はじまりのロク

□存在の発信
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 メールの着信音で私は目を覚ました。
 寝返りをうってベットの脇にある小棚の上からスマホをとる。差出人は瓦版屋くんだった。
 『おはよ〜(^^)/ 相澤先生と仲直りできてよかったね!どうやってあの無感情顔を崩したのか今度教えてよ!』
 一度メールフォームを閉じて時間を確認する。アラームが鳴る1時間前だった。
 私は軽く伸びをしてベッドから降りると部屋を仕切っているカーテンを僅かに引いて向こう側を覗いてみた。そこには黒いベッドが一台だけ設置してある。その上に主はいない。代わりに窓から差し込む朝日が真っ黒なシーツの上に降りていた。
 相澤先生の起床時間は決まっていない。早起きして先に朝食を作ってくれている日もあれば朝食が出来上がっても食卓に降りてこない日もあった。それでも支度は私より相澤先生の方が早くて結局、先生が待つようになるのだから謎だ。
 「……いい匂い」
 階段の下から芳ばしいコーヒーの香りが漂ってきた。今日は時間も時間なのでゆっくりしているのだろう。
 私も相澤先生と一緒にゆっくりしようかなと思ったのだけれど、ふと瓦版屋くんのメールを思い出した。
 一先ず仕切りカーテンを引いてリボンでまとめ、窓のスクリーンを上げて私のエリアにも朝日を差し込ませる。屋根裏部屋といえど、朝日が出てくる方角に窓があるため、日当たりは抜群だった。たった二つの窓で部屋全体が明るくなるからありがたい設計だ。
 朝日を受けて眩いほどに白いベッドに腰かけスマホを取る。連絡帳にある瓦版屋くんの電話番号をタップした。
 3コール後、晴れた日の朝にふさわしい彼の凛とした声が応答する。
 『おはよう、壽さん』
 「おはよう、瓦版屋くん。調子はどう?」
 『全快だよ。先生が許せば今すぐにでも退院できるくらい』
 瓦版屋くんは今現在、入院中だ。
 数日前に風邪で学校を休んでいたのだけれど、あまりに症状が良くならないものだから病院に行ったら即入院と言われたらしい。感染症らしく、面会は困難で退院時期は未定だそうだ。そういったメールが来たときは肝を冷やしたけれど本人いわく、「点滴を打ったら治ったんだけど医者が研究のためにウイルスのサンプルを欲しがってる」のだそうだ。そのため検診の日々を送っているという。彼の言うことはわからないでもないけれど、点滴を打っただけで感染症が治るというのも少し懸念するところではある。お医者さまのことをよく聞いて、ぜひ完治させてほしい。
 『ところでこんな時間に電話くれるなんて珍しいね。朝は忙しいんじゃないの?』
 「今日は早起きしたんだ。だから、もし瓦版屋くんが良ければメールの続きを話そうと思って」
 『お、いいね!入院患者は常に暇なんだ。ぜひ聞かせてよ!どんな魔術であの先生を笑わせたのか!』
 「魔術って…」
 瓦版屋くんは熱心に私の話を聞いてくれた。私は私で彼に話を聞いてもらうのが心地よくて気が付いたら最初から最後までその時に戻ったかのように臨場感たっぷりに話し聞かせていた。
 『壽さん……大丈夫?』
 全部話終えた時、私は泣いていた。
 『……不安なんだね』
 私たちは確実に運命の境目の日に向けて進んでいる。相澤先生に回帰の話を聞いてから毎日、打開策を考えては交流していた。先生は5度の経験からあらゆる案を出してくれてとても心強く、漠然とした安心感があった。でも、それは確かなものじゃない。
 6度目の挑戦。これを最後にする。最後にしたい。決心は徐々に自信を失って希望に変わっていた。
 相澤先生を信じていないわけではない。今の私と相澤先生ならばきっと乗り越えられる。確かにそう思っている。けれど、取り除けないほど奥深くに不安があった。
 『自分が死ぬ未来を聞いて不安にならない方がおかしいよ。壽さんは精神的に正常だよ』
 「………ありがとう、瓦版屋くん」
 揺るがない凛とした声でそう言ってくれる彼はわざと見当違いなことを言って私の心を軽くしようとしてくれる。それがとても嬉しい。
 『そうだ、壽さんの"個性"って使うとその分、寿命が減っちゃうんだよね?』
 「うん……相澤先生はそう言ってるけど、事実はわかってないの」
 病院に行って様々な検査をしてみたけれど身体に異常はなく、いたって健康と診断された。"個性"を使うと体調が悪くなることから何かしら異常が発見されると踏んでいたので、その結果には驚いたものだ。
 『そっか……ねえ、こういう考えはどうかな?』
 「なに?」
