はじまりのロク

□はじめまして
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 国の専用医療機関の病室で目を覚ました私は、すぐに脳や神経などに異常がないか診察を受けた。担当医からは何も異常はないと通告を受ける。そして、脳無を飲み込んだマグマの件については公にしないことが決まったと伝えられた。
 しかし、事件現場はいたる所で地面が陥没し、川の中にあったはずの苔むした岩石が河川敷にごろごろと転がっている他、警察なども呼んでおり、敵の襲撃事件があった事実は市民にも広まってしまっている。そのため、事件については関係機関が到着する前に私一人が対応し、地球が燃やす炎に溶けた脳無については私の個性で牢屋まで瞬間移動させたことになっているとのことだった。
 何が起きてもおかしくない“思考実現”はこういう時にも便利だ。
 全ての診察をクリアし、帰宅許可が出た。といっても、死柄木弔の目的の一つに私の捕捉(または殺害)があることが発覚したため、大学入学を機に移り住んだ一人暮らし用のアパートには戻れない。もちろん、周囲に危険が及ぶ可能性のある実家にもだ。
 そこで国は私に政府の管理下で生活することを要請した。もちろん、“国家指定個性”を持つ私に拒否権はないけれど、希望を伝えることはできる。
 国は、私の「雄英の寮で生活する」という希望を許可してくれた。私が高校時代に生活していたあの一軒家はもともと国が用意したものなので、そもそも却下されることはなかっただろうけれど。ちなみに、国からの指示を代弁してくれた書記の女性も「『雄英高校にはこの春からオールマイトも就任していますし、案外世界で最も安全な場所かもしれませんね。ハッハッハッ』と、おっしゃっていましたよ」とおっしゃっていたのでこの国のトップって意外と気さくな人なんだなと思ったし、オールマイトが雄英で先生になることを私はこの時初めて知った。
 「わッ…」
 「おい」
 一日ぶりに立ち上がると、めまいがして倒れそうになったけど、相澤先生が傍にいてくれたので退院早々に怪我を作らずにすんだ。
 「わ〜、情けない…すみません、相澤先生」
 「………」
 私が問診を受けている時も、書記の人から今後の指針の説明を受けている時も相澤先生は隣にいてくれたけれど、口数は少なかった。ただ一言、額の傷に関して「後遺症はありますか」と担当医に尋ねただけだ。「ないよ。あっても個性で消せるでしょう」という担当医の言葉を最後に先生はだんまりとを決め込んでいた。
 「……あの…先生…」
 「………」
 ビシビシと伝わってくるので、先生が怒っているのは嫌でもわかる。でも、貧血でもたもたしている私の歩く速度に合わせて隣をぴったりとくっついて歩いてくれているのもわかって、その優しさが申し訳なかった。

 どんなにゆっくりでも歩き続ければ目的地は近づいてくる。
 雄英高校へ続く並木道には桜が咲いていた。そこでふと、今朝は入学式だったなと思い出した。本来ならば実習生として新入生を迎えるはずだったが、今となってはもう夜だ。腕時計の針は午後10時をさしている。
 風が桜の花びらをさらっていった。春先の夜は冷える。小声で寒いとぼやけば、相澤先生が近くの自販機で温かいココアを奢ってくれた。
 「ありがとうございます」
 ここでも相澤先生は頷くだけで、何も喋らない。
 ホットココアを持った手がじんわりと熱い。
 相澤先生が立ち止まったままだったので、「歩きながらではなくここで飲んでいけ」という意図なのだと思い、その場でプルタブを起こし、息を吹きかけながら飲んだ。
 並木道に入った頃から、相澤先生に怒っている雰囲気はなくなっていた。それよりも、何か考え事をしているような、それでいて思いつめているような様子があった。
 「(……あの時と似てる)」
 それは、私がまだ何も知らなかった頃。
 相澤先生だけが6度の回帰と闘っていた時に見ていた表情と似ていた。
 きっと、また過去5度の回帰で経験したことのない事象がこの6度目の回帰で新たに起きたからだ。
 今回の死柄木弔の襲撃を知っていたら、事前に私に伝えていてくれたはずだ。しかし、それがなかったということは──
 「壽」
 「! は、はい…」
 久しぶりにその声を聞いた気さえする。
 ココアを落としそうになりつつ、相澤先生を見上げた。まだ考えているようで視線が地面に落ちていたため目は合わなかった。
 言うかどうか躊躇っているようにも見える。
 「どうかしましたか…?」
 「ん、いや…」
 相澤先生の解答を待つ。
 ザア、と桜が風に吹かれて葉を擦り合わせた。きれかかっている外灯が鈍い光で私たちを照らしている。目の前にいる相澤先生は相変わらず黒いコスチュームで、今にも夜の闇に取り込まれてしまうんじゃないかと不安になった。このまま、ちらちらと落ちてはどこかへ消えていく桜のはなびらと一緒に相澤先生もいなくなってしまうのではないかと、恐ろしささえ感じた。
 温かかったココアはいつのまにか冷えてしまっている。
 なんだか、とても寒かった。
 「相澤先生──」
 風と桜の音しか聞こえないことに我慢の限界がきたその時。
 「ロクーーー!!まったく何してんだよオメェはよ〜!心配したじゃねぇかネッガーゥ!!」
 「!!?」
 背後から脳が麻痺するような声量が聞こえたかと思った瞬間、抱き枕にそうするかのように抱きしめられた。
 「ブジならブジってはよ連絡しろよな!」
 おいおい泣きながら言うのはマイク先生だった。私たちが雄英の寮に向かっているのを知って待ってくれていたらしい。
 「病人に何してんだ」
 と、すかさず相澤先生がマイク先生の頭にゲンコツを落す。
 「ギャッ!……お前は加減を知れ!」
 「それはお前だ」
 「ンンン〜〜〜……まッ、それはオイトイテ…」
 サングラスの向こう側にある瞳が真っ直ぐに私を見据えた。
 「今回のはあんま褒められたもんじゃねぇぞ、ロク」
 すっかり冷たくなったアルミ缶を持つ手に自然と力が入り、パキと音が鳴った。
 「……はい、わかっています」
 プロヒーローになってから自分の個性に振り回されるなんて、あってはならないことだ。今回は運が良かっただけ。あの時、緑谷くんが相澤先生に連絡をとっていなかったら?個性が緑谷くんの元にも及んでいたら?と嫌な思考が巡る。
 「壽…?」
 「………」
 私、守られてばかりじゃない?
