main

□Utopia
1ページ/1ページ

思えば、恋にはいい思い出など1つもなかった。恋をしたことのある回数は?と聞かれると、黙って天に向かって人差し指を指すことで答えになってしまう。綺麗な人や優しい人に多少惹かれることはあっても、結局はそうならないことくらいもうわかっているし、あの恐ろしい初恋の相手を思い出すと、震える。恋愛に関しては自分でもよくわからない。驚くことに、あれから恋と呼べるものを一度もしていないように思う。

思えば、恋にはいい思い出など1つもなかった。まあ確かに、ボーイフレンドがいたことはあったけれど、それもはるか昔の話。可愛いドクケイルちゃんとお別れした湖で会ったあの男の子にそっくりで思い出してしまうなんてこともあった。その度にその時の悔しさ、やるせなさが増していく。出会った素敵な人もお相手がいるのがお約束。それくらいには、運も、機会もなかった。

思えば、恋にいい思い出など1つもなかった。初めは美味しいものの為に身体を張った。自分の人生を変えることになったマドンナにも出会った。その時は、他人の心を掴む為に身体を張った。暑い日も寒い日も努力を続けついに成果が出たというのに蔑まれ。それからは悪の組織のボスのために身体を張っているけれど、その過程に見られる出逢いもどれも思い通りには行かず。自分が忠誠を誓う者以外の他人の心のために身体を張ることが、馬鹿馬鹿しく思える。


思えば、昔の日々に満足していたことなど1つもなかった。
一般的にはとんでもなく裕福で何事にも困らないかもしれないが、それは客観的なものであり、今は主観的な話をしている。ただただ、ポケモンが好きで稽古の合間を縫ってじゃれあっているのが稽古に響き、ミスが多くなり課題に追われていた日々。テーブルマナー、勉強、言葉遣い、紳士的な立ちふるまい。どれもやりたくなかった。やりたくないものなどどれだけ回数を重ねても上手くならない。僕が抑制され、「僕」が作られていく。
やりたいこと、それは、自分の好きなように生き、願わくば、ポケモンと好きなだけ戯れたかった。それだけだった。

思えば、昔の日々に満足していたことなど1つもなかった。
小さい頃から親を知らず、親戚などの家を転々として生きて来た。時にはものすごい貧乏をしたこともあった。そのおかげで雪はものすごく好きだけど、今考えると普通に惨めだ。どれを志そうとしても自分だけうまくいかず。色々な資格を取って来たけれど夢を何度も諦めて来た。幸せそうな人を見ていると、憎いという感情が生まれてくるほどには、下を見て来ている。
やりたいこと、それは、自分の存在意義の誇示、願わくば、安心できる場所がほしい。それだけだった。

思えば、昔の日々に満足していたことなど1つもなかった。
フライドチキンやソフトクリーム、人間が作り人間が与えてくれるもの、すなわち、人間のもの。それを食べるには人間と対峙して生きていくしかない。ポケモンはお金を持っていないし直接的な意思疎通ができるわけではないから。何度もボロボロになり、時には盗み出すことを失敗して何も食べなかった時もあった。毎日ボロボロな今のことを考えれば食べるものが絶対にある街にいたことは贅沢なことだったかもしれないが、あくまで昔の満足度の話だ。恋もうまく行かず、喧嘩も下手で足も遅い。いいことなしだった。
やりたいこと、それは、自分の思い通りに事を進めること、願わくば、この自分の才能や頑張りを認めて欲しかった。それだけだった。



「……今日もピカチュウゲットとは行かなかったニャ〜〜。」
「キーッ!もう、あのジャリボーイときたらぁ、次こそはとっちめてやるわ!」
「全くだぜ!それにしても…また遠くまで飛ばされて来たなあ」