 私を元気づけようといつも以上に明るく喋っていた彼の声音が真剣なものに変わり、私は思わずベッドの上で正座した。
 『相澤先生はこれまでに6人の壽さんと出会っているわけだよね』
 「うん、全員私なんだけど相澤先生が言うには毎回少しずつ性格が違ったらしいよ……なんかちょっと複雑だよね」
 『……もしかして自分にやきもち妬いてる?』
 「ハッ?!ち、違うよ!」
 相手が見ているわけでもないのに胸の前で手を左右に激しく振って否定する。
 瓦版屋くんはおかしそうに笑っていた。
 『まあ、そういうのはまた今度詳しく聞くことにして……普通、5度も同じことをしていたら結末を変えられて当然だよね?』
 「うん、まあ…そうなのかな…?」
 『でも相澤先生は変えられなかった。結末は同じだけれど、それまでの過程の随所で前回とは違うことが起きて上手く立ち回れなかったんだ』
 彼の言う通り、相澤先生が苦労していたのはそういうところだった。回帰を重ね、今まで起こらなかったことが起きた時それは、新しい未来への道が見えた場合もあれば逆に途方もない絶望を見せられたようだった、と相澤先生は言っていた。
 『それで、僕の考えってのはパラレルワールドの話でね』
 「パラレルワールド……?」
 『並行世界。わかりやすく言うと、分岐した世界のことだよ。壽さんの人生のとある時点でその先の未来がいくつも枝分かれしているんだ』
 「未来が……いくつも…」
 ということは、相澤先生は私のパラレルワールドを5つ見てきたということか。
 『そういうこと。で、今回が6度目っていうことだけど……僕が思うに、この6度目の世界が主軸なんじゃないかな』
 ミシリ、と屋根裏部屋へ繋がる階段を踏み込む音が聞こえた。
 『もっと言えば、分岐してしまった全ての世界がこの6度目の壽さんの世界に統合された……つまり、今の壽さんは完全体の壽さんであって、本来の壽さんってことになる。ということは、壽さんの"個性"の反動についても何かしら変化があってもおかしくないんじゃないかな』
 「……………」
 私は空いた口が塞がらなかった。元々、瓦版屋くんは頭がよくてテストだって満点かそれに近い点数ばかりとっていた。それゆえ様々な知識と見解を持っている。今回、それがフル発揮されて衝撃的な仮定が生み出された。
 驚くべき発想に言葉を失っていると『どう思う?』と少し不安げな声が聞こえ、私は我に返って感情のまままくし立てた。
 「すごいよ瓦版屋くん!それだよ!そういうことだよ!私、今まで"個性"以外はいたって普通の人間だったんだけど雄英に入ってから急に大食いになったの!つまりそれは瓦版屋くんが言う通り、その時点で全てのパラレルワールドが統合されたから!本当の私になって、"個性"の反動も変わっちゃったんだ!"空腹"に!」
 トークでは遅れを取らない瓦版屋くんでも言葉をつまらせるほどの弾丸トークだった。それを遮るようにコンコンッと固い音がしたのは私が興奮冷めやまぬあまりベッドの上に立ち上がった時だ。
 「朝飯できてるぞ」
 言わずもがな、ぽっかり空いた床から顔を覗かせているのは階段を上がってきた相澤先生だった。ベッドの上に立ち腕を伸ばし人差し指を突き出している私を怪訝な表情で見ている。
 私は急速に冷静さを取り戻してベッドから降りた。
 「あ……うん、そう、朝ごはん……ごめんね、聞いてくれてありがとう。うん、おかげでいろいろ吹っ切れたよ。うん、またね。ばいばい」
 通話終了ボタンを押して顔を上げれば、まだそこに相澤先生の顔の上半分だけが見えていた。
 私はこらえきれない笑みを手で隠す。そうすれば先生の目はさらに細くなった。
 「……相澤先生」
 「……なんだ」
 私は今、爽快感に包まれている。
 「もし、あの時の私に会いたいって思ったらいつでも言ってくださいね」
 「…………は?」
 相澤先生が出会ってきた5人の私は全て私。それは当たり前のことなんだけれど、私の知らない私だからある意味私ではなかった。でも、やっぱり全部私なんだ。
 「今日の朝ごはん何ですか?」
 相澤先生が露骨に私に"個性"を使わせなかったのは私の寿命を懸念してのことだった。だけど、もうそんなことを心配する必要はない。
 「残り物整理で野菜炒めだ」
 「白米が進みますね!」
 瓦版屋くんの仮定を鵜呑みにしすぎではないか?でも、なぜか私は確信していた。絶対にそうだと。疑う気さえ起きなかった。
 「いただきます!」
 「いただきます」
 "個性"の反動が空腹ならばエネルギーを摂取すれば問題ない。これからはお菓子を持ち歩くことにしよう。そうすればいつだって"個性"をフルに発動できる。そして、来るその日だって…!