 そもそも事件の原因って私じゃない?
 たまたま今回は民間人が近くにいなかったけど、いたらどうなってたの?
 私、ちゃんと護れてたの?
 私、これからちゃんと護っていけるの?
 こんなこと考えてる私って──
 「ヒーローなんかじゃ…」
 「ロクはヒーローです!」
 「!」
 粘着質な泥沼の中から急に陸へ引き上げられたような感覚だった。
 いつからいたのか、目の前に緑谷くんが立っている。その身は雄英高校の制服に包まれていた。ネクタイを結ぶのが苦手なのだろうか、お団子に尻尾がついたような形になっているけれど、グレーのブレザーはなかなか様になっている。
 「僕、ロクの個性を初めて間近で見て驚きました!まさか原始の力まで味方につけるなんて!政府が提示している“思考実現”の詳細にはそんなこと書いてなかったはず…自然を操れるのはでかいプラス要素なのになんで…やっぱりその分、反動もでかいから使える回数が限られてるんだろうか?いや、僕の考えが及ぶことじゃないのかもしれないなんてったってロクの個性はいつどこで何か起きるかさっぱりわからないものつまりロクの頭の中で生まれた瞬間に発動される個性だから」
 「はいその辺でやめようね、特秘事項入っちゃってるからね」
 「ハッ!すすすすすみません!!」
 メモを取り出してブツブツと何やらつぶやき始めた緑谷くんだったが、マイク先生の一声で我に返る。どうも瞬間的に自分の世界に入ってしまうのは癖らしい。顔を赤くして申し訳なさそうに残像が見えるほどお辞儀をし始めた。
 「緑谷くん…」
 袖から見える手は通常の肌色をしており、動きの不自由さは感じられない。
 「あ……手ならこの通りです。リカバリーガールに治療してもらったので元通りですよ」
 私の視線に気づいた彼は優しく笑ってみせた。人を安心させることができる、ヒーローの笑顔だった。
 「…ごめんね、緑谷くん。あなたに怪我をさせたらいけなかったのに。怖い思いもさせてしまって、本当にごめんなさい。……ヒーロー、目指してくれて、ありがとう」
 「!…」
 敵が起こした事件に巻き込まれたのをきっかけにヒーローになる夢を諦める人は多い。大学で教員免許をとるために授業を一緒に受けている子も過去に強盗事件で長時間人質にとられたことがあり、当時の光景が度々フラッシュバックして忘れられないという。彼女はプロヒーローであることが前提のヒーロー科の教師を目指していたが、事件以降はヒーロー科のない学校の教師になることを新たな目標にしている。
 彼女の「ヒーローになる」という夢を奪った直接的な原因は敵かもしれない。
 しかし、彼女が恐怖心を植え付けられる前にヒーローが彼女の元へ駆けつけていたら、どうだっただろう。彼女の手の平にある深い傷跡がつけられる前にヒーローが彼女を救け出していたら、彼女はその傷跡を見る度に過去を思い出して涙を流すこともなかった。
 緑谷くんは、今こうして雄英高校に入学し、私の前に立っている。トラウマになってもおかしくない事件だったのに、彼を護れなかった私に会いに来てくれている。
 「ごめんなさい」と「ありがとう」が溢れて出て仕方がなかった。
 そんな私に彼は言うのだ。
 「ボロボロになっても立ち上がり続けるロクのかっこいい姿見たら、ヒーローへの憧れがもっと強くなっちゃって…あの時は、ロクの負担にしかならなかったけど、いつか必ずあなたと一緒に闘えるように強くなろうって、そう決めました!」
 全く、どっちがヒーローなのかわかったもんじゃない。
 「あ、あの、それで僕、実はロクを近くで見たのって今回初めてで、あの、ロクって国家指定個性ということもあって公開されてる情報も少なくて結構謎多き人ですしメディアにも滅多に出ないし事件解決後もいつのまにか姿を消してるしでなかなか言う機会がなくてその……もももし良ければサインをくくだささい!!」
 「ちょーっと待ってね、ロクちゃん今ヒーローらしからぬ顔してるから」
 「誤解を生む発言やめてください!」
 「感動して泣いてんだよ、察しろ」
 「相澤先生は正直に言わなくていいです!!」
 私だって、誰も傷つかなくていいように強くて優しいヒーローに。 
 「ヒーローだって人間だ。死ぬほど悩むことはいくらだってある。ただ、ヒーローは護るべきものが多い。そのプレッシャーに押しつぶされる奴もいる」
 私の頭にのせられた大きな手のひらは温かく、胸の内にあった不安を取り払ってくれた。
 「負けるなよ」
 「……はい!」
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