はじまりのロク
□はじめまして
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「ッ!!」
動きが瞬間移動のそれに近い。
それほどまでに脳無の移動速度は異常だった。もうその速さが個性といってもいいのではないだろうか。
どうしよう。
どうしようどうしよう。
縄を巻き付けて拘束する?でもただの縄じゃな駄目だ。あの化け物級の腕力をも制圧できる強靭なものじゃないと。死柄木は?あいつも手を使えないように拘束すれば何とかなる。他は?靄だ。靄の個性持ちはどこか別の所にいるのだろう。脳無と死柄木を拘束できたとしてもその人物を捕まえておかないと回収されて振り出しに戻ってしまう。
せめて靄個性の人物を押さえられたらいいんだけど……記憶にない人物の行動を制御するにはかなりのエネルギーを使う。思考ではなく"願う"にしても時間がかかって今欲しい打開策にはつながらない。
だめだ。考えれば考えるほど詰んでいく気がする。
もうこうなったら、
「逃げるしかない!!」
後方で地球が割れたのではないかと思うほど酷い爆音がした。それは脳無が勢いよく地面を蹴った音で、視界の端に剛速球で飛んでくる黒い塊が見えた。
瞬間移動を。
残りのエネルギーを使えば雄英の近くまで飛べるはずだ。それで、逃げよう。
それで、逃げられる。
けれど、前を向いたその先に、男の子がいた。
「な、なんだ……あれ………」
さっき角でぶつかった緑の縮れ毛の男の子だ。
「逃げて!!!」
思考を働かせる。
驚きのあまり体が固まってしまっている男の子のところまで空間を飛ぶ。彼を抱きしめ、つま先が地面についた瞬間、もう一度思考を働かせた。
飛ぶ。
「ゲホッ!ゴホッ!!」
飛んだ先は川だった。足のつく場所で良かった。
咄嗟の思考が上手く働かない所がまだまだ未熟なところだ。
「大丈夫!?」
川の水を飲んでしまったらしい男の子を抱き起して立ち上がらせる。
「す、すみませ……ッ危ない!!」
「!!」
男の子の腕を引っ張って瞬間移動をする。
しかし、遠くまで飛べない。脳無が飛び込んできた数メートル先に移動して派手に泥水と岩の破片をくらった。
「いっ……た…」
頭がガンガンする。額に当てた手を見ると、真っ赤な鮮血がべっとりとついていた。
「ロク…!!」
男の子が真っ青な顔でポケットから取り出したハンカチで額の傷を抑えてくれる。
「私のヒーローネーム……」
「知ってます!異例の国家指定個性を持つロク!プロになるまでその存在は極秘にされていたからあまり詳しくないんですが、3年前に公表されてから短期間で活躍の場を広げ、若くして日本中の注目を集める……いや、すでに世界が注目する新人ヒーロー!!ですよね!?」
「……そ、そんなことになってたの…?知らなかった…」
早口でまくしたてる男の子は随分とヒーローに詳しそうだった。
その瞳は間違いなく、ヒーローに憧れている。
「こっち!!」
「わっ!?」
ロケットのように飛んできた脳無の拳の軌道を思考で僅かに逸らす。
「ブッ!!」
水しぶきが上がった。
「ハァ……ハァ…ッ」
もうエネルギーはほとんど残っていない。
「ロク…!大丈夫ですか…!?」
「だ、大丈夫…」
ではないけど、一般人を前にそんなこと口が裂けても言えやしない。
私はヒーローなんだから。
「もう限界なんだろ。知ってるぜ」
「…………」
道の上にしゃがみ込んでいる死柄木が退屈そうに言った。
「食べた物が個性のエネルギー源。使い道によって使うエネルギーは大きく変わる。さっきから連発してる瞬間移動、どんどん距離が短くなってるよな。人を動かすと消費が激しいのかな?まあ、どっちにしろ瞬間移動はもう使えないだろ」
「………」
「図星かァ」
その嫌な笑みを真顔にしてやるくらい雑作もないけれど、今はそんなことに使うエネルギーさえ惜しい。
なんとかしてこの子を逃がす方法を考えないと。
