっくりと壽の顔が覗いた。その顔は血色が悪く重篤の病人のようだった。
 「調子はどうだ」
 「だいぶ良くなりました」
 力なく微笑む壽に相澤は小さく溜め息をついた。
 今朝、いつものように職員室で授業の準備をしていた壽は突然倒れた。すぐさま保健室に運ばれリカバリーガールに看てもらったが安静にする他ないという。
 授業で度々使用していた"個性"の反動が蓄積した故だった。
 「今日はもう帰れ。そんなんじゃ授業なんてできないだろ」
 「で、できます…!」
 そう言って起き上がろうと体に力を入れる壽だが、わずかに身じろぎしただけで辛そうに息をきらすだけだった。
 相澤は、ふぅと息をつく。
 「今日は教養科目しかないから大丈夫だ」
 「でも、私……2限目に…」
 「俺が代わる。もともと俺が担当してんだ。お前が休んでも特に変わりはない」
 布団にもぐった壽は何度か咳をした。そして小さく「ごめんなさい」とつぶやいたのを相澤は聞き逃さなかった。
 「……俺が言ってるのは明日の救助訓練のために今日はしっかり休んでおけってことだ」
 「あれま、素直なイレイザーヘッドなんて珍しいねぇ」とすかさずコロ付きの椅子を滑らせてカーテンの中を覗き込んできたリカバリーガールを相澤は睨みつける。リカバリーガールはふふっと肩をすくめて笑うと静かにカーテンを閉めた。
 相澤は羞恥心を無駄に頭をかくことで追い払い視線をベッドに戻す。すると、布団から顔の上半分を出していた壽と目が合った。その瞳は笑っていて、追い払ったはずの羞恥心が再び湧いてくる。
 「それじゃあお言葉に甘えて今日は休ませていただきますね……実はもう本当にしんどくて仕方がなかったんです」
 「最初からそう言え馬鹿」
 「わっ」
 壽の頭を乱暴に撫でた相澤は「荷物持ってくる」と言い残して保健室を出ていった。どうやら家まで送ってくれるようだ。
 壽が笑い声を漏らしながら乱れた髪を直していると再びリカバリーガールがカーテンの隙間から顔を覗かせてきた。
 「愛されてるねぇ」
 「ふふ、愛してるのは私の方ですけどね」
 「おやおや、随分大人な女性だこと」
 「子供のままじゃいつまでたっても追いつけないですから…―――ッ」
 「!」
 突然、激しくせき込み始めた壽。
 体を折ってひどく苦しんでいる。
 リカバリーガールはベッドに飛び乗ってその丸められた背中を一定の速さで撫でてやった。
 壽に彼女の"個性"は使えない。すでに体力を消耗している壽に「体力を消耗することで治癒力を活性化させる」ことは逆に治りを遅くすることであった。
 「すまないねぇ…何もしてやれなくて……これじゃあ保険医失格だわね…」
 患者が苦しんでいるというのに何の処置もしてやれない自分の無力さからの言葉だった。しかし、壽は首を横に振る。止まらない咳で「そんなことはない」と言えない分、強く振っていた。
 「ゲホッ…!」
 「!」
 ひと際大きな咳をしたときだ。あれだけ続いていた咳は止み、静かな時間が訪れる。しかし、その空間に安心感などはなかった。
 「あんたそれ…」
 「言わないで、先生!」
 壽は自分の手のひらに吐き出された血液を握りしめた。
 「お願い、相澤先生には言わないで…!」
 「でもねぇあんた、血を吐くってことは…」
 「お願い…ッ!」
 「…………」
 自分の血で塗れた拳を額に当てて懇願する壽にリカバリーガールは言葉をつまらせた。
 「お願い……お願い…します…」
 何がそこまで彼女をそうさせるのか。
 相澤への想いだろうか。彼女自身の夢だろうか。それとも、もっと別の何かなのだろうか。
 「……わかったよ。彼には言わない。だけど、病院には通ってもらうからね」
 「………はい…」
 リカバリーガールは「ありがとうございます」と涙を流しながら言う壽の手をガーゼで拭いてやった。そして、ポケットから出したハンカチで頬の涙をぬぐってやると丁度相澤が壽を迎えに来た。
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