 「壽、さっき誰かと電話してたみたいだが」
 「? はい、友達です。いろいろ相談に乗ってくれていつも助けられてます」
 「そりゃ良いことだな。で、一応聞くんだけど」
 大皿から自分のお皿に野菜炒めを追加する。少し濃い目の味になっていて吃驚するくらいご飯が進んだ。おかわりしようかな。
 「お前、その友達に"個性"のこと話してないよな?」
 「………え?」
 まさかと言わんばかりの言い方に十分に噛んでいない野菜炒めを無理やり飲み込んだ。
 相澤先生はそんな私を見て大きく溜め息をつく。
 「薄々思ってはいたが、やっぱり契約内容読んでないだろ」
 「け、契約…内容…?」
 「カリキュラム。目を通しておけって言っただろ」
 さっと血の気が引いていくのが分かった。
 相澤先生に言われた通り、そのカリキュラムに私は目を通していない。
 完全に制止した私に相澤先生は厳しい口調で続ける。
 「お前はもっと国家指定個性である自覚を持て。口外は禁止だ」
 「で、でも、まだ瓦版屋くんにしか言ってないですよ?というか、そもそも皆知ってるんじゃ…」
 「知らないよ。むしろどうして知ってるんだ」
 「えっ?いや、だって今までそれで私……友達ができなくて…」
 なんとなく恥ずかしくて最後の方はほとんど聞き取れなかったと思うけれど、そこは相澤先生。私の言わんとしていることはお見通しだ。
 「お前に友達ができなかったのはお前のそのネガティブ思考のせいだ」
 「そうですけど!そうですけどハッキリ言わないで!!」
 この世に生まれて15年、人生最大の汚点だ。
 「お前が国家指定個性だということを知ってるのは壽自身と親族、これまで通った学校の関係者、そして国の奴だけだ」
 「そ、そうなんですか…?」
 「お前が国の方針で入学する学校を決められているのを他の奴らは知らない。もちろん、成績がその学校に見合っていなかったら疑う奴が出てきてバレるということもあっただろうが幸い壽は努力家だったからそんな問題も浮上しなかったわけだ。万が一、勘が働く人間がいたとしてもお前の"個性"は見えないからどうしようもない」
 「………そう、なんだ…」
 まさかまさか、私の中の常識が一瞬にして塗り替えられてしまった。
 考えてみれば、それは至極当然のことだ。私の"個性"を公言してしまえば敵に狙われるのは必至。敵側に堕ちないと私が明言していても、本当にそうなのか客観的に判断することはまずできない。
 「お前が"個性"を公言できるようになるのはヒーローになったその時からだ」
 「……ヒーローに…」
 ヒーローは市民を救う人材だ。それは同時に自分の身は自分で護るということにもなる。私はヒーローになった瞬間、国から解放されるのだ。全て、自分で選ぶことができるのだ。
 国には感謝している。私を見守ってくれていることに。けれど、それを息苦しいと思わないことはできなかった。志望校は選べず一か月に一度精神診断を受けなければならない。勝手に国家指定個性なんてものにされて、皆とは違うと大声で言われているようで、私は無意識に孤立していた。
 ただ、そのおかげで相澤先生に会えたのも事実だ。
 「結局は感謝するべきみたいですね」
 「……なんの話だ?」
 なんでもないです、と言いながら野菜炒めをごはんにのせて頬張る。
 その時、ふと思い出した。
 「瓦版屋くん…私が国家指定個性だって知ってた」
 屋上でお昼を一緒に食べながら相談をした日のことだ。ごはんを食べた後、私たちは教室前で少し立ち話をした。それは私の"個性"のことで、彼は私の"個性"を褒めてくれ「国家指定個性にされるのもわかる」と言ったのだ。
 「それ、いつの話だ」
 途端に空気が張り詰める。
 私は、その日のことを相澤先生に話した。
 「……どっちにしろ本人に聞いてみる必要があるな。どこかから情報が漏洩してるかもしれん」
 そう言って、まだ残っている自分のお皿にラップをかけ冷蔵庫に入れた相澤先生は捕縛武器を首に巻いて先に出勤しようとする。
 「で、でも、瓦版屋くんは今入院中で…!」
 おそらく学校で直接本人に会おうとしたのだろう。だが、彼は未だ入院中で退院日も未定だ。
 「なら面会にいくしかないな」
 「それが感染症にかかっていて面会は不可能なんです」
 「ガラス越しにくらいできるだろ」
 「!」
 その発想はなかった、と驚いているうちに相澤先生は携帯を取り出してどこかに電話をかけ始める。連絡先はどうやら瓦版屋くんの担任の先生らしかった。
 「はい、それで彼の入院先を教えてほしいんですが………は?」
 「?」
 一瞬、目を丸くしたあと何故か病院の名前ではなく瓦版屋くんの自宅の住所をメモしはじめた相澤先生はお礼を言って通話を切った。
 そして眉間に皺をよせて私を一瞥する。
 「入院はしてない、そもそも病気じゃない。ただの登校拒否だとさ」
 強く胸を叩かれたような衝撃があった。
 「どういうこと……?」
 瞬間、彼の助けを求めているような顔を思い出して思わず口を押える。
 「壽?」
 後悔だった。
 立ち止まらずにここまで来てしまった。そんな考えが漠然と広がっていった。
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