「…?」
私の斜め前に立っている男の子。
片手がポケットの中に入っている。
「(ケータイ…!)」
ポケットの中で操作しているのは携帯電話だった。助けを呼んでいる。
この子は、冷静に行動できる子だ。
私は、とある番号を彼に耳打ちした。
「コソコソすんな」
「ッ」
伸ばされた死柄木の手首を払って横腹に蹴りを入れる。
死柄木は呻き声をあげて川の中に倒れ込んだ。
「ッ……接近戦もできるとか聞いてねぇぞ…」
彼は私のファンだと言ったが、とんだにわかファンだったようだ。
「3年間誰と一緒に住んでたと思ってるの?」
「ロク!!」
「!」
身構えた瞬間、巨大な水しぶきがあがった。
高速移動のできる敵と戦う時は現状の整理が難しい。
まず、敵を常に視界に入れ続けなくてはならない。
そして、敵の攻撃に反応し続けなくてはならない。
最後に、
「き、君…!腕が…!!」
民間人が傷つかないよう、護らなければならない。
「グ、ゥ…ッ!!」
水しぶきが消えた時、私の前に立っている少年の腕は青黒く変色し、皮膚がぼこぼこになっていた。
真っ直ぐに突き出された彼の腕は脳無の腹部をとらえている。
しかし、肝心の脳無は微動だにしていない。
一体何が起きたのかわからなかった。
先の水しぶきは前方に寄っていた。つまり脳無の攻撃によるものではない。けれど、なぜ脳無は無傷で少年が大怪我を負っているんだ。
「ぐああッ!!」
状況の把握をするには一度身を隠してからの方がいい。
だが、今の状況でそんな余裕はない。
私たちは薙ぎ払われ、地面の上にたたきつけられた。
全く、楽しい一日になるはずが、最悪の日になってしまった。
「どこまでもムカツく奴だなぁ…ロク……それだけの"個性"を持ってんのに考えることはオールマイトと一緒だもんなァ…」
「………オール、マイト…」
視界がぼやけて揺れている。片目は真っ暗だ。頭の傷が大きくなってしまったんだろう。
掠れた笑い声が嫌に耳に響いた。
赤い靴が見える。
死柄木のものではない。
皮肉にも、同じ色の靴を履いているんだね。
「……なに、笑ってる…」
「………」
「……なんだよ」
地面に血が滴っている。
「…ロクは、事件を解決するだけじゃない……人の心も救う、ヒーローだぞ…!」
青黒い拳を強く握りしめ歯を食いしばる少年は私を庇うように立ち上がった。
「オールマイトだって……どんな人でも必ず救ってみせる………最高のヒーローなんだ!!!」
「……脳無」
主の命令を待っていた脳無が反応して川の水を噴き上げる。
少年が片膝をつき、絆創膏が貼ってある手を握る。
死柄木がほくそ笑む。
私は―――
「……………ロク……」
それは、夏の太陽よりも眩しく、溶鉱炉の炎よりも熱い。
「……チッ…ゲームオーバーだ」
真っ赤な地割れの中に沈んでいく脳無は悲痛な叫びを残していく。
グツグツと燃えるマグマはどんなものでも吸収し、消してしまう。
「黒霧、戻せ」
何ものにも染められることのない黒い靄でさえ、地球から漏れる光を浴びて橙に染まっていた。
死柄木が姿を消すのと同時に地割れは轟音と共に閉じられていき、完全に閉じてしまった後には元の河川敷の風景が広がっていた。
「……ロク…、ロク!しっかりしてください!」
「……え?」
「大丈夫ですか…?」
「大丈夫って、なんで?」
「なんでって…!すごい出血ですよ!」
「えっ」
額に手を当ててみると、べったりと血がついた。思えば、顔半分がぬるぬるしている感覚がある。
「これだけ出血してるのに気を失ってないなんて…!」
少年は上着を脱いで絞り、それを私の出血している額に当ててくれた。
「ありがとう…そういえばまだ名前を聞いてなかったよね。良かったら教えてくれるかな」
「あ、僕、緑谷出久です。名乗るのが遅くなってすみません…」
「ううん、あんな状況だったし」
「……それと、絆創膏ありがとうございました。お代はちゃんとお支払いします…!」