どこだかよくわからない森の中の木に引っかかる3人。冷たい夜風がますますこの悔しさを募らせる。ムサシがジタバタしていると、そのポケットから赤い光が飛び出し、「ソーナンスッ!」と大きな声をあげたロケット団のお調子者は、木の幹を根本から折った。
どしん!と大きな音を立てて地面に落ちた面々だったが、運悪く一番下にいるのはセットした髪がぐしゃぐしゃの彼女だった。もう言葉も出ないほどに怒りが頂点に達しているムサシにいち早く気づき、そこを凌ぐ3人。案の定、そのあと乱れた髪をさらに乱れさせながら、怒号を森に響かせた。

そのあとはただただ歩いて野宿の場所を探す。
「まったくもう、レディになんて真似をするのかしら」
「悪かった、悪かったって。」
「元はと言えばソーナンスのせいニャ。」
「ソーーーナンスッ!」
はいはい、わかってるならいいのよ!と睨みながら今回の元凶をボールに戻す。ずかずかと先を進む女王様とそれに続く家臣たち。
三日月が優しく照らしていた道のその先には。

「…ええ!?行き止まり〜?!」
森の最奥まで来てしまったらしく、その先は木が生い茂り過ぎていて先に進むことができなくなっていた。
「しょうがない、今日はここで寝泊まりしよう。」
えー!?と彼らの女王様が文句を言う訳。そこはかなり寒く、地面の状態も草だらけで不快だったからだ。
「まあ、確かに寝泊まりには向いてない場所だけど…」

「大丈夫。なんとかなるよ」
「いつもなんとかしてきたニャ!」
「…それも、そうね。」

この草、なんとかならないのー?と言ったら、ニャースが得意のみだれひっかきで邪魔な部分の草を取り除いてくれる。
お腹空いたな、と言ったら偶然にも隠し持っていたパンを三等分にしてくれるムサシ。ナイス!と褒められ、御礼を言われてこれくらい当然よ、照れながらも笑うムサシ。
先ほどの労働もあってか、身体が痛むと訴えるニャースを優しく撫で、応急処置を施すコジロウ。
寒いねえ、と言ったらパンプジンやマーイーカ、ソーナンスが出てきてくれ、みんなを温めてくれる。
風邪を引いたらと困る、と言ってムサシを引き寄せて肩を抱くコジロウ。寝ぼけ眼のニャースを二人の間に乗せる。その周りに次々とポケモンたちが集まる。
回された腕に驚きつつも、そのあたたかさに安心感を覚えるムサシ。

うつらうつら。夜も深くなってきた頃。膝に乗っかるポケモンたちはぐっすり眠っている。二人は、ただぼんやりと月に照らされる道を見ていた。先ほどまで歩いてきた道だったけれどその先は暗いながらも不思議とまっすぐに見えた。
その道をじっと見つめるムサシをコジロウはゆっくりと引き寄せた。

「…ムサシ。あったかいか?」
ムサシはそれに驚いたように、一瞬目を見開くけれど、その肩に甘えた。
「…うん。コジロウも、凄く生き生きした顔してるわよ」
「…安心してるなって思ったら。嬉しくて」
「…あんたもでしょ。」

にへ、といつもの困ったような、優しい顔で笑うコジロウには嘘偽りが見当たらなかった。言いようのない、安心感。自分を心配してくれていることによる、自分の存在感。ムサシは、コジロウの寒さで赤い頬とその優しい仕草に、不覚にも照れた。

「…それは、みんなおんなじだニャー。」
ニャースが、二人の声を聞きつけたのかちらりと大きな目で二人を見つめる。
「ニャーも。安心してるにゃ。」
二人の間で体制を整えるニャースを見て、ふたりは笑いあった。

それぞれが自由に行動して、
それぞれが、それぞれの才能で人のために身体を張る。
それぞれに、存在意義を見出せる。

これを厭わないと言うことは、
これを望むと言うことは、
これを言わずとも叶えてくれるということは、

焦がれるだけの恋ではなく、互いに分かち合う愛なのだ。

ふたりは、まだ少し冷たいニャースの頭を撫でて、
「あんたのおかげで、いい場所になったわよ」
「ありがとな。ニャース。」
と言って、笑った。
ニャースもまた、その優しく言う声を遠くに聞き、にんまりと笑った。

3人は、あたたかい夢の中に落ちた。

それが、思い通りの道だった。

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