「いいよ。私の個性で出現したものだから代金なんて発生してないし」
「そうなんですか?……ロクの個性のメカニズムってどうなってるんだ…思考実現だからメカニズムという概念を宛がうことからして間違ってるのか…?」
「……それ、クセなの?」
「えっ、あれ、もしかして口に出てました?」
「うん、全部口に出てるよ」
「わ、わー!す、すみません!」
「謝ることないのに」
なんだか自分を見ているようだ。
私はただ単に考えることがクセだけど、この子はちゃんと"考えて行動する"ことができる。
私の課題だ。
今回だって、相澤先生だったら早く緑谷くんを逃がして上手く立ち回っていたはずだ。
私は未熟だからエネルギーの配分を間違えて、終いには彼に大怪我をさせてしまった。
「ごめんね、腕、今から治すね」
「えっ、いいですよ!自分でやったことですし!そもそも自分が個性をコントロールできないせいでこうなってるので!!」
「……個性をコントロールできない…?」
「……の、かなぁって…思ってはいるんですけど、まだわからなくて……」
「そうなんだ…やっぱり私たち似てるかもしれないね」
「僕とロクがですか?」
「うん」
私も高校生の時に個性でたくさん悩んだ。
悩んでも仕方ないくらい悩んだけど、一緒に解決策を探してくれる人がいたから、今なんとかものにできている。
「……嬉しいです」
「………」
遠くからサイレンの音が聞こえる。
きっと緑谷くんが呼んでくれた警察だろう。
と、いうことは。
「壽…!」
「! 相澤先生…!」
久しぶりに会った相澤先生の表情は再会を喜んでいるものではない。
「……また無茶したのか」
「大丈夫ですよ。血は出てますけど、痛みあありませんから」
「馬鹿か。神経が麻痺して感覚がなくなってるだけだろ」
見れば、緑谷くんが貸してくれた上着はほぼ真っ赤に染まっていた。
しかし、本当に痛みはないのだ。ついさっきまでめまいがするほどだったはずなのに、最後に個性を発動してからというもの、朝食を食べて雄英へ向かっている時のように清々しく、気分も良かった。
「……電話、ありがとうな」
「い、いえ!すみません、僕、何もロクの役に立てなくて…」
「いや、助かったよ。おかげでロクは生きてる」
「!」
スマホは常に通話状態にあったのだろう。相澤先生は状況を理解しているらしく、緑谷くんの腕に関しては眉をひそめるだけで特に尋ねたりはしなかった。
「治療の後、警察から詳しい事情を聞かれるだろうが、無理に答える必要はないよ」
「は、はい」
「面倒かけるけど、よろしくね」
救急車が到着し、担架が降りてくる。緑谷くんは、担架に乗るよう指示されたけれど、歩けるからと断っていた。
私も相澤先生に肩を抱かれてもう一台の救急車に乗り込む。
「彼とは後でまた会いますよね?」
「…なんでそう思う?」
「事情聴取、私もしますよね」
「そういうことか…」
「…もう一度ちゃんと謝りたいんです。怖い目に合わせてしまったことと、怪我をさせてしまったことを」
「……もう寝とけ。いい加減死ぬぞ」
「えっ」
救急車はサイレンを鳴らしながら病院へ急いでいる。
社内では看護師たちが険しい表情で専門用語を連発しながら忙しなく動いていた。いつの間にか私の体は身動きのできないように固定されている。
「私ってそんなに重傷なんですか…?」
「お前以外みんなそう思ってるよ」
本当に神経が麻痺しまっているのだろうか。
相澤先生と普通に雑談をしている気分だったのだけど。
「………」
「……何ですか?」
どちらかと言うと、相澤先生の視線が痛い。
どうやら私は後でこっぴどく叱られるらしい。
「……事情聴取は個別だぞ」
「……そうなんですか!?」
「大きい声は出さないでください!血圧が上がって治療ができません!」
「す、すみません…」
相澤先生より先に看護師さんに怒られるのだった…。